さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 187-200

2017年05月27日 | 桂園一枝講義口訳
187 刈萱          ※「刈」草冠
かくばかりなぞやこゝろはみだるらん野べの刈萱かりそめのよに
二四八 かくばかりなぞや心はみだる覧野辺のかるかやかりそめの世に 文化二年

□すがたさはやかなるうたなり。「かるかや」、みだるゝより、かけて云ふなり。刈萱の穂はみだれてあるなり。しどろもどろにみだるゝなり。此れ刈萱に限るなり。風にみだれ易きことにてはなきなり。穂のみだれを宗としてよめるなり。風を結ばずしてもよきなり。

○姿さわやかな歌である。「かるかや」、「乱るる」より、掛けて言うのである。刈萱の穂は、乱れてあるものだ。しどろもどろに乱れるのである。これは、刈萱に限るのだ。風に乱れ易いということではない。穂のみだれを旨として詠んだのだ。「風」を結ばなくてもよいのである。

188 刈萱乱風  ※乱は、正字。
秋風のふかぬ先だにあるものをけさ刈かやのしどろなるかな
秋かぜのふかぬさきだに有(ある)ものをけさかるかやのしどろなる哉
                 ※「秋」は「火」偏に「禾・のぎ」の字。

□此題風にみだるゝと思ふかたより出したる題なり。
景樹は風より先にみだるゝとよむなり。此れめづらしきなり。
題者は風かと思ふ意なり。歌は穂のことを知りてよめり。「しどろ」もどろ、「もどろ」はもどるの意なり。すいと向ふまで行かぬなり。「しどろ」は下垂るなり。下なりにゆくなり。

○この題は、「風にみだるる」と思う方から出した題である。
景樹は、「風より先にみだるる」とよんだのである。これは、今までにないものだ。
題は、(乱れたのが)「風(のせい)かと思う」という意味である。歌は穂のことを知って詠んでいる。「しどろもどろ」の「もどろ」は「もどる」の意である。すいと向うまで行かないのだ。「しどろ」は「下垂る」だ。下なりにゆくのである。

※音の調律にみどころのある歌。

189 庭栽野花
いろいろの花のかぎりをうつしうゑてあれぬ庭をも野とぞなしつる

190 槿 牽牛花の分也
つゆにだに打ちとけ易きあさがほの花のひもなく秋の初かぜ

191 槿花未開
葉がくれをまだあけぬ夜と思ふらん咲かんともせぬ朝貌の花

□三首よくわかりたれば註なし。
○三首よくわかるので註はない。

192 193 194 露 
此題より「深夜霰」まで、嘉之・昌言、会読なり。
○この「露」の題から「深夜霰」までは、嘉之と昌言の会読の筆記である。

※嘉之は、山本嘉之。昌言は、鎌田昌言(山本嘉将の著書による)。題についての注記は、松波資之によるものか。

192 あき風にそよぐものゆゑ小笹原ひとよもおちずつゆのおくらん
二五三 秋風にそよぐ物ゆゑ小篠原(をざゝはら)一夜もおちず露の置(おく)らむ 享和元年 二句目 サヤぐ物故

193 風のまもみだるゝあきのしらつゆをむすべるものとおもひけるかな
二五四 風のま(間)もみだるゝあきのしら露を結べるものと思ひけるかな 文化三年

194 草も木もぬるゝゆふべのつゆ見れば人はものをも思はざりけり
二五五 草も木もぬるゝ夕の露見れば人は物をも思はざりけり

※以下は、この歌と直接関係の無いメモの列記が少しあったりして、四〇八番(正宗)まで飛んでしまう。破損または脱落したのだろう。

□「鴨羽がき」、実は嘴を木にてこするなり。古人、羽としたるより皆羽にするなり。穂屋、すゝ屋と同様さゝ(ゞ)れにうつる。大人初めて云りと、自ら申されたり。父君の△日十首よまれて十首ともによき歌となり。あまり皆出しては父にへつらへるやうに世人の思はくもある故に残念ながらやめたり云々。
「ひたりて」は、ひたしてなり。
「寒夜千鳥」、外山殿、此の歌には叶はぬと仰せられたりとなり。
「しのゝあらがき」、大人はじめてよめり。

〇鴨羽がきは、実は嘴を木でこするのだ。古人が、羽としたことによって皆羽のことにするのである。穂屋、すゝ屋と同様さざれにうつる。大人が初めて言ったと、みずから申された。父君の△日十首詠まれて、十首ともよい歌だということだ。あまり皆出しては父にへつらっているように(とる)世間の人の思わくもあるので残念ながらやめた等々。
「ひたりて」は、「ひたして」の意である。
「寒夜千鳥」の題の歌について、外山殿はこの歌にはとてもかなわないと仰せになったということである。
「しののあらがき」は、大人(うし)がはじめてこう詠んだ。

※「ひたりて」は、三八〇(正宗)についてか。「寒夜千鳥」は、三九二(正宗)の題。△は虫食い等による欠字を示すもの。

195 雪 
さをしかのなきてかれにし朝よりゆきのみつもるしがらきの里
四〇八 さをしかの啼(なき)てかれにし朝(あした)より雪のみつもるしがらきの里 享和元年

□なきてどこへやらゆきて、かれがれになりてしまひたるなり。常にかれるといふは、わかれることなれども、こゝは直にさやうには言はれぬなり。
此うた気色をいふなり。しがらきの里、奥山なり。勢田まで八里あり。勢田よりは人家なくして山路にかゝる所なり。さをじかのなきやむや否や、もはや雪もふる程の所なり。門人曰く此歌妙々。

○「なきて」どこへやら行って、別れ別れになってしまったのである。常に「離(か)れる」と言うのは、別れることだけれども、ここはただちにそのように(決めて)は言うことができないのである。
この歌は景色を言っているのである。「しがらきの里」は、奥山である。勢田まで八里ある。勢田よりは人家がなくて山路にかかる所だ。さを鹿が鳴きやむや否や、もはや雪も降る程の所である。門人らは言った、この歌は妙趣があると。

※「門人曰く此歌妙々」というのは、こういう歌に人気があったことの証言。

196 
跡もなき山路はたれかふみわけんおもひたえよとつもるゆきかな
四〇九 あともなき山路(やまぢ)はたれかふみわけむ思ひたえよとつもる雪哉 文化十一年

□たれあともつけやうもなきほどふりたるは、人がこんか知らぬ、などゝの心は「思ひたえよ」とつもる雪かな、といへり。

○誰も跡がつけようもないほど(雪が)降ったのは、人がやって来るかもしれない、などというような(甘い期待を抱く)心は「思いきれ」と積もる雪だなあ、と言っている。

197
蝶のとび花のちるにもまがひけり雪の心は春にやあるらん
四一〇 蝶のとび花のちるにもまがひけり雪の心は春にや有らん 文化十二年 三句目 まがフカナを訂す。

□雪は思ひの外陽気にして花やかなる気色ある物なり。
○雪は、思いのほかに陽気で、花やかな気色のあるものだ。

198 待雪
あさなあさな起き出でゝ見れど葛城のみねにもいまだふらぬ雪哉
四一一 朝なあさな起きいでゝ見れどかつらぎの峯にもいまだふらぬ雪かな 享和三年 二句目 タチいでて

□少し古体なり。まづ目に付くは葛城なり。
○少し古体である。まず(この歌で)目に付くのは葛城だ。

199 初雪
巻上るしののすだれのさらさらにおもひもかけぬけさの初雪
四一二 巻上(まきあぐ)るしのの簾のさらさらにおもひもかけぬけさのはつゆき 文化十ん年

□「新古今」調なり。まきあぐる時はまだ雪に目はつかぬなり。
〇「新古今」調である。巻き上げている時は、まだ雪に目は付かないのである。

200
草も木もあやめわかれぬ黒玉の夜しもあたらはつゆきぞふる
四一三 草も木もあやめわかれぬ黒玉(ぬばたま)のよるしもあたら初雪ぞふる

□あたら、惜しきことなり。俗にあつたらなり。今「新」の字をあたらしきと云ふは、あらたしきなり。音便にてあたらしと転ずるなり。「あらたしき」でなければならぬなれども、「しき」で受けたる時分ばかりは「あたらしき」といふなり。其余は皆「あらたなり」。これを久老は「あらたしき」をいひそこなひなりといふなり。いひそこなひではなきなり。穏便でしたるなり。山茶花、そばきりの類なり。入ちがひになること音便にあるなり。
あやめ、先「あや」といふことは嘆息の声なり。あゝあつし、あゝつめたきを古人は「あや」といふたかも知れぬなり。何分嘆息の語なり。あゝうつくしなど目のとまるもの即ちあゝよいといふなり。此れあやなり。さて、「め」といふことがつくと、「め」はよくわかる明白の事なり。みゆることなり。かつきりとするなり。きり「め」(傍線)といふ。又「をり「め」(傍線)など、きはだちたる、ありありとすることにいふなり。俗にも、あほう「め」(傍線)といふは、其事に「め」(傍線)と、しかときはめて行く語なり。
「よるしも」、よるしあたら、といふことなり。「も」(傍線)のこゑ、別に心はなきなり。又「し」(傍線)の字がなきと「も」が眼字(※中心の字の意か)なり。
「初雪」の気色は、草木にふりかゝりたるが見所なるに、草木わからぬ夜降るとは「あたら」なり。

○「あたら」は、惜しきことである。俗に言う「あッたら」である。今「新」の字を「あたらしき」と言うのは、「あらたしき」だ。音便で「あたらし」と転じたのである。「あらたしき」でなければならないのだけれども、「しき」で受けた時だけは「あたらしき」と言うのである。そのほかは皆「あらたなり」。これを(荒木田)久老は、「あらたしき」を言いそこないだと言うのである。(だが、)言いそこないではないのである。音便でしたのだ。山茶花、そばきりの類である。入れちがいになることが音便にあるのである。
「あやめ」、まず「あや」という語は嘆息の声である。「あああつい、ああつめたい」を古人は「あや」と言ったのかもしれない。何ぶん嘆息の語である。「ああうつくしい」などと目のとまるもの、すなわち「ああよい」と言うのである。これは「あや」である。さて、「め」といふ語がつくと、「め」はよくわかる明白の事をいう。見えることである。かっきりとするのだ。切り「め」(傍線)といふ。また折り「め」(傍線)などと、際立った、ありありとすることに言うのである。俗にも、「あほう-め」(め傍線)と言うのは、その事に「め」(傍線)と、はっきりと極めつけて行く語である。
「よるしも」、「夜しあたら」ということである。「も」(傍線)の声音(を入れたことについて)は、特別に意味はない。又「し」(傍線)の字がなくても、「も」の字が眼目の字である。
「初雪」の気色は、草木に降りかかった所が見所であるのに、草木の見分けられない夜に降るとは「あたら(惜しいこと)」である。



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