時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百二十三)

2008-03-17 05:59:24 | 蒲殿春秋
かといって、義定が頼朝を敵視しているのかといえば決してそうではない。
遠江、三河、尾張に勢力を張る義定は東海道における反平家勢力の最前線にいる。
義定のいる場所は、東国の反平家勢力の中では北陸に次いで軍事的緊張の高いところである。
東側や北側にいる同族の武田信義、一条忠頼や坂東の源頼朝がいるからこそ背後を脅かされることなく、平家の勢力圏と直ぐ接する三河尾張を押さえていることができるのである。
しかし、遠江、三河、尾張のこの三国の主導権は義定自身が握りたい。
義定の存在を無視して頼朝が東海道の直接支配を行なうということは避けたいのである。

甲斐源氏の長年の夢であった海路の確保━━その夢がかなおうとしている現在この海に接する東海道の支配者の座は手放したくなかった。

遠江、三河、尾張この三国を自らの支配下に治め、そこの住人達に最も影響力を及ぼす存在でありたい。なおかつ頼朝とは対等な関係の同盟軍でいたい。
それがこの時期の義定の気持ちであった。

しかし、情勢は義定のその気持ちを無視して変化を続けていく。

養和元年十月、北陸征伐に全力をかたむけていた平家がその軍の一部を東海道へ差し向けるとの噂が飛び交った。
東海道軍の将の名も定まりその話の信憑性は増してきた。
事態を重く見た安田義定は自ら軍を率いて尾張へと向かった。
義定の滞陣は一月ほどに及んだ。
同時期、同じく三河に在していた行家も尾張に向かい、頼朝も援軍を出す動きを見せた。
しかし、実際には平家は東海道には来なかった。

義定らは軍を撤収した。
けれども、この後も何度も平家来襲の噂が飛び交いその都度尾張三河に軍事的緊張が走ることになる。
義定は何度も出陣することを余儀なくされる。
実際に戦闘は行なわれなくとも度重なる出陣は、東海各国の豪族達にとってかなりの経済的負担となった。
義定が強い影響力を有する遠江、三河、尾張三国には多くの出陣によってかなりの疲弊がもたらされていく。
そして、そのことが義定の東海道支配に暗い影を落としていくことになるのである。

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