鹿児島に行った1日目(13日)桜島に行きました。 鹿児島と言えば桜島を思い浮かべる人が多いと思いますが、 今でも頻繁に小爆発をおこして、灰を降らせ 薩摩人は、厄介者と思いつつ、でも愛している山です。 桜島に渡るフェリーは24時間運行していて、昼間は10分~15分おきに出ている。 何の手続もなく車に乗ったままフェリーに乗り込み、15分ほどして島で下りれば、 料金所があって、まるで橋のようなものです。 桜島港から車で15分(地図)、有村溶岩展望所に 海音寺潮五郎の歌碑があるというので、写真を撮りに行きました。 ここで見られる溶岩原は、1914年(大正3年)の大噴火の時に噴出したものです。 この噴火によって桜島は島でなく大隅半島の付け根で陸続きになりました。 以前来た時に碑を見なかったので、売店で聞くと、オバサンが奥に向かって 「カイオンジなんとかって碑があったっけ?」 ときいて、二言三言会話すると売店の裏手を指さして 「ここ登ったとこに何か碑があったみたいよ」 というので、登ってみたら、すぐのところにありました。 (海音寺潮五郎の認知度は鹿児島でも案外低い) 「わが前に桜島あり 西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ」 歌碑に刻まれたこの歌は祖父の歌の中でも私は気に入っています。 西郷、大久保、斉彬、久光、篤姫、小松帯刀もみんな見た桜島。 どんな思いで見たことでしょう? |
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そうそう、その大正の大噴火のとき、母は8歳で記憶あり。ものすごい揺れと地響きとで、市外の親戚の竹薮に避難した由。
流言飛語が飛び交って、今にもここまで火山流が押し寄せてくるというような、火が来るぞーと言うので、足がもつれて怖かったと。
一夜を外で過ごして、家に戻ったら泥棒に入られていたとか、母は、地震の最中に泥棒を働くってすごいなあ~と思ったことを覚えているとか。外に竈を作ってご飯をたき食べたのが最高に美味しかったと笑っていた昔日の思い出がよみがえりました。鹿児島は私の半分の故郷です。お元気で~
お母さまがあの大噴火をご存じとは、案外近いことなのですね!
歴史はあっという間にどんどん積み重ねられていきます。
祖父は西南戦争の話を聞いて育ちました。
私は太平洋戦争の話を聞いて育ちました。
直接体験したり、直接体験した人に聞けたりすると
そのリアリティさが伝わりますね!