迷宮映画館

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華氏911

2004年08月23日 | か行 外国映画
自由の国、アメリカン・サクセス・ストーリー、銃の国、さまざまに言われ、自由の象徴のように言われる国だが、この国ほどの奇異な国はないかもしれないと、最近思ってきた。大統領が働かないなどというのことには驚かない。自分が仕事をしない方が世のためかもしれないし、その方がいいと、彼がわかってしなかったのなら、もしかしたら彼はものすごく頭がいいのかもしれない。

大統領を選出するのに、かの国は州で選挙人を選ぶという方法をとっている。コレは、その昔、広大な国土で、すべての投票数を数えるのに膨大な手間がかかるので、おおまかな数で州の意志を全体に反映するというかつての方法をいつまでも採用している。そのため、全体数ではこっちが勝っているのに、負けてしまうというような現象も多多起きている。その度にそれはおかしいなどという意見も出るようだが、ユナイッテド・ステイツを誇るかの国は、変えようとはしないらしい。

アメリカにはアメリカ人はいない。厳密にいうと、ネイティブ・アメリカ人と言われる人々はいるが、今では圧倒的少数だ。いわゆるWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)が、アメリカを作ったのだというものすごい自負心を持っている。でも、アメリカ人ではない。自分たちも、何かを求めてかの国にやってきた。そして何かを掴んだ。その何かを求めて、かの国にやってくる人々は今も絶えない。広大だった国も最近はきつきつらしい。自由が象徴だった国も、どうにもうまく立ち行かなくなってきた。

広大な、雑多な、ものすごく多くのごちゃごちゃした人々をまとめるのは容易なことではない。そう考えると、中国という国はますますもってすごい国だ。なので、まとめようとはしなかった。まとめるなんて不可能だ。そこで、ステイツというシステムを使ったわけだ。日本ではステイツは州と訳されているが、ご存知の通り『国』だ。

自分たちは同じアメリカ人という意識は持っていない(かもしれない)。まず、自分の小さなコミュニティを守るべき市民だ。広大な国に住む、拠り所を持たない一人、それがアメリカ人なのではないか。そんな風に感じる。その一人一人の彼らを結束させるもの。
 『自分たちはアメリカ人なんだ』・・無理。
 『お祭り』・・それぞれ違うでしょ。
 『宗教』・・これもまたいろんなものがありすぎ。
 『教育』・・これが理想でしょうが、人間という不完全な生き物はまだまだ。
となると、やはりアレしかない、『恐怖』。なぜ、アメリカ人は自由を謳歌できるのか?それは自由を脅かす存在を打ちのめしてきたから。折角独立したのに、本国はいろいろとちょっかい出してくる。本国をやっつけないと。イギリスという恰好の敵がいた頃。

アメリカを脅かすのは、アメリカ自身だったと気付いた南部との戦い。いや、もともとアメリカに住んでいた野蛮人こそがアメリカの敵だった。フロンティア時代。
ヨーロッパに敵がいる。太平洋の向こうに敵がいる。今度はどんどんと赤い勢力が侵攻してくれではないか。第一次大戦から第二次大戦の頃。

アメリカを脅かした朝鮮は、いつまでも戦争宙ぶらりん状態。国家の威信をかけて戦ったベトナムには負けた。そんな小物はいい、でかいでかい究極の社会主義国家ソ連を抹消させたじゃないか。いや、アレは自滅した。んんん、どこかに敵はいないか。いたいた、得体の知れないイスラムの人々。いや、でも彼らは金を持っている。簡単に敵には出来ない。利権は残しつつ、何とか上手く敵にしないと。

壮大な敵作り物語、これがアメリカなのではないか。アメリカの大統領は簡単な仕事なのかもしれない。「敵をやっつけろ!」と鼓舞すればいいのだ。

アメリカ人は謙虚でない。ものすごく自分に自信を持っている。お呼ばれなんかして、自分で作ったクッキーやケーキなんかをお土産を持ってきてくれる。「ものすごく、おいしいのよ、食べてね」と。脇で旦那は「うちの妻の自慢なんですよ」と誇らしげにいう。日本人の「つまらないものですが・・・」などという言葉を発しようものなら、「つまらないものなら持ってくるな」なんて言われそう。それはそれでいい。何も卑屈に生きる事はない。まあ日本人なら、本当につまらなくても、つまらないとは言わないし、まずくてもまずいとは言わないだろうが。それは相手のために言うべきか、言わざるべきか悩むところだ。きっと、トンでも息子のブッシュ・ジュニアは、ほめられて育っただろう。そりゃそうだ。ブッシュ家というのは、親父ブッシュのそのまた親父の代からの富豪のお家柄だそうな。お坊ちゃまです。ほめられ、はやされ、自分の実力を知らない男、それがブッシュ・ジュニアだ。でも、そういう男でも大統領に選べるシステムなのが、今のアメリカのシステムなのだ。

マイケル・ムーアはそれを何とかしたかった。世の中には物事を知らない人が多すぎる。知らなくても生きていける。そりゃそうだ。しかし、それはものすごく悲しいこと。悲しいことにそういう人は、それが悲しいことと気付いていない。この映画を見たら、誰でもきっとブッシュを嫌いになる。そうなるように作ってある。だから嫌いになりたくない人は見ない、当然だ。嫌いかどうかがわかんない人は、とりあえず見てみる。そして、とりあえず嫌いになる。嫌いだった人は見て、納得する。

物事に気付いて欲しい、いろんなことを見ようよ、おかしいことに対しておかしいというべき。おかしくないことに対してもおかしいというアメリカ人に対して、心底、おかしいことに対しておかしいと言おうという映画に見えた。ただ、かの国にピッタリの大統領がこの世にいるかと問われれば、・・・いないだろうな。

映画に言及するつもりが、アメリカという国への言及になってしまった。映画は、非常に真摯な作りだ。徹底的な調査と、自信の裏打ちが見える。これを作ることが出来たのは、「ボーリング・フォー・コロンバイン」の成功があったからだろう。人が気付かないものを気付かせる。おおらかな発想の出来る彼の力を感じた。マイケル・ムーア自身のナレーターは上手くなったが、ちと単調かな。でも、上映前の話題づくり、集客能力の手腕は思う存分発揮した。

『華氏911』

原題「Fahrenheit 9/11」 
監督・脚本 マイケル・ムーア
出演 ジョージ・W・ブッシュ 2004年 アメリカ作品


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