昨日はある雑誌を見て不愉快になったので、そうだ音楽でもかけよう、とスマホを取り出してハイドンのピアノ・ソナタをかける。Jean-Efflam Bavouzet の演奏である。
コロナで人と会うことが制限され、東京で開かれていた会合はほぼ壊滅した。ズームの会議にも何度か出席したが、ひとの言葉が、ただの情報になってしまうような気がする。これは私だけかもしれないが、何かやっていて、上の空のような感じがしてならないのである。語られていることがみんなフィクションになってしまっているような、実感のとぼしいものに感じられて空しい。だから、野菜をきざんだり、木の枝を切ったり、雑草を抜いたりしていると、そういう手を動かす仕事のありがたさを強く感じる。
今日は連休初日だが、要するに普通の土曜日であることにかわりはない。起きてから買い物に行き、米とパスタを買ってきた。パスタを四人前茹でながら、朝食に昨晩のカレーの残りを一斤の六枚切りのパンを二枚焼いたのにつけて食べた。そのあとで実りはじめたトレイの苺に水をやり、バナナを一本食い、プチトマトを五、六個口に放り込んでから、空けていなかった部屋の雨戸をあけ、トイレに行き、昨日やってもらった水漏れの修理の結果、水道メーターが動いていないかどうかを外に出てメーターで目視確認した。それから壁に釘でフックを打ち付けて、大きいので壁に掛けておくほかない栗原信の油彩額を設置した。
栗原信は、茨城県の画家で、ペインティング・ナイフで描いた油彩の風景画に特徴がある。二紀会の会計などをつとめたという。市場価格は低く、絵は大きさや油彩、水彩の区別なく、どれも二万円から三万円台で取引されている。私のような貧乏美術愛好家でなかったら目を付けない絵だろう。ネットのオークションをみると、その二、三万円目当ての贋作も出ているようだ。私が購入したのは、藤田画廊のシールが破れかけた裏貼りの紙に貼ってあった「金閣」を描いた二十号で、写真でみると垢抜けない田舎臭いものに見えるのだが、実物は金閣という美そのものを形象化しようとする画家の虚心な意志と意欲が感じられるのである。
私はその前にもう一点、二十号の大きな「山門」というタイトルの絵を入手していたのだが、これは画家が六十二歳の時に描いたものである。つまりは今の私と同じような年齢の時の作品で、木立の奥の寺の山門らしき建物は、老いの時間と死の入口を形象化したもののように見える。目に見えるものを描いていながら、自分のなかにあるものを描くのだと画家は言っていたそうだから、具象画ではあるけれど、一種の象徴的な絵といってよいであろう。これは額のガラスがなくて、同じ茨城県出身の永瀬義郎の本で読んだ生のジャガイモを使用するやり方で画面を洗ってみたが、あまり汚れてはいなかった。いかにも地味な絵なのだけれど、後期印象派の大家の絵と並べても恥ずかしくないものだと私は考えている。
コロナで人と会うことが制限され、東京で開かれていた会合はほぼ壊滅した。ズームの会議にも何度か出席したが、ひとの言葉が、ただの情報になってしまうような気がする。これは私だけかもしれないが、何かやっていて、上の空のような感じがしてならないのである。語られていることがみんなフィクションになってしまっているような、実感のとぼしいものに感じられて空しい。だから、野菜をきざんだり、木の枝を切ったり、雑草を抜いたりしていると、そういう手を動かす仕事のありがたさを強く感じる。
今日は連休初日だが、要するに普通の土曜日であることにかわりはない。起きてから買い物に行き、米とパスタを買ってきた。パスタを四人前茹でながら、朝食に昨晩のカレーの残りを一斤の六枚切りのパンを二枚焼いたのにつけて食べた。そのあとで実りはじめたトレイの苺に水をやり、バナナを一本食い、プチトマトを五、六個口に放り込んでから、空けていなかった部屋の雨戸をあけ、トイレに行き、昨日やってもらった水漏れの修理の結果、水道メーターが動いていないかどうかを外に出てメーターで目視確認した。それから壁に釘でフックを打ち付けて、大きいので壁に掛けておくほかない栗原信の油彩額を設置した。
栗原信は、茨城県の画家で、ペインティング・ナイフで描いた油彩の風景画に特徴がある。二紀会の会計などをつとめたという。市場価格は低く、絵は大きさや油彩、水彩の区別なく、どれも二万円から三万円台で取引されている。私のような貧乏美術愛好家でなかったら目を付けない絵だろう。ネットのオークションをみると、その二、三万円目当ての贋作も出ているようだ。私が購入したのは、藤田画廊のシールが破れかけた裏貼りの紙に貼ってあった「金閣」を描いた二十号で、写真でみると垢抜けない田舎臭いものに見えるのだが、実物は金閣という美そのものを形象化しようとする画家の虚心な意志と意欲が感じられるのである。
私はその前にもう一点、二十号の大きな「山門」というタイトルの絵を入手していたのだが、これは画家が六十二歳の時に描いたものである。つまりは今の私と同じような年齢の時の作品で、木立の奥の寺の山門らしき建物は、老いの時間と死の入口を形象化したもののように見える。目に見えるものを描いていながら、自分のなかにあるものを描くのだと画家は言っていたそうだから、具象画ではあるけれど、一種の象徴的な絵といってよいであろう。これは額のガラスがなくて、同じ茨城県出身の永瀬義郎の本で読んだ生のジャガイモを使用するやり方で画面を洗ってみたが、あまり汚れてはいなかった。いかにも地味な絵なのだけれど、後期印象派の大家の絵と並べても恥ずかしくないものだと私は考えている。
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