さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

原田千万歌集『嬬恋』

2019年11月04日 | 現代短歌
 天草季紅さんらが出している『さて、』という雑誌がある。そのなかに原田千万歌集『嬬恋』から抄出したものがのっていて、読んでみると実にいい。本体の歌集の方は一度見た覚えがあり、その時には、さほど強い印象を受けなかったので、ちょっとめくっただけでそのままにしてあった。選出したのは天草季紅さんであると聞いて、なるほどそういうことか、と頷いた。何年ぶりかでお会いした際に、雑談の間にそういう話題が出たのである。それを書き写してみる。

  雪霏々と降りしきる見ゆ冬の蛾に羽なきもののあるを聞きつつ

  さよならと言ひてしばらくとどまりぬいつたい誰に別れきたるか

  異端ならずまして正統ならずかきくらし降る雪のなか独りありたり

  鳥の屍のなかにも空があるといふいかなる鳥がその空をゆく

  いくたびか霜のあしたを越えたれば蝶は襤褸といふばかりなり

  森ごとに鬼が棲みをりわがつひのすみか信濃をつつむ朝霧

  ゆゑもなきかなしみあれば樹の下に坐せりふたたび鬼となるべく

  なにものも見えねどふかきゆふやみに雪踏む音が遠ざかりゆく
  
  嬬恋のさくら花びらふりしきるゆふぐれ妻も語らずありき

特に四首目と、七首目以降の歌が、いまの私には心にしみる。ふと思い立ってキース・ジャレットのShenandoahを聞きながら、これを書き写した。

どういうところに共感するかというと、この頃私自身の書いたものを思い返しながら、あれは文学になっているのかな、なりきらなかったのかな、と反問することが多々あるからで、自分なりに力を尽くしてきたことではあるけれど、「異端ならずまして正統ならずかきくらし降る雪のなか独りありたり」とつぶやきたくなる瞬間は、私にもあり、「ゆゑもなきかなしみあれば樹の下に坐せり」という時も同様にある。同じように「樹の下」ではないが…。ある年齢になれば特に、ものをつくる人間は一様に孤独を強く感ずる時がある。

しかし、「鳥の屍のなかにも空があるといふいかなる鳥がその空をゆく」という歌は、たぶんシャイな作者の人柄を感じさせる控えめな言い方だけれども、ヴィジョンというものを持って生きることへの夢を、鳥のうちなる空に託していて感動的だ。



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