時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百三十五)

2009-11-29 22:41:14 | 蒲殿春秋
一方その頃後白河法皇は一通の書状を目にされていた。
西国にある平資盛からであった。
都落ちしてから数ヵ月後、資盛は後白河法皇に激しい恋情を記した書状を送っている。
これがその書状である。
後白河法皇はかつて資盛を愛した。何度も同衾して夜を重ねた。
その資盛からの書状である。

資盛はその後も密かに何度も人目を盗んで後白河法皇に書状を送っている。
法皇も人を介して返書を持たせた。
その返書には資盛に対する悪しからぬ想いに添えて平家に和議を勧める内容を記したこともある。

━━ 小松一族か・・・
資盛からの文を読んで法皇は、密かに想いをめぐらせた。

平家は一枚岩ではない。
都落ちの時、清盛の弟の頼盛は一門から離脱して都に留まった。
現在の総帥宗盛の兄重盛の子たち維盛、資盛など「小松一族」と呼ばれる人々は
都落ちの際都に留まろうとしたがそれが出来ずに仕方なしに一門に従ったという経緯がある。
小松一族は院近臣と縁を結び平家一門の中でもとりわけ後白河法皇寄りの立場を取っていた。それだけに、法皇と絶縁に追い込まれた平家一門の中には小松一族を白眼視するものもあるという。

重盛の死後傍流に追いやられた小松一族。
そして都落ちをした後は、彼等は一門の中で肩身の狭い思いをしている。
現に重盛の子清経は自殺したとも言う。それだけ一門のなかでの孤立が深刻化していたのであろう・・・

━━ 小松一族の孤立・・・そこにつけこむ余地があるやも知れぬ・・・
法皇はそのようの思し召しになれらたかも知れない。

法皇は近習を呼び寄せた。
その近習は夜の闇に溶け込みいずこかへと向かっていった・・・

一方源範頼はある人物と対面した。
その人物とは惟宗(島津)忠久。範頼の妻の異父兄である。
忠久は、南都興福寺があくまでも反平家を貫く方針であるという知らせを持ってきた。
その知らせを聞いた範頼は改めて南都勢力に鎌倉勢への援護を依頼したいと申し出た。
その趣旨を受け止めた忠久は興福寺のしかるべき人物を近くここへ呼び寄せることを主に頼むといった。
惟宗忠久は摂政近衛基通に仕えている。
興福寺は藤原氏の氏寺である。当然藤原氏長者である基通の意向は強く反映されるだろうし、基通は南都に多くの人脈を抱えている。
範頼は基通ー忠久の縁を頼りに南都へ働きかけを行なっている。
南都勢力が鎌倉勢力に味方するならば畿内の平家家人に対して牽制をかけることができる。

そしてもう一人働きかけたい相手がいる。
その為に人を紹介してもらうことを養父藤原範季に頼んでいる。
働きかけたい相手とは比叡山延暦寺にいる慈円。
比叡山全体に並々ならぬ影響力を有する僧侶である。
慈円は右大臣九条兼実の同母の弟。
範季は兼実にも仕えている。その範季であるならば慈円に連なる人物を誰かしら知っているはずである。
そして慈円に鎌倉勢への援護を依頼するのである。
無視できないほどの兵力を有し、畿内にも領地とそこに住する武士を従えている比叡山を是非味方につけておきたい。
比叡山に強い発言力をもつ慈円に繋がるものに是非とも接触したい。
比叡山も味方につけばこれもまた平家家人への牽制に繋がる。

さまざまに働きかけを行なっているその時、範頼の元に軍目付梶原景時が現れた。

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