時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百二十四)

2008-03-19 05:33:10 | 蒲殿春秋
一方範頼はどうしていたのであろうか。
彼は、養和元年十月に平家来襲に備えて出兵した人々の中にその姿を見せていた。
しかし、その連れていた兵数は少ない。
彼の支援勢力の一つである伊勢御厨の住人達が出兵に従わなかったのである。
度重なる戦乱で三河は疲弊していた。
伊勢へ上納する年貢も不足しがちとなり、伊勢神宮からの催促が度重なっている。
そして住人たちも経済的に苦しみ始めている。

出兵には応じかねるという住人が大半だった。
範頼にも強制的に彼らを動員する権限はなかった。

その範頼にとっても平家来襲の噂は大きな懸案であったが、
心を和ませる文が彼の手元に何通か届いていた。
一通は都に住む姉からの文。
もう一通は、同じく都に住する養父藤原範季が密かに雑色の持たせた文。
範季からは範頼の無事を喜ぶ内容の文面が記されていた。
そして末尾にこれから雑色を時々に三河へ行かせるので、その雑色に文を持たせても良いとも書いてあった。

範頼にとってこの二人は心に引っかかる存在であった。
「謀反人源頼朝」の同母姉である姉は女性といえどもその身が都にある現在常にその安否が案じられる。
養父範季は、現在平家一門の一人平教盛の娘婿になっている。
その養父が、頼朝の異母弟であり現在反乱勢力の中に身を置く自分のことをどのように思っているのか気がかりだった。
だが、範季は定期的に雑色を範頼の元によこすと言ってきた。
平家の婿である養父も自分との接触を望んでいる。

文を出して良かった。
鎌倉を発つ際に、兄頼朝から勧められて都に文を書いたのは正しかった。
━━ 兄上ありがとうございます。
範頼は東の鎌倉に在する兄に心の中で礼を述べた。

前回へ  次回へ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ