さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 153-165

2017年05月05日 | 桂園一枝講義口訳
153 納凉
なくせみのこゑのしぐれはふらねども衣手さむきまつかぜふく
二一四 鳴(なく)せみの声の時雨(しぐれ)はふらねども衣手(ころもで)寒き松風ぞふく 文政六年 四句目 寒クを訂す

□どうれうといふ方、和言に近きなり。此うた少しやすし。誰もいふべきなり。たゝ(ゞ)すゝ(ゞ)しくよめるなり。

〇(詞書の読みは)「どうりょう」と言う方が、和言(わごん)に近い。この歌は少し安易だ。誰もが言えるほどのものだ。ただ涼しく詠んであるのだ。

※「凉」の漢字は、にすい。以後同じ。

154 
山かげの岩井の清水くみくみててる日こひしくなりにけるかな
二一五 山かげの岩井の清水くみくみててる日恋しく成にける哉

□あまり水を汲みたる故に寒くなりたるなり。井戸がへ師が寒きが如し。岩井は岩間の流水をせくもいふ也。又岩井筒にせきとめたるもいふなり。

〇あまり水を汲みすぎたために寒くなったのである。井戸換え師が、寒いようなものだ。岩井は、岩間の流水を堰きとめるのも言う。又岩井筒にせきとめたものにも言う。

155 江上納凉
よる浪の玉江の月のすゝ(ゞ)しさにからでも結ぶこもまくらかな
二一六 よる浪の玉江の月のすゞしさにからでも結ぶ菰(こも)まくらかな 文化三年 一、二句目 月ヤドル入江ノ波の

□江のほとりのすゝ(ゞ)みなり。玉浪の玉とかける。「菰枕」、こもをまきて枕にするなり。菰を刈りてくみあげたるも菰なり。生へたるまゝも菰なり。こもでこしらへたるまゝも菰なり。つゝ(ゞ)らをもてつゝ(ゞ)らを作るなり。歌には「つゝ(ゞ)らご」といふなり。又「十ふのすがごも」といふことあるは、菰をもてしたるが菰といふ名になりたるなり。こもを刈りあげて引きくゝりて枕にしたるなるべし。水にぬるといひ、枕を草まくらといふも其時の具合なり。今はからで結ぶなり。

○江のほとりの涼みである。(玉江は)玉浪の玉と掛ける。「菰枕」は、こもを巻いて枕にするのだ。菰を刈って組み上げたのも菰である。生えたままも菰である。こもでこしらえたままも菰である。「つづら(葛)」で「つづら」を作る。歌には「つづらご」と言う。又「(陸前)利生(とふ、名産)の菅菰(すげで編んだむしろ)」と言うことがあるのは、菰をもってしたのが菰といふ名になったのである。こもを刈りあげて引きくくって枕にしたものなのだろう。水に寝ると言い、枕を草まくらと言うのもその時の具合である。今は「から(幹・柄)」(植物の幹や茎)で結ぶのである。

※概してこの講義でとりあげられている四季の歌は、現代人にはそれほど面白くないが、だから駄目なのだと性急に決めつけて投げ出したりしない方がいい。景樹の場合は、四季の歌に続く「事につき時にふれたる」の部が圧倒的におもしろく、また近代の「アララギ」派にも影響を与えている。(※これは通説ではないが、数少ない例として、八十年代に「アララギ」の「密輸入」と喝破した大隈言道の研究者があった※日文協の紀要掲載論文。当時は、今もあまり変わりはないが、こういう発言は黙殺されただろう。)

156 江辺納凉
川上のたゝ(ゞ)すの森のかげもよしすゝ(ゞ)みてをこん夜の更けぬ間に
二一七 川上(かはかみ)のたゞすの森の陰もよしすゞみてをこん夜の更ぬまに 享和元年 本居宣長がよませたる

□本居宣長のよませる題二つの内一首なり。「さが山の松」と、二つなり。さが山の方は、宣長の身分にかけてよみたる故、詞書をしたり。此れはただよみたる故、詞書を省きたり。
「すずみてをこん」、も、といへば、ぬるむなり。嘆辞なる故なり。「と(傍線)※「を」の誤植か)」といへば、強くなる也。「夜の更けぬ間に」、「萬(※葉、脱字)」には「更けぬ」「と(傍線)」に、とあるなり。時代によりて調があるなり。知らぬ時代から聞かば「ま(傍線)に」をも異様に思ふらめど、その、ここに調がある也。「かげもよし」、「催馬楽」に「陰もよし」云々とあり。

○本居宣長がよませた題二つの内の一首である。「さが山の松」と、二つである。さが山の方は、宣長の身分にかけてよんだので、詞書をつけた。これはただ(ふつうに)よんだので、詞書を省いた。
「すずみてをこん」は、「も」として、(すずみてもこん)と言えば、(語調が)ぬるくなる。詠嘆の意味の語だからである。「を」として、(すずみてをこん)と言えば強くなる。「夜の更けぬ間に」、「万(葉)」には「更けぬとに」とある。時代によって調べがあるのである。知らぬ時代から聞いたら「ま(傍線)に」をも異様に思うだろうけれども、そこのところに調があるのである。「かげもよし」、「催馬楽」に「陰もよし云々」とある。

※その晩年に来京した本居宣長と対面し、歌会を行った席上で詠まれたもの。調子も張っていて、なかなかの佳吟。生涯最大の晴れの席での作品で、同音反復の音もすずやかなこの歌は、散策の気分を醸し出しており、「桂園遺稿」には実際のそうした吟行の折の記録がたくさんある。題詠においては、題がそうやってためておいたイメージ記憶を引き出す端緒となるのであり、題詠だからすべて空想であるとはかぎらない。

※「わがせこを-なこしのやまの-よぶこどり-きみよびかへせ-よのふけぬとに」「万葉集」一八二六等。

157 松高風夕一声秋
わかやどの松なかりせば大空のかぜをあきともたれか定めん
二一八 わか宿の松なかりせば大空の風をあきとも誰かさだめむ

□「朗詠」の句なり。此れは妙法院の宮の御題なりしなり。七月の御題に出たり。其頃は七月でよみて奉りたれども、よく思へば夏の題なり。後によみかへたり。大空のといふからは高き松知るべし。空吹く風をいかでか知らんや、松が定めるとなり。

○「和漢朗詠集」の句である。これは妙法院の宮の(歌会の)御題であったものだ。七月の御題に出た。その頃は七月でよんで歌を申し上げたけれども、よく考えると夏の題であった。(それで)後で詠み替えた。「大空の」と言うところからは、高き松だと知ることができるだろう。空吹く風をどうして(秋の風と)知ることができようか、それは松が定めるのだというのである。

※「松高風有一声秋」松高うして風に 一声の秋有り(英明)。

158 夏神祇
更けてしも(誤植)神のこゝろはすゞしきになみの上なる川やしろかな
二一九 さらでしも神の心は涼しきに浪のうへなる川やしろかな

□「さらでしも」、さうなうてもなり。「神の心は」清く「すずしきに」況や波の上にまつれりとなり。
「川やしろ」、洲がきなどをして、かり社をしたるなり。畢竟みそぎ所なり。段々評あることなり。契沖の川社といふ書あり。色々の考あり。

○「さらでしも」は、そうではなくても、の意である。神の心は清くすがすがしいものであるのに、まして波の上に祭っているのだから、というのである。
「川やしろ」は、簣垣などをして、仮社を設けてあるものだ。畢竟みそぎ所である。(こういうやしろの存在については)解明されて来つつある。契沖に「川社」という著書がある。それに色々の考察がある。

159 六月祓
夏川のふちは瀬になるうらみをもけふのはらへにたれか残さん
二二〇 夏川の淵は瀬になる恨をもけふのはらへに誰か残さん 文化十年

□古人の序をとりてよめるが趣向なり。さて古事を取る人は、人の知り昔よりよく人耳に聞き馴れたるを取るべし。さて此の歌の上では、はらへのことなり。とんとのもとは「古今」にある「世の中は何か常なる」云々。あすか川は加茂川の如く一雨降ればたゝちにかはるなり。淵は瀬になるとは、世の中のかはることなり。それより恨むなり。今はその恨もなきとなり。

○古人の序をとって詠んだところが趣向である。さて故事をふまえる人は、皆人が知り昔からよく人の耳に聞き馴れているものを取るとよい。さてこの歌の上では、祓えのことである。とんとの元は「古今」にある「世の中は何か常なる」云々(という歌である)。あすか川は加茂川の如く一雨降れば直ちに変わるのである。「淵は瀬になる」とは、男女の仲が代わることである。それ以来恨んだのである。今はその恨みもないというのである。

※「題しらず 世中なにかつねなるあすかがはきのふのふちぞけふはせになる」読人しらず、「古今集」九三三。

160 五十鈴川すゝ(ゞ)しき音になりぬなり日もゆふしでにかゝる白波

□「日も夕」、紐結ひにかける也。「日も夕暮にかゝる」とは古歌にあり。木綿(ゆふ)しでにかけたるは、景樹はじめなり。「いすゝ(ゞ)川」、「すゝ(ゞ)」とかけるなり。すゝ(ゞ)しきこゑになりぬ也、とよまれたり。

○「日も夕」は、紐結いに掛けてある。「日も夕暮にかかる」とは古歌にある。木綿(ゆふ)しでにかけたのは、景樹が最初である。「いすず川」は「すず」と掛けるのである。「すずしきこゑになりぬ也」、と詠まれた。

※「唐衣ひもゆふくれになる時は返す返すそ人はこひしき」読人しらず、「古今集」五一五。

参考。「風のおとにすずしき声をあはすなりゆふ山かげのたにの下水」従三位為子「玉葉集」四四〇。現代人には、こちらの為子の歌の方が断然よくみえる。しかし、景樹の方は常にこれまでの和歌史の総体を相手にして作っているところがあり、また先に名前が出ていた妙法院の宮をはじめとする都の貴族が読者の一部を占めているため、案外に古く見えるのは仕方がない。次の164、165の注解とともに、景樹の擬古的な修辞についての考え方を知ると、多少現代の詩歌人にも参考となる点はあるだろう。たとえば玉城徹の歌についての嗜好に、このあたりは根の部分で影響しているかもしれない。

  秋歌

161 初秋風
いまよりの秋のはつ風こゝろあらばもの思ふ袖はよぎてふかなん
二二二 いまよりの秋のはつ風こゝろあらばもの思ふ袖はよぎてふかなん 文政六年 初句 今ヨリハ を訂す

□恰好に付き巻頭におきたり。
○恰好の歌なので(秋部の)巻頭に置いた。

162 初秋露
片岡のあしたの原にあきたちてみだるゝものとなれるつゆかな
二二三 片岡のあしたの原に秋たちてみだるゝものとなれる露かな

□「みだるゝものと」なりたるが秋のしるしなり。朝の原はいつも露あるが、秋といへば思ひのまさる故に「みだるゝ」を出し来たるなり。

○「乱るるものと」なったのが、秋のしるしである。朝の原はいつも露があるが、秋といえば思いがまさるので「みだるる」を出して来たのである。

163 玉笹の葉分のかせにおとろけはことしも秋のつゆそこほるゝ
二二四 玉笹の葉分(はわけ)の風におどろけばことしも秋のつゆぞこぼるゝ

□別に説なし。但しいふことの少きが即ちよきなり。
○別に説明はない。ただし言うことの少いのがつまりは良い(歌)ということなのだ。

164 秋来水辺
みよし野のみくまが菅の下にのみ吹きけるあきの風たちぬなり
二二五 みよしのゝみくまが菅のしたにのみ吹(ふき)ける秋のかぜたちぬなり

□「三芳野のみくまが菅」、此の名所の用ひかた大事なり。「衣うつなり玉川の里」の類、玉川の里に限らぬ様なれども、ここが調にありて精神のある所なり。此の「三よしのゝ」、自問自答にしてみても、わかりかぬる位のものなり。歌はなき棚をさがすべしといふは、こゝなり。「萩の露玉にぬかんと取ればけぬよし見ん人は枝ながらみよ」といふ歌の如く、手に取らず見よと也。「みくま」、水隈なり。

○「三芳野のみくまが菅」、此の名所の用ひかたが大事である。「衣うつなり玉川の里」の類で、(特に)玉川の里に限らないようにみえるけれども、ここが調のうえで精神(注意を集中するべき点)のある所だ。この「三よしのの」について自問自答してみても、(どうしてそういう語の斡旋をしたのか自分でも)わかりかねるぐらいのものである。「歌は無き棚をさがすべし」(棚の空いた場所、つまり誰も作っていない新味を求めよ)と言うのは、ここである。「萩の露玉にぬかんと取ればけぬよし見ん人は枝ながらみよ」という歌のように、手に取らず見よ(ただちに直観的に、直接に把握せよ)という(ことな)のである。「みくま」は水隈だ。

※「萩の露玉にぬかむととればけぬよし見む人は枝ながら見よ」よみ人しらず、「古今集」二二二。
この段、詩歌創作の要所にせまる箴言とでも言おうか。吉野という地名の用い方のほか、結句の「風たちぬなり」は、中世以後の和歌に数例あるものの勅撰集にはない新味の感じられる語法である。

165 題知らず
旅人のもてるくしげの箱根山あけがたさむしあきやたつらん
二二六 たび人のもてるくしげの箱根山明(あけ)がた寒しあきやたつらむ 文化十二年

□箱根山をいはんための序なり。たび人が櫛をもちて行くといふ例もなきなれども、それが桂園の精神なり。さて此れが古歌にもありそ(ママ)うに聞ゆるなり。此れ面白き所なり。旅情が浮かぶやいかん、となり。

○(「旅人のもてるくしげの」は、)箱根山を言おうとするための序である。旅人が(実際に)櫛をもって行くという例(故実)もないのだけれども、そう言ってみせるのが桂園の精神である。それで、これが(いかにも)古歌にもありそ(ママ)うに聞えるのである。これが面白い所だ。(こう言うと)旅情が浮かぶではないか、どうだというのである。

※参考。「たまくしげ-はこのうらなみ-たたぬひは-うみをかがみと-たれかみざらむ」「土佐日記」。