迷宮映画館

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海辺の家

2002年07月15日 | あ行 外国映画
ジョージはいまだにアナクロな設計士。模型一筋で、いまやコンピューターの使えない設計士はお払い箱の危機にさらされている。元妻はすでに別の男と結婚しており、息子たちもいる。そしてジョージとの息子は16歳。反抗期の看板を大きく掲げており、どぎつい化粧をし、耳やそこらに鋲が刺さってる。いかにもラリッてます、という感じの風貌だ。母親の言うことなどもう聞かない。週末だけの父親も、もう不要だと言っている。

ジョージに突然告げられたリストラ、追い討ちをかけるような癌の宣告。余命はあとフュー・マンツだ。自分には一体何ができる、何を残せる、このまま死んでいいのか。彼は憎んでいた父親から譲り受けたボロヤを壊して息子と新しい家を作ろうとする。嫌がる息子を無理やり連れてき、まともなトイレやシャワーもないところで、過ごすことにする。今流の言葉で言うなら、親が超ウザッタいお年頃、夏休みに親と一緒に家作りをするなんて、あのこがやるか・・。でもハンマーを振り上げ、柱を立てていくうちに、なんとなく、なんとなく、わだかまりが取れていく。このまま笑顔で家の完成を迎えることができるか。しかし、病魔は確実に歩みを速めていた。

ケビン・クラインの父親役というのはあまり見ない。いつもちょっとひねた独身とか、ストレートな役はしない。ここも素直な父親では決してない。逆に奔放な父親をうまくあらわしていた。離婚して数年、きっと素直じゃない夫だったというのが、ありありとわかる。今でも元妻を愛しているのだが、その表現の仕方はおちょくってるようにしか見えない。人間、素直さは大事です。そこにふってわいた人生の究極の難問、余命3ヶ月。自分ができることはなんだ。過去を変えられるものなら変えたいが、それは無理だ。余命3ヶ月であろうと、未来を変えていくしかないのだ。そして彼は困難な道を選んだ。しかし、彼が演じると、どんな難しいことでも飄々と演じてくれる。にくい。

その困難な相手というのが、息子。「今までほったらかしにしておいて。」と訴えていたが、親なんてそんなもんよ。抱っこできるまではぎゅーっと抱きしめて、やたらくっついてような・・・。だんだんと肌を触れ合わせる機会が少なくなり、高校生にもなると、「半径1m以内に入るな!」なんていわれそう。好きで離れていったのではないのだが、いつまでもくっついている方がおかしいでしょう。でも心の中ではくっつきたいのだ。肌をふれ合わせたいはずだ。言えるはずがないが、その心の渇きは大小はそれまでの親の愛情に比例するのだろうか、やはり。心が渇いて渇いてしようがないのだというつらさを痛いほどまでに表していたヘイデン君。んー只者ではなさそうです。

不治の病で死んでしまうというのは、泣かせのルールにあまりに則っていた。常套手段過ぎたきらいは否めない。でも泣かせてくれたのは役者のうまさでしょう。

んー、もうちょっと子供を抱っこしないと、と自分に言い聞かせて帰ったら、試写会で遅かったのにチビすけが寝ないでおかあちゃんを待っていた。ごめんね。

「海辺の家」

原題「Life as a House」 
監督 アーウィン・ウィンクラー 
出演 ケビン・クライン ヘイデン・クリステンセン クリスティン・スコット・トーマス 2001年 アメリカ作品


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