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さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

日記と身めぐりの本

2017年05月06日 | 
※ 以下の文章は、一度消したのだが、まあ読めなくもないので、復活させた。検索機能のために関係の無い読者の方が来てしまうということはある。それはお詫び申し上げる。

連休中の唯一の贅沢として、「一番搾り横浜づくり」を買ってくる。味がさわやかでうまいし、缶に配されているブルーの色彩が何とも言えずいい。ふだんは、遺伝子組み換えのコーンを原料として使っていない「金麦」を主に飲んでいる。味は当初は特にうまいとも思わなかったが、慣れた。こちらは生協のマークがついているので信用できると思う。

最近は、外食や売り弁当は何を食わされるかわかったものではないので、極力買わないことにしている。昼の弁当はめんどうでも自分で作って持っていく。忙しい時は、ご飯と納豆を持参するだけの時もある。

豚肉は、割高だけれども生協の「茶味豚」にかぎると思う。脂身のうまさがぜんぜん違う。私の場合は、添加物の多い肉や古い肉を食べると、手首が腫れてしまう。肉によって腱鞘炎が悪化してしまうので、わかりやすい。「きれいな」肉を食べている時は、重いものを持っても腱鞘炎にはならない。腸内菌が敏感なせいだろうと考えているが、医学研究者のためにこの事実を材料として提供しておきたい。

それで、久しぶりの身めぐりの本の話題である。連休中に捜しものをしたら、本どもががさがさと音をたてて崩れた。困ったもので、紐で縛って固定してしまうと、それらの本は塊として読まなくなる傾向がある。だから、読む態勢に本を置いておくためには、紐で縛らない方がいい。しかし、これはジレンマで、基本書が底の方に行ってしまっていて見つからないということになりがちである。ああ、辞典はどこだ。あの全集はどこだ…。

でも、本を探す前には、上に乗っている酒瓶と空き缶と郵便物の束をどけなければならない。掃除が先だ。すると、小さな蜘蛛どもが、いっさんに逃げてゆく。二匹のこいつらは雌雄なのか。ならばつぶしたりしないように、持ち上げたものをすぐに置かずに、連中が退避するまでの時間を確保してやろう。などと、悠長なことを言っていると日が暮れてしまうが、どうせ最後まで終わらないのが片付けというものだ。それで、身めぐりの本。

三好達治『路傍の秋』昭和三十三年刊、筑摩書房
『定本川端茅舎句集』昭和二十一年刊、養徳社
小泉苳三『明治大正歌書年表』昭和十年刊、十二年再販、立命館出版部
高安國世歌集『真実』昭和二十四年刊、関西アララギ会高槻発行所
『定本吉野秀雄全歌集 第一巻』昭和五十二年刊、彌生書房
平野萬里『晶子鑑賞』昭和二十四年初版、昭和五十四年復刊、三省堂
山埜井喜美枝『歩神』一九九九年刊、砂小屋書房
川崎勝信『松村英一の風景』平成十四年刊、ながらみ書房
クルシェネク、レートリヒ『グスタフ・マーラー』1981年刊、みすず書房
片山敏彦訳『リルケ詩集』昭和37年刊、43年第9版、みすず書房
滝田ゆう『泥鰌庵閑話傑作選』二〇一二年、ちくま文庫
駒田信二『獣妖の姦』昭和五十五年刊、現代企画室
駒田信二『対の思想 中国文学と日本文学』昭和四十四年刊、勁草書房
室生朝子『父室生犀星』昭和四十六年刊、毎日新聞社
佐多稲子『女茶碗』昭和五十四年刊、三月書房
永井龍男『花十日』昭和五十二年刊、講談社
永井龍男『雑談 衣食住』昭和四十八年刊、講談社
芝木好子『春の散歩』昭和六十一年刊、講談社
菊村到『雨に似ている』昭和三十四年刊、雪華社、装丁森芳雄
藤沢周平『日暮れ竹河岸』平成八年刊、九年第三刷、文藝春秋
黒田杏子『金子兜太養生訓』二〇〇五年刊、白水社
木島始『本の声を聴く』一九九五年刊、新潮社

足元と背中にある本の一部を書きだしてみた。たまたま持って来てあるものもあるし、先月購入したばかりのものもある。

佐々木喜代子『遠きクローカス』

2017年05月06日 | 現代短歌 文学 文化
二〇一六年八月刊の歌集。これも積み上げた本の中から掘り出して、読んでいるうちにあっという間に読了した。深刻な内容だが、闊達でにぎやかな印象を受ける歌群である。いわき市在住の作者は、原発事故の直接の被害者の一人でもあるし、福島の知人の消息を身近に見聞きする立場にある。けれども、歌集を貫く気分のようなものは好日的で明るい。そこが本書の良い点となっている。

めづらしく嵩ある雪の積みし朝放射線量なべて下がりぬ  佐々木喜代子

過去形で言ひたきものをふくしまはなほも現在進行形にて

 これは巻末に近い震災四年後の頃の歌である。私はまずここからひろげて読みはじめ、最初に戻って読むことにしたのである。

屋内退避告げゆく声の走りまはりうはずりてゆく現となりぬ

ガラス戸をいち枚へだてたちまちに黄のクローカス界を異にす

 これは、原発事故の発生直後の歌。防災無線の声がとどろき、行政や消防の緊急アナウンスの音が街に響き渡ったのだろう。切迫した空気が伝わってくる。

喪失のひろがりを背に観光の集合写真のシャッターは鳴る

ガラス戸に夕餉の卓の映りをり さうだつたねと思はするごと

「放射能は正しく怖れよう」といふ 我ら歯ぎしりをして「正しく」

ああここにも被災住宅建つならむ記憶ひらたく均らされてゆく

いまはしきもの降りし地ににじみ出るリベツ、ブンダン、サベツ、被サベツ

山背風事故の地撫でてくるからに朝に開けしひむがしを閉づ

 これらの歌は、事故のあと、多少落ち着いてからの歌。当事者の立場に立って詠まれた作品は、するどい批評性を持って、被災の現実に問いを突き付ける。「いまはしきもの」とは、むろん放射能のこと。
 また、この歌集には戦時中の記憶を詠んだ歌もある。

名にし負ふ勿来の関をわたる風風船爆弾飛ばしし日あり

敗戦となれば勿来の風船基地湮滅の音はげしかりきと

 それにしても、ふくしまの喪失感は深いものがある。もう三首引く。

棄てられてゆくばかりなる町ありてまづ手はじめの草の丈かな

放射能のことはもういい ふくしまに疲れてしまつたお母さんたち

残されし我の時間にふくしまの劫初の空は戻りては来ず


中西敏子『天のみづおと』

2017年05月06日 | 現代短歌
 連休中に探し物をして、本の位置がかわり、出てきたものを手に取ってよみはじめたら、これがとてもいい。ところが、跋文を書いた山名康郎は亡くなってしまっているではないか。これは、二〇一一年三月刊の本への六年後の感想である。目に入って来たのは、次のような歌だ。

石打ちの刑なほ残るかの地にも今宵冬星青く光らむ  中西敏子

声あげて泣くも叶はぬ枇杷の木の傷口濡れて寒天に耐ふ

 石打ちの刑、枇杷の木の傷口と、むごく感じられるものを取り上げながら、そこに自らのいたみを仮託している。

メービウスの帯など知らぬからむしの白き葉裏は曖昧ならず

幾千の花を咲かせて弛まざる椿に寄する冬のこころを

風のなか危ふく揺るるわが傾り敗者でよいかと静かに問はる

 これは一人のこころの歌として完成しており、また自足した一つの世界である。このような毅然とした精神を持ちながら、作者は故郷の街へと帰還する。

平成の土佐に降り来ておもねざる大観の鶴 観山の鶴

容赦なく人をも町をも灼き尽し土佐の夕日はためらはず落つ

 はげしいものを内に秘めながら、たぶん意地を貫いてゆくほかはないと覚悟を決めている。そこに多少諦念がにじまないでもない。が、意志力はまだまだある。

これらの歌には、人の生き方についての美学が感じられて、私のようにそこに反応して読む読者もいるわけなのだが、難を言うとしたら、そこでやや型が出てきて、述志の歌の様式美のようなものに浸されてしまっているところがあり、つまりは自己愛になるから見極めが大事なのだ。もう少し細かくものを見て情念の表現に多様な要素が付け加わっていったら、なおいいのではないかと思うが、第一歌集としては十分に完成度が高い歌集であると思った。

※こういうものは書けるけれど、お礼の葉書の一枚が書けないので、著者の方には申し訳ないと常々思っております。





外塚喬『木俣修のうた百首鑑賞』

2017年05月06日 | 現代短歌 文学 文化
 近年はどうか知らないが、昔は学校の準備室などに行くと、たいてい木俣修の本が一冊や二冊は置いてあったものである。大部の『大正短歌史』『昭和短歌史』などが、近代短歌の鑑賞本とともに架蔵されていた。近代短歌が必修の一般教養の一部を占めていた時代に生きた木俣修は、そういう意味では恵まれた存在だった。近代短歌についての知識を保持し、維持管理する研究者の一人として認められ、一般にも尊重されていたと思う。

 しかし、生身の一個人としての木俣修の背負った苦難や、時代の課題と格闘しながら詩歌の創作に取り組んだ表現者としての苦悩の歳月は、実に長かった。木俣修の前半生は、一年おくれながら昭和十年代が三十代、昭和二十年代が四十代とちょうど重なっている。昭和十六年に妻を失い、愛息も昭和二十五年に病没した。著者は、そういう曲折の多かった昭和三十年までの作品の中から三十八首を拾い出している。そうして昭和五十八年に七十七歳で没するまでの作品の中から、全部で百首を選び出して丁寧に鑑賞した。

 あとがきに「木俣は、短歌界においては独自の世界観を持っていたばかりに、誤解されていたところがあった。作品よりも、学究の徒としての評価が高かったように思えてならない。最近では晩年の作品を高く評価する識者の声も増えているが、戦中戦後の作品にも目を向けることが必要である。木俣には、まだまだ知られていない深淵な世界があると言ってもよいだろう。」と著者はのべる。

 私は正直に言って木俣修の作品は、『高志』以外はほとんど知らなかった。今度の外塚の著書は、そういう私のような読者にも便宜をもたらすものである。幸い全歌集は手元にあるので、これを開いてみる取っ掛かりにしたいと思っている。少し本書より引いてみたい。

「  寒潮のいろさだめなし雪雲のひとところより光落ちゐて   木俣修

(略)「寒潮(さむしほ)のいろさだめなし」と二句切れにすることによって、目の前の海の色の変化の激しいことを暗示する。その海の色を染めているのは、雲間から洩れる日の光である。(略) 「ひとところより」と焦点を絞ることによって、光り輝く日射しが海面に注いでいる光景が見えてくる。 」

「 同じ一連には、

潮曲にたたまる寒の靄染めて岬のとつぱなにいまぞ日は落つ   (日本海)

※「潮曲」に「しほわた」、「寒」に「かん」、「岬」に「さき」の振り仮名あり。

がある。こちらも掲出歌に勝るとも劣らぬ作品であろう。「岬(さき)のとつぱな」は、いかにも修好みの言葉である。気持ちの張りつめた作品である。」

 こういう「いかにも修好みの言葉である」という文章を見て、なるほどそうかと思い当たる。こういうちょっとした一言に、長年読み親しんで来た人でなくては出せない味がある。もう一首。

六十歳のわが靴先にしろがねの霜柱散る凛凛として散る  木俣修

※「凛凛」に「りり」と振り仮名。

「ここには、大病を患う前の修の勢いのある姿を見る思いがする。」と著者は言う。精力的で覇気に満ちた木俣修の風貌が浮かんで来る歌だ。著者は昭和三十八年、その頃の木俣に師事した。師を語る時には、その人の持つ最良の部分が出る。本書は外塚喬の持つ最良の著書のひとつであろう。

秋山佐和子『長夜の眠り 釈迢空の一首鑑賞』

2017年05月06日 | 現代短歌 文学 文化
 『うたびとⅡ』(森山晴美集3)のなかに収録されている著者と岡野弘彦との対談を読んでいたら、

「歌の訳を「大意」として訳すのもおかしい。昔は現代語訳に苦心して、美しく訳したものです。今はあらすじが売れて読まれている。僕は「死者の書」のあらすじを頼まれたけれど、そんな愚劣なことに加担したくないと言って断った。」

 という言葉があった。インターネットというのは、「大意」が幅をきかせる文化だ。ここまでが枕である。

 岡野弘彦とつながりの濃い本で、先日出たばかりの秋山佐和子著『長夜の眠り――釈迢空の一首鑑賞』のよろしさを、何と表現したらいいだろうか。心優しい筆致で、人の世のかなしみに触れながら、作品の中から己のこころに響く言葉だけを取り出してみせる。折口から岡野へ、岡野から秋山へと、バトンを手渡すように相承してきたものに、読者は本書によって触れることができる。

端的に言うと、それはこの世とあの世の境にあるものを見つめ続けることが、人生に意味をもたらすという感覚である。それは、生の「かそけさ」を、言葉(声、息)の音によってあらわすことへの全身的な没入と集中によって成就されるものだから、「調べ」と「文体」がなくてはかなわないことなのだ。それが古代の「ウタ」につながる「様式」の持つ意味である。ただしその様式は、常に模索されなくてはならない。それが迢空の種々の詩型式や表記の仕方の創案につながった。次の歌についての本書の一節を引いてみたい。

山びとの 言ひゆくことのかそけさよ。きその夜、鹿の 峰をわたりし   釈 迢空

「この歌の鹿も、(略)神聖な役割を担った鹿と読みたい。それは、「かそけさ」という語のもたらす、或る古代的な力による。珍しいものを見たり、困ったことだ、とおおっぴらにいう意味合いから遠い雰囲気がこの「言ひゆくことのかそけさよ」に表されているからだ。
そして、一呼吸をおいて、「きその夜、鹿の」と、山びとの息をひそめた短い会話がそのまま伝えられ、結句で「峰をわたりし」と、山あいの細いけもの道をゆく鹿の姿を眼前に表出する。読後、はるかな時間を感じ、自分の身のうちに折り畳まれた古い祖たちの姿へと還っていくような感覚を覚える。」

しばしばすぐれた詩歌は美酒にたとえられる。歌の読みにも熟成する時間、読者が言葉と対話する時間が必要だ。本書には、秋山佐和子の人生の歳月が重ねられていると言っていいだろう。先に引いた森山の著書にもそれは感じられる。