さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

一ノ関忠人『木ノ葉揺落』

2019年03月20日 | 現代短歌
 人間の経験のなかには、時としてそれに向き合っていることがつらくて、どうしたらいいのかわからなくなるような出来事があるのである。著者は、自身の病気や、師の思わぬ早逝、親しい歌友たちの痛ましい死といったことに堪えながら、ずっと過ごして来たのだろうと思う。

 それだから余計に、近親の不幸も同じように受け止めて、じっとこらえて歌にしている。短歌は、そうした人生をしのいで生きてゆくなかでの〈ねばり〉のようなものを人に与えてくれる詩型でもあるから、著者が本集を刊行できるのは、まちがいなく短歌のおかげである。

  アスファルトの狭き亀裂に草みどりあかるき色にいのちが動く

 こういう心の動き方は、自分が徹底的に圧伏されるというか、打ちひしがれた経験のある人ならではのものだ。そうして、凡庸な歌人なら、結句は「こころがうごく」というようなものになるはずのところで、作者は「いのちが動く」と言った。ここに、この間の幾年にもわたる著者の苦しみと、そこから抜け出てきた経験の総量から得たものが端的にあらわれている。

  相模国分寺伽藍の址の芝はらに夕色ひろがるわれ立ち舞はむ

 これは実際に、何となく舞いに近い動作をしてみたのではないかと思う。詩歌のこころの躍動は、〈わざおぎ〉の躍動と等しいものがある。

  ザクロの木の若葉の芽立ちあかくして並び立つわたしのいのちに映える

 これも病者としての経験の中で切実に深まる思いから歌われている。

  一団のひかりがつつむ普請現場若きいのちの汗が飛び散る

  夜の闇のそこのみ光り横溢するモダン東京を滅ぼすために

 環状線などの道路工事現場を見て作った歌である。私もあの工事現場の活気と、力いっぱい鶴嘴を打ち下ろしてアスファルトを叩き割っている姿をみて感動したことがある。自身が弱っているときには、なおさら神々しいほどのエネルギーを感じることだろう。だから、この歌集のテーマは「いのち」であり、生きる力である。そこから逆に死をうたうことも可能になっている。

  裏切りは戦国の倣ひと人は言ふ然れど武田家の滅亡さびしき

 ※「滅亡」に「ほろび」と振り仮名。

  子すずめが音符のやうに跳びはねるたのしきところ自転車停めて

  畔道に踏み入ればたちまち飛びだしてすずめの連吟 よるな、くるなよ

 右の二首も作者が雀と常々対話しているから作れた歌だと思う。雀のものの感じ方は、何となく人間に近いところがある。これは、雀が人間の近くで共生しながら身につけた人間の感情との類似性だと私は思う。だから、彼らは礼儀正しいし、義理堅いし、教育熱心である。雀については、これ以上書くと、眉唾に思われてしまうのでやめるが。

 松代は倉田千代子の墓の町 川遡り寺に行き着く

 松陰の四時の説など言ひつのり益なきことと夜灯消したり

  ※「四時」に「しいじ」と振り仮名。

 一首目は自裁した友人についての歌だろう。二首目は、姉の詩を悲しむ妻への心寄せの歌。吉田松陰のあの文章は、最後まで人を励まし、慰める言葉であるのにちがいない。

 還暦を迎えると、どうもにわかに〈死〉が視野に入って来るようだ。それは、病気をしていればなおさらそうだろう。けれども、歌の発するところは、常に生命の揺らぎが生ずるところである。生きるものの輪郭は、濃くなり、また薄くなりして、千変万化の変貌をみせる。そこをとらえるのが、歌の妙味である、作者は、そこのところに十全に通じているのにちがいない。

 今日たまたま拡げた本に、ビルマ戦線で従軍した画家の手記があった。書きぬいてみよう。

「……時々ね、大きい葉っぱを見ると思い出すのだ。それが何の木で、何という葉っぱか分からないけどね。大きい葉っぱが2枚あったんです。葉っぱがあるなと思ってね見てた、確か二枚あった。1枚が落っこちたのかね、たった1枚になったのね。そこにかくれてダメになったのよ、人事不省に。そしたら太陽が動くたびに影が動くんだね。そういう自然の、地球の神秘を体得したとでもいうのかな、だからおそらく人事不省になっても無意識のうちにときどき影を日影の方へ動いていたんだね。それでビルマ人に助けられたんだ。」 足立朗 (『原精一・戦中デッサン展』図録解説)







最新の画像もっと見る

コメントを投稿