時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百六十一)

2009-02-27 05:51:20 | 蒲殿春秋
頼朝に率いられた軍はやがて足柄山に到着した。
頼朝は足柄山での休息を兵たちに命じた。

そこへ丁度威儀を正した一行が現れる。
後白河法皇の御使中原康貞である。
頼朝は丁重に康貞を迎え入れる。

急遽設えられた席で康貞はまず頼朝を従五位下の位階に戻すという朝廷の決定を伝える。
次いで後鳥羽天皇が発した宣旨を読み上げる。
「東海道、東山道、北陸道の国衙領は国に荘園は元の如く本来の所有者に戻すべきである。かくのごとく行なわれるよう、その地の沙汰を頼朝に任せる。この宣旨に従わない者があれば頼朝が処罰して構わない。」
先に頼朝がこの康貞に託して後白河法皇に奏上した三か条の申し条に対する返答として、このような宣旨が下された。
後に十月宣旨と呼ばれるようになるこの宣旨を頼朝は深々と礼をして拝しながら密かにほくそえんでいた。

なんという良き時にこのような宣旨がここに届いたのであろうか。
上総介広常の離反、そしてそれに同意する豪族たちが出かねない状況で
頼朝の東国の支配権を認める宣旨が頼朝の元に到着したのである。
東国武士達は、その地に独自の勢力を築きつつも常にその実力を裏付けているものの存在を欲している。
その東国武士ーなかんずく坂東の武士達を支配下におきつつある頼朝に対してその支配を認める宣旨が只今届いたのである。

平家が安徳天皇を擁して都にあった頃は頼朝とそれに従った者達はあくまでも「反乱者」という位置づけから抜け出すことができなかった。
しかし、現在この宣旨によって頼朝の東国支配は正統なものと認められ
頼朝に従う限りは東国武士達の在地支配も正統なものと認められるのである。

裏を返せば頼朝に従わない場合、頼朝の意志で所領の没収をされたり、命を失うということもありうるということになる。

東国武士は在地における独立性は高いものの、その支配は朝廷の律令機構にのっとた国衙の実権を握ることや荘園の本所や領家の意志に従うことによって実力を伸ばして生きたという歴史が在る。
その律令機構の頂点に位置する太政官上位者の沙汰によって発せられたこの宣旨は東国武士達にとっては従うべき指針にならざるを得ない。この宣旨は東国における頼朝に権威を与える。

ついで、中原康貞は「上洛の是非」について頼朝を尋ねる。
頼朝は
「上洛の意志はあるが、その期間の兵たちの兵糧等の供給に不安があるので即答を避けたい。」
とのみ返答する。

ともあれ、頼朝が喜ぶべき宣旨をもたらした中原康貞は頼朝の陣中において最大の礼をもってもてなされることになる。

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