このところ、私のブログの固定読者の方には、御迷惑をおかけしている。財界と中教審の意向を受けた文科省の愚劣な新しい学習指導要領についての厳しいコメントを見て、心が癒されるような人は、世の中にまずいないはずである。しかし、繊細なものを守るために、猛々しい言葉を用意しなくてはいけない時というのもあるのである。
今日は私は、自分の娘の卒業式で大学の学長の方とお会いして、少しだけお話しすることができた。
文科省と言うよりも、やはり中教審を通して財界の意向がダイレクトに学校に押し付けられて来るのが、いちばんこたえるとおっしゃっておられた。以前は社員教育でやっていた内容を、その余裕がなくなったから、大学に押しつけてやらせようとしているのは、スジがちがうのではないか。というようなことをおっしゃっていた。私もそう思う。
今度の学習指導要領改訂で小中高と順に押しすすめて来た流れが完成する、と文科省の担当官は述べている。
新しい高校の教科書を中学校の教科書を参考にして作ってください、と担当官は言っている。例の中学校で大きな採用数を誇る光村図書の「伝え合う」なんとかいうタイトルの教科書などがイメージできる。
私は確信を持って言うが、今後の日本における、もっともすぐれた表現活動・創作活動の担い手は、多くがあの教科書に対して違和感を抱いたり、あの教科書によって教えられることに嫌悪を抱いた人々のなかから出てくるであろう、ということである。
私はひねくれ者なので、あの「伝え合う」という言葉が大っ嫌いである。これは、わかる人には、わかってもらえるであろう。
今日は私は、自分の娘の卒業式で大学の学長の方とお会いして、少しだけお話しすることができた。
文科省と言うよりも、やはり中教審を通して財界の意向がダイレクトに学校に押し付けられて来るのが、いちばんこたえるとおっしゃっておられた。以前は社員教育でやっていた内容を、その余裕がなくなったから、大学に押しつけてやらせようとしているのは、スジがちがうのではないか。というようなことをおっしゃっていた。私もそう思う。
今度の学習指導要領改訂で小中高と順に押しすすめて来た流れが完成する、と文科省の担当官は述べている。
新しい高校の教科書を中学校の教科書を参考にして作ってください、と担当官は言っている。例の中学校で大きな採用数を誇る光村図書の「伝え合う」なんとかいうタイトルの教科書などがイメージできる。
私は確信を持って言うが、今後の日本における、もっともすぐれた表現活動・創作活動の担い手は、多くがあの教科書に対して違和感を抱いたり、あの教科書によって教えられることに嫌悪を抱いた人々のなかから出てくるであろう、ということである。
私はひねくれ者なので、あの「伝え合う」という言葉が大っ嫌いである。これは、わかる人には、わかってもらえるであろう。
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