時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百六十)

2009-02-25 19:51:08 | 蒲殿春秋
頼朝はそのまま軍を率いて足柄山へと向かった。

━━ やはり上総介は・・・
梶原景時が頼朝にもたらした報━
━上総介広常叛意あり、奥州藤原氏に通じる、
はさらに真実味を増してきた。

如何致すべき、頼朝は心中色々と考えながら西へと向かう。
頼朝のすぐ傍らには末弟の九郎義経、そしてその親衛隊というべき佐藤継信、忠信兄弟が控えている。

義経は奥州に滞在していたことがあり、佐藤兄弟は奥州の豪族佐藤氏の子で藤原秀衡と主従関係を結んでいる上に、上総介広常とは以前から顔見知りの間柄である。
佐藤兄弟はとにかく九郎義経までは疑いたくはないが、奥州とのつながりが彼等に在る以上警戒というものを外すわけにはいかない。
自分の側にあえておいておき動向を見極めなくてはならない。

━━何が上総介広常を奥州藤原へと向かわせたのか・・・
思い当たる節が全くないわけではない。
小山、宇都宮氏や武蔵秩父一族の当主帰還により彼等の発言権が強まり今まで通り上総介広常の発言が無条件に通るわけではなくなってきた。
もう一つ、上総に住む小豪族達がここのところ広常を通さずに直接頼朝に直談判することも増えてきた。
そのことが広常の気に障ったかもしれない。

上総介広常と奥州のつながりは深い。
外房の海を伝って奥州と上総下総は百年以上前から交易がある。
当然上総介は太平洋沿岸に住まう豪族たちとの長年の付き合いがあり、なかには縁戚関係を有するものもある。
奥州出身の佐藤兄弟もそのような縁で上総介とは以前からの知り合いであった。

そのようなことを考えると上総介に対する奥州藤原氏や南奥州の豪族たちからの働きかけが全く行なわれないはずはない。
頼朝が現在南奥州の豪族の切り崩しを行なっているのと同様に奥州藤原氏からの坂東豪族への切り崩しもまた同様に行なわれているはずなのである。

考えてみれば、上総介広常が頼朝に味方したのは、長年敵対している佐竹氏を滅ぼしたいという願望と相馬御厨を手に入れたいという願いからであった。
ついでに言えば、頼朝を傀儡にして自分の意向を坂東に強く及ぼしたいと言う願いもあったであろう。

未だに抵抗活動を続けているとはいえ佐竹氏は弱体化し、相馬御厨の権利の半分ほどは上総介の手に帰して現在上総介広常からみれば頼朝はほぼ用済みになったと言えるかもしれない。
しかも広常が傀儡にするはずだった頼朝は、秩父一族や小山宇都宮の発言や鎌倉に程近い相模の豪族を重んじるようになってきている。
上総介広常が離反する要因は確かにあるのである。

それにしても、この上総介広常の離反の可能性は頼朝にとっては想定外であり、今後は命取りともなりかねない事態である。
頼朝が坂東に勢力を延ばしえたのは上総介広常の与同なしには考えらない。
しかし、その最大の与党であった彼が今坂東内部の最大の敵になりつつある・・・

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