さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

日記

2020年01月02日 | 
〇 年末に宮本輝の小説『流転の海』をよみはじめて、一月一日に前日に書店に行って買い求めてきた単行本の第九部を読了した。主人公が死んでしまって、私はしばらく涙した。わざわざ一月一日に読了しなくてもよさそうなものだが、この機会を外すといつまた読めるかもわからない。自分の母の事を思い出したのだ。母は糖尿病になったが、小説の主人公熊吾とはちがって、それをインシュリンを打つところまで進行させずに、散歩と食事療法で克服した。しかし、最後はガンにかかって、これも十二年間たたかった末に亡くなった。最後まで立って歩いて、死の直前二週間ぐらいまでは自力で動いていた。亡くなる半年前ぐらいに医者に行ったら、今あなたがそうやって歩いているのが奇跡ですよ、と言われたという。それで、一月一日は午後に恒例の初詣に行ったほかは、粛然として過ごした。大詰めに向かうところで、主人公の妻は宿命という言葉を何度か思う。人は持って生まれた自分の性向や性癖、それから地縁、血縁、生まれ育った環境に左右されながら、各々の星を背負って生きてゆくのだ。

〇 三日まで職場はロックアウトなので今日も家にいる。この寒いのにどこかに出かける気はさらさらない。思いついて足元に湯タンポを置き、その上に足を乗せてみたら温かくてよい感じだ。ストーブもこたつも使わないでエアコンだけでは、どうしても寒い時がある。と、ここまで書いたら自分の親しい方からいま電話があって、年末に娘さんを亡くされたという。定年退職して第二の職場で働いていたというほどの年齢だったそうだが、おつらいだろう。そうか、共振していたのか、と思ってもみる。

〇 年頭所感、というほどのものでもないが、今年こそは、種子法の廃止や、遺伝子組み換え食品についての表示義務の簡略化といった、将来の国民の健康を破壊する政策・施策を平気で押し進めつつある政府や官僚組織について、文学にかかわる人や、小説を読むような人たちも関心を持つべきだと思う。
種子、特にお米の種の生産と販売を外資(モンサントなど)に譲り渡す政策をとめなければ、日本の文化の根源が侵食される。

 また当面の取り組み目標として、高校の「現代の国語」と「論理国語」から文学を排除せよと口頭で指示を出した大滝一登視学官を筆頭とする文科省の方々に考えの変更と訂正をもとめてゆきたい。人間は感情の「論理」で動くものであり、「文学」によってその人間についての知識と理解を深めなければ、どんな貿易も外交も成り立たない。そもそも「文学」と「論理」は背馳するものではない。「論理国語」という科目名自体が近視眼的産物ではないか。

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