俗にいうパニック障害にかかってしまったエリート医師。いろいろなストレスにさらされてしまった結果だが、すべてを捨てて、信州の奥深い山里に夫とともに移り住むことになった。無医村のそこには願ってもない人物であり、村をあげての歓迎となる。
春の芽吹きの季節から始まって、田植え、山里の段々田では機械も入れられないため、手植えだ。花摘みをし、カジカ蛙の鳴き声を聞く。清流で岩魚を釣って、炉端で焼く。縁側を開け放って、眼前に萌えいずる紅葉の中で死ぬ。息せき切って、毎日の雑務に追われ、ため息ついて暮らしている我々から見ると、なんと贅沢な暮らしか。しかし、その生活はそこにすんでいる人には何ら贅沢でもなく、ただの日常のはずだ。のんびりもいいなあなどと思う自分は、やはり、今に流されて生きているのだろうか。
久々登場の樋口可南子、やっぱりこの人はきれいだ。もっと出てくれ。旦那役の寺尾聰。最近、ますます父上っぽくなってきたが、妻のためだけに生きる夫というのもいいんじゃないかい。またこれがよく合う。
そしてこの映画の愁眉は北林谷栄ばあさん。このひとのための映画だろう。私の記憶の中では最初からばあさん役だが、この人のばあさん役ほど我々をほっとさせる人はいない。その言葉のひとつひとつ、しぐさの重み、とぼけた表情ににじみ出る暖かさ。この映画はこの人に会いに行くだけでも金払う価値がある。91歳万歳。
そして、田村高広演ずる主人公孝夫の恩師。かっこよすぎ。胃がんを患って、死んでいく役だが、あんだけ毅然と死なせられたら、自分死ぬときにプレッシャーかかりそうな死に方だ。ちょっと前に見た「ロード・トゥ・パーディション」でポール・ニューマンをうれしく思ったが、日本で銀幕のスターをはれる人は今や、この人だけだろう。その期待と思い入れを十分背負って余りある演技だった。弟様たちとは格が違うんだよな。
長野県飯山市を中心にロケを敢行した映画だが、この辺は最近こうした映画のロケに力を入れ、街を活性化させていると聞いた。山形も田舎なら負けない。監督さーん、映画撮るんなら、山形もいいですよ。
「阿弥陀堂だより」
監督 小泉堯史
出演 寺尾 聰 樋口 可南子 北林 谷栄 田村 高広 2002年 日本作品
春の芽吹きの季節から始まって、田植え、山里の段々田では機械も入れられないため、手植えだ。花摘みをし、カジカ蛙の鳴き声を聞く。清流で岩魚を釣って、炉端で焼く。縁側を開け放って、眼前に萌えいずる紅葉の中で死ぬ。息せき切って、毎日の雑務に追われ、ため息ついて暮らしている我々から見ると、なんと贅沢な暮らしか。しかし、その生活はそこにすんでいる人には何ら贅沢でもなく、ただの日常のはずだ。のんびりもいいなあなどと思う自分は、やはり、今に流されて生きているのだろうか。
久々登場の樋口可南子、やっぱりこの人はきれいだ。もっと出てくれ。旦那役の寺尾聰。最近、ますます父上っぽくなってきたが、妻のためだけに生きる夫というのもいいんじゃないかい。またこれがよく合う。
そしてこの映画の愁眉は北林谷栄ばあさん。このひとのための映画だろう。私の記憶の中では最初からばあさん役だが、この人のばあさん役ほど我々をほっとさせる人はいない。その言葉のひとつひとつ、しぐさの重み、とぼけた表情ににじみ出る暖かさ。この映画はこの人に会いに行くだけでも金払う価値がある。91歳万歳。
そして、田村高広演ずる主人公孝夫の恩師。かっこよすぎ。胃がんを患って、死んでいく役だが、あんだけ毅然と死なせられたら、自分死ぬときにプレッシャーかかりそうな死に方だ。ちょっと前に見た「ロード・トゥ・パーディション」でポール・ニューマンをうれしく思ったが、日本で銀幕のスターをはれる人は今や、この人だけだろう。その期待と思い入れを十分背負って余りある演技だった。弟様たちとは格が違うんだよな。
長野県飯山市を中心にロケを敢行した映画だが、この辺は最近こうした映画のロケに力を入れ、街を活性化させていると聞いた。山形も田舎なら負けない。監督さーん、映画撮るんなら、山形もいいですよ。
「阿弥陀堂だより」
監督 小泉堯史
出演 寺尾 聰 樋口 可南子 北林 谷栄 田村 高広 2002年 日本作品
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます