今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

風薫る・・・という天気でしたね

2023年05月03日 | 徒然なるままに
気温は少し高めでしたが・・・吹く風はさわやか・・・風薫る五月ですね。

六日が立夏・・・暦の上では夏になりますね。

風薫る・・・新緑のころ、風がさわやかに吹く事を呼びますが、

俳句では夏の季語

「夏草や君わけ行けば風薫る」 (正岡子規)


和歌では梅や桜(香りはしませんが・・)、橘などの花の香りをのせて風がさわやかに吹く意味で詠われていて、季節も夏とは限りませんでした。

「風かをる木の下道は過ぎやらで花にぞ暮らす志賀の山越」(『続拾遺集』(建治2年〈1276年〉))
匂うはずのない、桜の香りを詠んでいます。

最古の例は、

「明方は池の蓮も開くれば玉のすだれに風薫るなり」(藤原俊成『長秋詠藻』(治承2年〈1178年〉))

だそうですが、風薫る自体は、文宗皇帝と政治家である柳公権(778-865)の問答の一節

「薫風自南来 殿閣生微涼」(薫風南より来たる。殿閣は微涼を生ず」に由来するといわれています。

この漢詩は一休禅師の書としても知られています。

南風が吹いて、館が涼しく感じる・・・何っていう事の無い詩ですが、実は奥深い意味があるんですね。

この漢詩は、皇帝が臣下の「柳公権」と交わした問答です。


まず文宗皇帝が

人皆苦炎熱(人は皆炎熱に苦しむも)            
我愛夏日長(我は夏の日の長きを愛でむ)

このように云いました。  

それに柳公権が答えて。

薫風自南来(薫風は南より来たる)    
殿閣生微涼(殿閣に微涼の生ず) 

と云いました。  

要するに、王様が「世の中の人間が、熱い夏にふうふう苦しんでいるが、私は日の長い夏が大好きなのだ」、と云えば、

臣下が、「いや本当にいい南風ですね。この城に微かな涼さを呼んでくれます」と何のたわいもないことを云ったに過ぎません。


しかし、これを禅的に解釈すれば、感じ方によって、同じ風でも「炎熱の風」つまり「熱風」と感じ、嫌いになってしまうものであるが、

夏が好きだと思って、同じ風を受ければそれがまるで違ったものに感じる、という事でしょうか。

柳公権が王様にゴマをすって言っている訳ではなくて、熱風を薫風と言い換えて、それは南より自(おの)ずから来た風と云っています。

この「自(おの)ず」は、良く知られた言葉

「滅却心頭火自涼」(心頭滅却すれば火も自ずから涼し)と同じ意味があります。

単に南「より」というような意味ではなく、

「自然」の「自」であり、「自ずから」の「自」です。

この自然に自ずから吹いて来た風を薫風と感じることによって、世界は変わります。

自ずから吹いてくる風というものを避ける術などない。それを肯定的に感じる精神を持つことによって、

世界を一変したものとして感じることができると云っているのでしょう。

・・・とっ、いっても・・・悟りを開いていない凡人の私は・・・クーラーの力を借りないと暑い夏は過ごせませんね。

ましてや、火なんて・・・

おっと・・・前置きが長くなりました。m(__)m

山桜のさくらんぼ・・・鳥が食べているんでしょうか、だんだん数が減っています。


家族総出みたいですね。


シラン


菖蒲









田植えの終わった田んぼ


ゼニアオイ


麦畑の様子を見に・・・






帰り道・・・いろいろな花が咲いてました。










chatGPTの話題は別の機会に・・・m(__)m

では、今日の続きは、また明日 (^.^)/~~~









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