時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百三十)

2007-05-12 00:08:08 | 蒲殿春秋
「蒲殿いかがなされましたか?」
蒲御厨の中のかつての住まいに佇む範頼に
ここまでずっと付いてきた藤七が声をかける。
「いや、な」
範頼はあいまいな返事をした。
「ところで藤七、そなたは佐々木殿の元に戻らぬのか?」
「いえ、私の役目は蒲殿を鎌倉殿の元へお連れすることにございます。
それを果たすまでは私は蒲殿のお側を離れるわけには参りませぬ。」
範頼の問いに藤七はきっぱりと答える。
思えば、藤七がここに兄頼朝の挙兵を知らせに来たのが事の始まりだった。
それから二月ほど立つ。
範頼の身の回りも世の中の情勢も何もかもが大きく変わってしまった二月であった。
兄頼朝に対する世間の呼び方も「佐殿」から「鎌倉殿」に変わっていた。
自分の立場もまたあの頃とは違う。
「殿、それにしても安田殿は殿を兄君の元におやりになるつもりはないのでしょうか?」
と当麻太郎。
「どうであろうかの。ただ言えることは安田殿にとって私は多少は役に立っているようだ。
そして今、私が安田殿の側を離れるのは安田殿にとってはあまり好ましいことではないようだ。」
「殿、そこまで安田殿に気兼ねなさらずとも・・・」
「いや、安田殿そして甲斐の方々には恩義がある。やはりその恩義は返さねばなるまい。
それに、最近思うのだ。兄上の側にいても私には領地も官位もなにもない。
ここにいて兄上の同盟たる安田殿に協力することの方が兄上の役に立つことになるのではないかと。」
「殿」
当麻太郎には次の言葉が出てこない。代わりに藤七が返した。
「されど、鎌倉殿はご兄弟をお側にお寄せになりたいと願っておられます。
現に都から醍醐禅師殿(全成)、奥州から九郎殿(義経)がお越しになられた時は涙を流して喜ばれたとの事です。
蒲殿がご到着なさればお喜びになること間違いございませぬ」
そのことは範頼も既に聞いていた。
頼朝の喜悦も。
これから暫く後、全成と頼朝の妻北条政子の妹との婚姻が成立する。
義経も近々頼朝と父子の契りを結ぶことになる。
兄にとって異腹の弟にあたる彼らは鎌倉において厚遇されているようだ。
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