時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百三十一)

2007-05-20 11:00:24 | 蒲殿春秋
今自分が兄頼朝の下に行けばさぞ兄は喜ぶであろう。
けれどもそれが本当に兄頼朝の為になるのかと言えばそうであるとは思えない。
頼朝の回りには未だに敵が多い。
範頼がこの蒲御厨にいる時点では頼朝の佐竹との合戦の勝敗は決していなかった。
上野は未だに平家方のものの力も強い。
一旦頼朝に従ったかのような相模武蔵の豪族達も趨勢によってはどう転ぶかわからない。
最大の懸念は一回は撤退したとはいえ平家は体制を立て直し戦力を強化して
東国に向かってくるのが予想さることである。
その時、反平家同盟は追討軍を再び追い返すことができるのか。

この時、遠江は頼朝と甲斐源氏による反平家連合の最前線に位置していた。
ここで安田義定と協力して平家の侵攻に対する盾となることの方が
無位無官でかつ領地も所持していない自分が側にいるよりも兄頼朝の役に立てるとその時の範頼には思えた。

もう一つ範頼には遠江から離れたくない理由がある。
安田義定は遠江来る前に範頼に言っていた約束をまだ行っていなかった。
池田宿の長者にいつか合わせてやる、という一事を。
範頼の母を知っているという池田宿の長者
範頼はぜひその人物に会っておきたかった。
その長者とは未だに面会を果たしていない。
けれども、その想いはここにいる藤七や当麻太郎には言えることではなかった。

二日ほど蒲御厨に逗留した後、遠江国府に範頼らは戻った。
安田義定は遠江の国人を取りまとめる一方で、次の方策を練り始める。

富士川の戦いで源頼朝・甲斐源氏連合が追討使を撃退したとの報は都の人々を震撼せしめた。
そして、その知らせは全国各地でくすぶっている在地勢力間の諍いという油に火を注ぐことになる。
既に熊野にて反平家運動は活発化し、九州筑紫でも反平家勢力の蜂起があった。
追討軍撤退の知らせは、そのほかの在地の親平家勢力と抗争関係にあったものたちの
蜂起を誘発することになった。

十一月十七日美濃源氏が反平家を掲げて蜂起し、瞬く間に美濃と尾張を占拠したとの報が都に入った。
平家方在地勢力の圧力を受けていた尾張美濃の諸豪族は「以仁王の令旨」を戴いた
美濃源氏を旗頭として担ぎ上げ彼らを挙兵に踏み切らせたのである。
富士川の戦いの結末から勝機ありと彼らに判断されたのが大きい。

さらに、十一月二十一日、旧都に程近い近江でも近江源氏が蜂起した。

富士川合戦の追討軍の敗北は畿内とその近くにおける反平家の蜂起をもたらしたのである。

その一連の動きの中、安田義定はある人物を遠江に呼び寄せる。
義定に考えがあってのことである。

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