鎌倉に戻った範頼の邸には来訪者が絶えず、
また範頼自身もあちらこちらに出向く用があり多忙だった。
そのような日々の中、範頼邸に鎌倉殿の使者が訪れた。
翌日大切なことが披露される故に束帯で大蔵御所に来るように
というのが使者の口上だった。
その夜、舅の安達盛長とその妻小百合が範頼のもとへ現れた。
盛長は至極上機嫌である。
「明日は良きことがございまするぞ。」
と盛長は言う。
「ほれ、これが我が家からのお祝いでござる。」
そう言うと、盛長は衣装を二組妻から差し出させた。
右側が黄色の袍の束帯一式、左側が緋の袍の束帯一式である。
「こ、これは。」
範頼は息を呑んだ。
「明日は黄の袍を着て御所へ参上なさいませ。それから緋色の袍をご持参するのもお忘れなく。」
この二色の袍の意味を範頼は知らぬわけはない。
束帯は朝廷に仕えるものの正式な装束である。
その装束には厳密な決まりがある。
その最たるものが最も上に着する袍の色である。
着るものの位階によって着る袍の色が違うのである。
大蔵御所に参上するときに着するように言われた「黄の袍」は無位のものが着る色である。
そして持参するように言われた「緋の袍」は五位のものが着するのを許される。
つまり、翌日範頼は五位の位階、そしてそれに相当する官職を獲得するであろうということが推察されるのである。
元暦元年(1184年)六月二十一日、丑の刻に起きた範頼はまず入浴し身を清めた。
それから一刻以上かけて束帯を身に着ける。
着る範頼も着慣れず、着せる妻の瑠璃も着せ方がよくわからなくてまごついた。
そこへ、姑の小百合が現れて手早く束帯を身に着けさせた。
宮仕えの経験があるだけにこのようなことには小百合は手際がいい。
やっとの思いで束帯を身に着けたが、今度はうまく動けない。
幾重にも着るものを重ねている上に、下襲が変なところにひっかかったりする。
そして勺も持ちなれないために違和感を感じる。
はく太刀も普段のものとは形状が違う為に変な風に動く。
このとき範頼はまさに「束帯に着られた男」になっていた。
着慣れぬ束帯を着た男は馬に乗るにも苦労する。
馬にのって西国に遠征した将は初めて馬にのせられた幼子の如く郎党の当麻太郎に馬の口をとられてゆるゆると大蔵御所に向かった。
前回へ 目次へ 次回へ
また範頼自身もあちらこちらに出向く用があり多忙だった。
そのような日々の中、範頼邸に鎌倉殿の使者が訪れた。
翌日大切なことが披露される故に束帯で大蔵御所に来るように
というのが使者の口上だった。
その夜、舅の安達盛長とその妻小百合が範頼のもとへ現れた。
盛長は至極上機嫌である。
「明日は良きことがございまするぞ。」
と盛長は言う。
「ほれ、これが我が家からのお祝いでござる。」
そう言うと、盛長は衣装を二組妻から差し出させた。
右側が黄色の袍の束帯一式、左側が緋の袍の束帯一式である。
「こ、これは。」
範頼は息を呑んだ。
「明日は黄の袍を着て御所へ参上なさいませ。それから緋色の袍をご持参するのもお忘れなく。」
この二色の袍の意味を範頼は知らぬわけはない。
束帯は朝廷に仕えるものの正式な装束である。
その装束には厳密な決まりがある。
その最たるものが最も上に着する袍の色である。
着るものの位階によって着る袍の色が違うのである。
大蔵御所に参上するときに着するように言われた「黄の袍」は無位のものが着る色である。
そして持参するように言われた「緋の袍」は五位のものが着するのを許される。
つまり、翌日範頼は五位の位階、そしてそれに相当する官職を獲得するであろうということが推察されるのである。
元暦元年(1184年)六月二十一日、丑の刻に起きた範頼はまず入浴し身を清めた。
それから一刻以上かけて束帯を身に着ける。
着る範頼も着慣れず、着せる妻の瑠璃も着せ方がよくわからなくてまごついた。
そこへ、姑の小百合が現れて手早く束帯を身に着けさせた。
宮仕えの経験があるだけにこのようなことには小百合は手際がいい。
やっとの思いで束帯を身に着けたが、今度はうまく動けない。
幾重にも着るものを重ねている上に、下襲が変なところにひっかかったりする。
そして勺も持ちなれないために違和感を感じる。
はく太刀も普段のものとは形状が違う為に変な風に動く。
このとき範頼はまさに「束帯に着られた男」になっていた。
着慣れぬ束帯を着た男は馬に乗るにも苦労する。
馬にのって西国に遠征した将は初めて馬にのせられた幼子の如く郎党の当麻太郎に馬の口をとられてゆるゆると大蔵御所に向かった。
前回へ 目次へ 次回へ