さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

綾部光芳歌集『水泉』 2

2016年07月17日 | 現代短歌

冬の身もこころも固くなるならむもの言ひしのち呆然と立つ
ほんたうに敵となるのか幾人か遠巻きにしてひそひそ話す
註文の来ざるを言ひゐし方代のことばに実感ありしあのとき
弄翰を自ら審査し大賞と為したる顧問の書家は罷めたり
  ※「弄翰」に「ろうかん」と振り仮名。あまり出来の良くない書、というほどの意味。

 これは人事の歌である。歌壇や結社、それだけではなく地域の文化的な活動に携わっていると、時には種々の軋轢が生ずることがある。言ってしまってからでは遅いのであるが、 文句を言った相手は以後こちらを敵とみなして向かってくる。こちらは一人、あちらは徒党を組んで多くの人を率いている。つらいことだ。でも、それが何であろうか。つぎの歌のように、信じられる師があれば、われわれはそうした日常の煩悶を乗り越えられる。

<好き歌は明晰 清韻 生命ぞ邃き>と喜典先生しみじみ言はる
  ※「好」に「よ」、「邃」に「ふか」と振り仮名。

ここに言われている橋本喜典の歌自体が、まさに「清韻」であり、泉のようないのちの湧きあがりが感じられる高雅なものである。本集のタイトルである「水泉」は、おそらく作者が幼時から親しんだ飯能や秩父の田野の湧水のことであり、また、いまここに自分が生かされている、そのような生命の源に触れんとする願いを含意として持つのでもあるだろう。 
 しかし、作者は自他への批評的なまなざしを忘れはしない。

目眩ましの言葉ならむや減染と言ふべきところを除染と言ふを
誰も彼も歌ひしのちに一斉に潮引く行為かつてありにき
衛ぎ得ずメルトダウンになりたるを想定外で済まさうとする
  ※「衛」に「ふせ」と振り仮名。「衛」の元の字は「行」の中が「韋」ではなく「吾」。
放射線のとびかひゐたる過ぐる日よ南から北へと風吹きやまず

 今年になって明らかになったように、社長の指示で東電は「メルトダウン」という事実認識を、わかっていながらあえて公表していなかった。当時の交通機関は、計画停電の影響で一部は歩いたり自転車を利用したりしなければならない状況であった。風に吹きさらされながら、私も通学の学生さんたちの背中を見ながら、朝晩停まっている区間を歩いた記憶がある。だから、このことは歌い残しておかなければならないのだ。

忽然と姿消しゆく特権を八十歳代は手に入れにけり
いまもしも憶良がをれば最新の医療を受けて蘇らむか
アンドロイドばかりの歌壇さうなれば歌集をつくるヒトゐなくなる

 これをみると、なかなかしゃれっ気のある作者であることがわかるだろう。作者からすると、もしかしたらこの私も「アンドロイド」の徒かもしれないが、「ヒト」ならば生老病死にまつわる諸苦からのがれられないわけで、そこは楽観している。最後に秩父の歌を引いてみたい。

あく山と呼ばれてきたる武甲山湧きたつ霧は疵隠しゆく
切つ先の鋭き刃にてざつくりと斬りたるごとし秩父の溪は
武甲嶺の真上よりせり出してゐる雲の眩しきまでに雷抱へをり


綾部光芳歌集『水泉』 1

2016年07月17日 | 現代短歌
 飯能に生れ育ち、五年前から秩父に越して暮らしているという作者の第七歌集。緑の豊かなところに隠棲しているかたちだが、世間の出来事や、自他の在り様を問う作者の言葉は、きりりと引き締まっていて、批評的な含蓄に富む。

旧居には思ひ出多しちちははもはらからも妻も住みてゐたりき
わがつひの日を思はむかいつぽんの椿を剪れば血噴く思ひす

「ちちはは」も「妻」も、もうこの世には居ない。転居にあたって遺愛の木を切ったのだろう。哀切な歌である。

たまものの新蕎麦の香をしみじみと味はひゆくにきみを想ふも
壮年と晩年の妻を想ふときそれぞれ滝のやうに響かふ
調子にはのるなと天よりこゑのあり妻の声かも目覚めてみれば
恋しきは手の届かざる地にをりて匂ひも届き来ざる晩秋

 決定的に失ってしまったあとでも、常にその人と対話をすることができるなら、その人はうしなわれていない。作者は、折々に「天よりこゑ」のようなものに触れているのだ。

錯乱に抑への効かぬもの言ひを自他痛め深き傷負はすなり

 これは私も身近の人から聞いたことがある場面なので、周囲の痛みはいかばかりかと思う。人はそう簡単に老いもせず、また死にもしない。話の通じなくなった相手とやりとりを重ねるごとに傷は深まるのである。つらいことだが、こうやって見つめて歌の格調のなかにつかみ、詠懐の詩とするのである。