さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

今橋愛『としごのおやこ』

2018年08月08日 | 現代短歌
 帯に次のうたがのっている。

いきてたらいいことがいっぱいあるって
むかしのわたしにいうてやりたい

女ありけり
何かから解き放たれて
息を吐きだす
40でやっと

 これを読むと、ひとつの命を授かって、そこで根源的な自己肯定を得られたひとのしあわせ、というようなことを思うわけで、「むかしのわたし」は、そういうことがこれっぽっちもわかっていなかった。関西弁で、そう「いうてやりたい」。

 私は自分のいささか自意識過剰の教え子の諸君に、「『自意識の鉄鎖』と、大正時代に辻潤というひとが言っていたけれど、その人は自由な生き方を通して、この前の戦争の末期にほとんど餓死に近いかたちで死んだ人なんだけれども、その人にしてそういう言葉を書きつけている。自意識とか、自尊心というものは、苦しいもので、私自身は、それが四〇歳をすぎたら何だか急に楽になった覚えがある。だから、だまされたと思って、それまでは苦しくても死んだりしないで生きていた方がいいよ。」なんていう、わけ知りっぽい中高年のせりふを、年に一度はかならず言う事にしている。

 というわけで、この帯のうたは二首ともよくわかるのだ。ただし私は死にたいというようなことは思ったことがほとんどなくて、というか、思ってもすぐ忘れることにしていて、自分に興味のあることがこの世には多すぎて、そんなことを考えている暇がなかった。色恋で喪失の経験に悩んでいる人には、宇野千代さんの、それにしても私の立ち直り方は目にもとまらぬほどに早かった、というセリフを紹介しておこう。結核の血がふとんについている画家のふとんにもぐりこんでも病魔に侵されなかった千代さんだもの、まあ、生命力がすごいのかもしれないが。

 ここで少し脱線するけれども、結核は、その人の一代か二代前の人が罹患していると、その子孫はかかりにくい免疫ができるのだという。たぶん母乳を通して伝わるのだとは思うが、宇野千代さんもそうだったのではないかと思う。それで、結核に罹患して直った昭和の世代の日本人の血液を研究用にきちんと保管しておいたらいいのではないかと、私は思うものだ。それとも、すでに取り組んでいるところはあるのだろうか。近頃は国が国立大学の基礎研究の予算を削っているそうで、そんな予算はないのかもしれないが。これは高齢者の結核治療にも使えるし、応用もききそうなアイデアだと思う。あとは、別に結核に限らないのでは?

 元に戻って、

女ありけり
何かから解き放たれて
息を吐きだす
40でやっと

という歌の「女」を「短歌」に読み替えて、

「短歌」ありけり
何かから解き放たれて
息を吐きだす
今橋愛の歌集でやっと

というように、私は言ってみたいのだが、どうだろう。本当に待望の一冊だ。補足して説明すると、私は自己否定全盛の世代の流れにある人間なので、こういう率直な自己意識を開放したよろこびを尊いものに感ずるのである。そこには、一種の眩しさのようなものが存在する。ただし、それはまるで手放しのものであるわけがなくて、そこににじむかげりを読みこんでいく楽しみがある性質のものである。たとえば、

おおみそかと
ついたちのあいだには
やねがあるような気がしつつ わたった

 こういう一首をあげるだけでも、今橋愛の微細な言語感覚と、大幅な修辞の一歩によって、自意識的なもだもだしたこだわりを飛び越える仕方がみえて、すがすがしい。ここには、たとえていうなら、人気の動物写真家の岩合光昭の写真で、ふつうの猫が溝を飛びこえる際にライオンのように見えるアングルから撮っているのと似たような仕掛けがある。「やねがあるような気がしつつ」だけでも非凡だけれども、そのあとの「わたった」の前の一字あきが、すばらしい。溝を跳ぶ時の気息のようなものが活写されている気がする。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿