さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

井上法子歌集『永遠でないほうの火』 2

2016年07月03日 | 現代短歌
 承前。同じ一連を読んでゆく。

紺青のせかいの夢を翔けぬけるかわせみがゆめよりも青くて
翠雨ぬけてきみのほうから飛び立ってきたのだというこころに ここに
もう一度 のぞきこむこのまなうらに真っ青な羽ばかりうつるよ

 「かわせみ」は、恋人の暗喩として読む。また、瞬間に成立するするどい詩美というものの代名詞でもあろうか。同系色の絵の具を塗り重ねたような一首め。「紺青のせかいの夢」なのだから、<「世界」は「紺青」である>という「夢」を見ているのである。そこを翔けぬける「かわせみがゆめよりも青くて」なのだから、「夢」で見ていたよりも、さらに「かわせみ」は青かった、というのである。修辞のなかにある論理が強い歌だ。意味は、「かわせみ」の「恋人」と出会ったみたら、言い換えると「世界」の世界性にまともに立ち会ったみたら、私は強い感動にさらされたのだということだろう。

 三首めも修辞のうえでの論理性は、かなりきつくて、「新古今和歌集」の恋歌並みに理詰めである。「もう一度 のぞきこむ」の「のぞきこむ」と、「このまなうらに真っ青な羽ばかりうつるよ」の「このまなうら」は、「このまなうら」に両方から言葉が掛かっている。<青い色のかわせみを見ている私>の目の奥を、「もう一度 のぞきこむ」わけだから、何というか、自分で自分の目の奥をのぞいているような不思議な感じを受ける。こういう歌の骨法は、山中智恵子などから得たものだろうか。このあとも架空の相聞の相手との対話は続くのであるが、「真っ青な羽ばかり」目に見えるということのなかには、至高にして不毛である、という一つの詩美のあり方の含む問題がある。そこは、次の歌で上手に転調する。それに青の同系色の抒情歌というのは、読んでいる方も飽きるから。

ぼくたちのひたくれないの心臓をはべらせ薫風がやってくる
あかねさす瑞花を、春を見送って乗り遅れても拾える風だ
(ぼくは運命を信じない)たましいの約束だからきっと歌える

「瑞花」に「ずいか」と振り仮名がある。ここで読む方が少し眠くなっているのを起こすように「ぼくたちの」と持って来るあたり、「あかね」を出して転調してみせるあたりには、配列の妙を感じる。ただ、上の一首めの「ひたくれないの心臓」も「薫風がやってくる」も既成の詩語の通貨だから、「心臓をはべらせ」というように「はべらせ」でつなぐところがやや短歌的で、うまくまとまって見えるだけに、私はあまりほめたくないのだ。三首めの結句、「きっと歌える」で、これもうまくまとまっているのだが、もう少し刺激がほしいと、私などは思ってしまう。


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