時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百四十二)

2008-04-16 05:27:19 | 蒲殿春秋
「とにかく、江間殿が鎌倉に留まられたのは不幸中の幸いでございました。
これならば北条殿を慰留するすべもございましょう。
北条殿が一条忠頼の元に行ってしまいましたら何かと不都合でございますからな。」
「・・・・」
「それにしても殿、御台さま以外の女性を御寵愛されるのはよろしいのですが
うわなりうちをされた牧三郎殿の髻をお切りになられたのはやりすぎでしたな。
牧三郎殿や北条殿が殿の元を去られるのはまずうございましょう。
今、北条殿や牧三郎殿は殿にとって大切なお方になりまするゆえ。」
「しかし、鎌倉において騒動を起こした者をいくら御台の身内とはいえ許すわけにはいかぬ。
本来ならば指つめくらいさせても良いくらいなのだが」
「道理では、そうでございましょうが、時節が悪すぎまする。
とにかく、北条殿とはお早く和解なさるべきです。」
それだけ言うと、景時は頼朝の前を退出した。

頼朝は嘆息した。
確かに、牧宗親にあのようなことをして、結果北条時政まで鎌倉を去らせてしまったのは自分の失態であった。

伊勢神宮に願文が受け入れられた後、伊勢神宮の御厨を中心に頼朝の影響力は
駿河、遠江、三河へと浸透しつつある。
その三国は現在一条忠頼、安田義定らの甲斐源氏の支配下にある。
けれども、彼等をさしおいてその頭越しに自分の影響力を強めようと頼朝は図っている。
それは
「自分と同格の武家棟梁の存在を許さない」
という頼朝の方針に基づくものである。

その中で駿河の住人たちと頼朝をつなぐ働きかけを行なってくれているのが牧宗親と北条時政なのである。
その牧宗親は頼朝が罰せざるを得ない行動を行い、その処罰に憤ったのかその婿の北条時政は鎌倉を去ってしまった。
これは頼朝にとって好ましくない事態である。

とにかく、時政だけでも鎌倉に戻さなければ。
少なくとも一条忠頼の元に行きそこで忠勤を励まれるのは困る。
頼朝が駿河への影響力拡大を図りせっせと積み上げたものを舅の手によって再び甲斐源氏に進呈していただきたくは無い。

頼朝は妻の住まう北の対を睨み付けた。
━━ そもそも、そなたが悋気するのが悪いのだ。

その夜頼朝は一人ふて寝した。

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