迷宮映画館

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ムーンライト・マイル

2003年07月07日 | ま行 外国映画
1973年、ヴェトナム戦争も終盤になり、町には若い男がいない。国全体が沈滞ムードだ。ある日、突然、銃の犠牲になったダイアナ。彼女は婚約者を連れて、故郷に帰り、結婚式を目前にしていた。

葬儀に来た人は、皆、沈痛な面持ちで、哀悼の言葉を述べる。居心地悪そうにいる、残された婚約者のジョーは彼女の父母と事業を始めようとして、とどまっていた。しかし、針のむしろ状態。父は何より体裁を気にし、停滞していた商売を何とか軌道に乗せようとしていた。ジョーをパートナーとすることが、彼のためと思い、そして自分のためにもなると信じていた。

物書きの母は、何も書けなくなってしまった。知り合いのおざなりの言葉をせせら笑い、形見わけに群がる娘の友人に辟易していた。ジョーの支えが自分に絶対必要なものと思っていた。

そんな死んだ婚約者の両親と暮らすジョー。ジョーには彼らに言わなければならないことがあった。実は彼女とはすでに別れていたことを…。裁判を控え、自分達はかわいそうな被害者にならなければならない。婚約者を亡くし、未来をすべて壊された人間にならなければならなかった。しかし、自分達に必要なものは真実なのか、それとも偽り人生なのか。

娘に限らず、大事な人を亡くしてしまった親にかける言葉など見つからない。どんな哀悼の言葉だろうと、その悲しみを本当にわかっているはずなどない。でも、あちらの人はこういうときに「元気?心配なの。」と電話をかけ、大げさに慰めの言葉をかける。この世の終わりのような顔で、よくわかると抱きしめる。とても私たちには出来ない事だ。それが欺瞞だとは言わない。本当に心からそう思っているのは確かだ。でも心から相手のことを思っているのなら、何も言葉など出てこない、ただ、一緒に泣くだけかもしれない。

その悲しみは捨てなくていい。悲しみも一緒に生きていけばいい。二度と笑う日などこないと思っていても、いつか笑う日は来るのだ。笑えた事は素晴らしい事。何も悲しみを忘れたわけではない。人間は、そのすべてを受け入れて生きていくことが出来る生き物だから。

ただ、自分達はそれが出来る生き物だという事に気づくのに、ちょっと時間がかかってしまった両親だった。その事を気づかせてくれたのが、元婚約者だったのかもしれない。

70年代のうれしい音楽にのせて、悲しい話をユーモア交えてちょっとタルく描いた。この監督の癖かな。ちょっと粘っこい。もう少しあっさり描いてくれた方が、もっと胸に突き刺さったような気がした。スーザン・サランドンは秀逸。うまい。いまどきの青年は一生やれないのではないかと思われるギーレン君。いまいちのダスティンに、対して、光ってた。

「ムーンライト・マイル」

原題「Moonlight Mile」 
監督 ブラッド・シルバーリング
出演 ジェイク・ギレンホール ダスティン・ホフマン スーザン・サランドン
 2002年 アメリカ作品


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