さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

前田愛の近代小説入門講義『女たちのロマネスク』

2016年06月04日 | 
 副題に<「にごりえ」から「武蔵野夫人」まで>とある。朝日カルチャーの口述筆記を元にして作られた本だ。本のタイトルは、一時代前の読者を意識した時代の衣装を身に付けている。わたしは前田の主著『都市空間の文学』をずいぶん昔に読んだ覚えがあるが、内容はほとんど忘れた。近代日本の小説入門としては、むしろ軽装備のこちらの本の方がいいのではないだろうか。有島武郎の章から引くと、

  「無意識の世界を言葉で表現するのは非常に難しいわけです。しかしここのところ(『或る女』の第十三章)は、これが大正時代に書かれた小説とは思われないくらい新鮮な描き方で書かれている。志賀直哉の『暗夜行路』はまちがいなく大正から昭和にかけて書かれた小説の中で屈指の名文です。しかし名文というのは、言葉によってつかまえられた世界というものを限定してしまうわけです。こういう『或る女』の文章は、一つの言葉があると、それに次の言葉がくっついてどんどん繁殖していく。あるいはもう少し別の言い方をすれば、核分裂を起こしていく。言葉が爆発するという趣きがこの第十二章から十三章にかけてはあるわけです。」

 こう述べて、前田愛は、完成度が高い後編を評価する本多秋五とちがって、むしろ文章にも荒っぽいところがある前編を評価する。

  「『或る女』を明治の新しい女性の因習に対する闘い、そういう思想的に、あるいはイデオロギー的に読むのではなくて、むしろ葉子の中の無意識の世界、あるいは葉子の身体、そういうところに視点をずらして読むと、確かに文章的には難はあるにしても、前編の方が魅力的出来ないか、そんなふうに思うわけです。」

 いまの日本では、一時期の「名文主義」みたいなものへの嗜好、つまり教養や蓄積がものをいう世界へのリスペクトが、薄れてしまっている事が問題ではあるのだけれども、この前田愛の視点は、いまでも生きているし、現代の作家や何かを作り出そうと思う人達が参照するに足る言葉であると私は考えるのである。




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