時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百五十一)

2008-04-30 05:27:01 | 蒲殿春秋
一方元々坂東を支配下に置いている頼朝も手をこまねいている訳ではない。
頼朝は義仲とは違った「権威」を手にして坂東武士達を手元に引き寄せようとしている。
坂東の人々に対して頼朝が第一に示しているのは治天の君後白河法皇と自身とのつながりである。
頼朝の母の実家熱田大宮司家は後白河法皇とつながりが深い。
また、頼朝自身も後白河法皇の姉宮上西門院にかつて仕えていた。
後白河法皇はこの姉宮を母の如く慕っていて、上西門院が後白河法皇に与える影響は小さいものではない。
坂東にはかつて院の知行国であった国もあるし、院領、上西門院領も存在する。
そして、何よりも「天皇を指名する権限を持つ唯一の院」という存在とのつながりは軽いものではない。
頼朝の有する人脈もまた、安徳天皇に代わって別の皇子を皇位につけることのできる可能性を持つ。

そして、もう一つの頼朝の「権威」はスメラミコト=天皇の祖神天照大神を斎まつる「伊勢神宮」とのつながりである。
挙兵直後から伊勢神宮を重んじる態度を取り続けた頼朝は伊勢神宮の支持を取り付けている。
それを背景に伊勢の御厨の住人への影響力を深めている。
そして頼朝自身も一つの権威を有していた。
それは彼が平治の乱以前に獲得していた「従五位下右兵衛佐」の官位であった。
反乱諸勢力の首魁の中で彼ほどの高い官位を有していたものはいない。
しかも十三歳でその地位を得ていたというのは将来公卿に上ることも可能だったことを示す。
彼自身がかつて帯びていた官位の権威も大きかった。

寿永元年(1182年)は飢饉の影響で平家は身動きもとれず、大きな戦闘が無い年であった。
しかし、夫々に権威を得て勢力伸張を目指すという静かなる戦いの行なわれた年であった。在地に自らの勢力を浸透させるには「権威」というものが欠かせない。
「以仁王の遺児」を担ぎ八条院の影をちらつかせる義仲、「後白河院とのつながり」「伊勢神宮の支援」をちらつかせながら自らの貴種性を示す頼朝。
この二人の次なる時代の覇者に向けての戦いは静かに始まっていた。
そして範頼と深いつながりを有する甲斐、駿河、遠江を支配する甲斐源氏一党も
この動きとは無縁ではいられない。

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