時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百六十二)

2008-06-07 05:12:06 | 蒲殿春秋
小百合が生まれた頃は、比企尼の夫は都で官職を得てそこそこの生活をしていた。
小百合の下の妹が生まれた頃比企家の生活が少し変わった。
同じ時期に生まれた源頼朝の乳母に比企尼がなったのである。
娘達を連れて頼朝に仕える生活が始まった。

やがて、小百合は年頃になり、伝を得て宮仕えすることになった。
「丹後内侍」というのが小百合の女房名であった。
年頃でしかるべきところに宮仕えしているということであれば、当然恋の話に事欠かない。
そのように楽しい宮仕えをしているころに比企家を揺るがす大事件が発生した。
「平治の乱」である。
この乱によって頼朝の父義朝は謀反人として敗死、頼朝自身も伊豆へと流刑になってしまった。罪人として領地などの全ての財産を公に没収され、流人となったその日から頼朝の生活は困窮を極めることは目に見えていた。

流人となった頼朝を支えたい、比企尼は強くそう願った。
比企氏は幸い武蔵国に縁がある。
比企尼とその夫は決断した。武蔵国比企郡に下って、そこから仕送り等をして頼朝を支える生活をしようと。

比企尼とその夫そして下の娘二人は武蔵へと下った。
けれども小百合は都へ残った。
すでに、都で深い関係になった男がいたからである。
数年間、小百合はその男の想い人として過ごしながら宮仕えをしていた。
正式な結婚ではなかった。
けれども二人の間には男子二人が儲けられた。
後の島津忠久と若狭忠季である。

しかし、人の心は移ろいやすいものである。
いつしか男は小百合の許を去っていった。
小百合は、父母のいる武蔵に帰ることにした。

生活が落ち着くと、小百合は母に伊豆にいる頼朝のそばに行かないかと勧められた。
自分が伊豆に行きたいくらいであるが、武蔵の所領の管理があってそこから離れらない。
代わりに行ってほしい、と。
妹たちは既に嫁いでいた。

小百合は二人の息子を母に委ね、伊豆へと向かった。
伊豆の頼朝の側には、安達盛長や佐々木兄弟がいたのだが、
いかんせん女手がない。
男所帯の伊豆の配所において小百合は重宝がられた。
流人として孤独な生活を送っていた頼朝も乳母子の小百合がいることで心が多少和んだところも
あったようである。

伊豆で日々を送るうちに、いつしか盛長と小百合は恋仲となり、二人は夫婦になることを決めた。
この縁談を比企尼も喜んだ。
けれども、盛長が仕える頼朝は流人である。
流人の側近が妻を迎えるのに盛大な婚儀を行なうわけにはいかない。
頼朝の列席のもと慎ましやかに婚儀が行なわれた。
嫁入りの道具など何一つ揃えることのない結婚だった。

その後、盛長と小百合の間には瑠璃と弥九郎が生まれ、
小百合の前の恋人との間に生まれた男子は年頃になると父親を頼って都へとのぼり
父の伝で近衛基通に仕えるようになった。

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