時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百六十六)

2007-09-14 05:34:44 | 蒲殿春秋
範頼が鎌倉へ向かうことになったのは安達盛長の三度目の来訪の後のことであった。
その留守の間は、盛長と鎌倉の重鎮和田義盛、そしてその手勢が三河に滞在することになった。
この鎌倉殿の配下の兵の滞在に異を唱える三河の者はいなかった。

三河西部の額田郡は元々頼朝の母の実家熱田大宮司家との縁が深い。
その熱田の血を引く頼朝には額田郡の人々は好意と親近感を抱いていた。
また、三河の伊勢神宮領の住人たちの頼朝に対する印象も良好である。
彼らが反感を抱いている行家の接近を退け、
頼朝自身が伊勢神宮を重んじる態度を見せているからである。
そして、先般の食糧の支給で頼朝の評判は上がっている。
さらに範頼の不在中に滞在する予定の安達盛長も三河に縁があり、
その人柄の評判も良い。

三河の人々は「せっかくなれば、この機会に是非ご兄弟の対面を」
と勧めてくる。
この声を無視してまで鎌倉行きを拒むこともない。

しかも幸運なことに、先日信濃で起こった「横田河原の戦い」で木曽義仲らが
越後の親平家勢力の城氏を撃破、壊滅させて以来
北陸諸国で反平家の動きが活発化しており
平家追討軍は、東海道の動きよりも北陸の動きに神経を尖らせている。

範頼がいったん三河を離れて鎌倉に向かうことにはなんの不都合もない状況になっていた。
範頼自身も兄頼朝に会いたい気持ちはある。

だが範頼の心に一つだけ心に引っかるものがある。
安田義定のことである。
頼朝の挙兵の混乱の際、遠江から甲斐に逃亡して以来範頼は安田義定の保護をうけ
行動を共にしてきた。
義定は範頼の恩人でもあり、盟友でもある。
この鎌倉行きを義定がどのように思うか気にかかっている。

義定は範頼が鎌倉に行くことは反対はしていない。
けれども、鎌倉殿配下の軍の三河滞在をどのように思うのかが不安であった。
この件も一応は了承しているらしい。
駿河に頼朝の仮屋を造営したことに、彼の地を支配下に置いている一条忠頼は不快の念を現しているという。
ならば鎌倉軍の三河滞在を三河遠江の支配者である義定は本心ではどのように捉えているのか。

範頼が心のなかに一つの懸念を抱えている中で
海路を経た鎌倉の軍勢は三河へと上陸した。
入れ替わりに範頼は鎌倉へ向かう船へと乗り込んだ。

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