時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

現代語訳吾妻鏡 意外と近い関係?1

2008-04-06 08:41:40 | 日記・軍記物
またまた「現代語訳吾妻鏡」の注釈の話題です。

吾妻鏡の文治元年(1185年)三月十三日条に
対馬守 藤原親光
という人物が登場します。

この人物には面白いエピソードがあるのですが
それは今後小説もどきで使いたいのでここではお名前だけ出させていただきます。

さて「吾妻鏡」には親光は「頼朝の外戚である」ということが紹介されています。
父方の女性の縁戚か母方の縁戚なのかよく判りませんが
とにかく頼朝の親戚であることには変わらないようです。

で、「現代語訳吾妻鏡 第二巻」注釈には次のように書かれています。
「親光 生没年未詳。藤原資憲の男。姉妹は門脇中納言教盛の妻となり、
通盛・教経を生んでいる」
とあります。

「尊卑分脈」で調べますと、藤原親光の男系の系譜は
平安初期に活躍した藤原北家の藤原冬嗣の兄藤原真夏の子孫であり
(真夏と冬嗣 すごい兄弟名です)
親光と違う真夏系からは、室町期に活躍する「日野氏」が出ます。

一方親光の姉妹が、平教盛と結婚し、通盛の母となっていることが
「尊卑分脈」にても確認できました。
つまり、頼朝の親戚が清盛の弟の教盛とも縁戚であるわけなのです。

以前の記事でも書かせていただきましたが、
頼朝は平治の乱以前に後白河法皇の同母の姉宮の上西門院に仕えていました。
一方、教盛は母が上西門院の母待賢門院女房であったこと、
息子通盛のロマンスの相手小宰相局が上西門院女房であったことを考えると
教盛も上西門院に近い立場にあったと思われます。

つまり、上西門院を介して頼朝と教盛は意外と近い関係にあった可能性も
あるのではないのかと思われるのです。

また、教盛の娘の教子は、頼朝の弟範頼を養育した
藤原(高倉)範季の妻となります。

清盛の弟教盛と頼朝・範頼兄弟は意外と近いところにいた可能性があると
考えさせられる、対馬守親光さんでした。



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