迷宮映画館

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害虫

2002年07月08日 | か行 日本映画
だいぶ前に話題になっていた作品だが、遅ればせながら当地にきたので、やっと紹介できる。塩田監督の前作「どこまでもいこう」は小品ながら、とてもよく出来ていた。小学生の目から見た世界、社会。いろんな問題はありながらも、後退しながらも何とか生きていこうぜい、みたいな。現実は厳しいけどがんばれるんじゃないかという希望が見える作品だった。

そして、今回。テーマは中学生、この摩訶不思議な生き物についてだ。「まぶだち」でも感じたのだが、中学生とは大人の肉体を持ったこどもだ。そのアンバランスな状態に自らがなじめない、そんな不安定な時期。辛らつな友に、擬似恋愛、親との確執、学校なんて居心地のいいところではない。もう毎日が戦場だ・・と言ってる。本当に戦場なのか。

サチ子は中学1年生、母親は自殺未遂に父親はいない。どうも小学生の時に、担任と何かあったらしい。なんだかは明言されていないが、その先生はそれのせいか、学校をやめている。彼女はとても学校に行けるような状態ではない。毎日、制服を着て家を出るものの、ぶらぶらと時間をつぶしている。薄暗い帰り道では変な男が言い寄ってくる。

一切、学校に行く気がない彼女を毎日迎えにきてくれる友達がいた。なつこ。偽善でも義務感でもない。サチ子のことがすきなのだ。同じことを男がしたらストーカーになるのだが、ストーカーなんて、愛情の表現の仕方が少々ずれてるだけだもんね。なんとか学校に行けるようになって、毎日が過ぎていく。付き合う男の子も出来たくらいにして。普通の中学生になれるのかあと思った頃にまた事件が起きてしまう。なぜ、彼女にだけ不幸がふりかかるのか?いたたまれなくなったサチ子はとうとう行動を起こしてしまう。

子どもは親を選ぶことが出来ない。親もそういえるような気がするが・・。親は監督をしなければならないし、何か子どもが問題を起こしたときに、そんな風にしたのは親の教育が悪いんだ、と言われるが、結局は別の人格、親の意のままにならないのが子どもなのだ。親に出来ることはよい環境を与えてやることくらいだろうか。中学生にもなれば、世間の空気にさらされる方がずーっと長いのだ。それまでに親が出来ることは、子どもに生きる力を教えてやること。愛情は最高の栄養だが、人間には寒い冬の年輪も必要な気がする。中学生を子にもって、この映画を見て、私がつくづく感じたことだ。

サチ子には生きる力がなかった。死ぬわけではないが、心を殺してしまった。それは親の責任でもあり、自分の責任でもある。なぜに不幸がふりかかるのか?自らがいつの間にやら招いていたのだ。そこを戦場にしてしまったのは自分だったのかもしれない。

先日のニュースで、中学生の中絶の数が年々、右肩上がりでどんどん増えているという。これは絶対、半分(以上)大人に責任がある。大事なのは教育なんだけどな。でもその表れた数字を痛感もした作品だった。

決して、明るい映画ではない、どちらかというと、超暗い。見て落ち込むくらいに暗い。これが現実なんだといわれると。日本の将来、ほんとにどうなるんでしょうと思ってしまう。

街並みにやたら人が少ない。「まぶだち」でもそうだったが、そんなに人いないかなあ。ここは他人は邪魔というシーンもあるが、なんだか非人間的なのだ。あっそうか、こういうところで映画だよって強調できないと、救われないからかな。

「害虫」

監督 塩田 明彦  
出演 宮崎 あおい  りょう  田辺 誠一  2002年 日本作品


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