時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百六十六)

2008-06-16 20:51:23 | 蒲殿春秋
父義朝の法事を無事に行なうことができた。
この時頼朝は無意識のうちに弟達を支配する網を投げかけていた。
祖先の祭祀を主催するというのはその一族の族長の権利である。
つまり、ここで生存している男兄弟を全員集めて父の法事を頼朝が施主としてとり行ない、
やがて父の遺骸を頼朝が引き取って埋葬供養をする意思を示したということは、弟達に大して頼朝が彼らの族長であることを宣言したに等しい。
またそれに列席し、頼朝の言った言葉に何も意義を申し立てなかった弟達はその宣言を認めたことになるのである。

頼朝が子としての責を語り、父への限りない追慕の感情を隠さない態度、それは決して演技ではない。頼朝の本心である。しかし、自分と並び立つ武家棟梁の存在をゆるさない、弟といえども自らの支配下におくべきだというのも、頼朝のもう一つの偽らざる本音である。
父への思慕と弟達を支配すること、これが頼朝の内部で矛盾無く同居している。

ともあれ、範頼は婚儀の日までここ大蔵御所で過ごすことになる。
年始のあわただしさの中範頼は頼朝の許に出入りする人々を見ることになる。

その人々の中に各神社の神官やその御厨の住人が多いことに気づく。
伊勢神宮の神官や住人たちが度々来訪する中
ここのところ常陸の鹿島社の人々の出入りが多い。
どうやら、鹿島社への年貢の納入や所領の境界線などを巡っての揉め事が多いらしい。
特に、常陸に古くから勢威を張っている常陸大堟一族や頼朝の叔父志田義広と大いに揉めているようである。
特に、志田義広との諍いは深刻な状況になっているようである。

そのような折、安田義定の使者が頼朝の元に現れた。
使者の口上は次の通りだった。
平家が軍備を整えている、いずれかに出陣かは不明だが東海道筋に来る可能性も捨てきれない。
今度の出陣はこれまでに比べると大掛かりな準備がなされているという。
甲斐にも援軍依頼を出しているが、鎌倉からも援軍を願いたい。
と。

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