時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百三十四)

2007-05-30 05:11:36 | 蒲殿春秋
義資が鎌倉へ旅立って程なく叔父の新宮十郎行家が範頼に新たなる情報をもたらした。
「熊野新宮は四国の土佐や阿波のものとも協力する手筈じゃ」
「土佐?」
腑に落ちない顔をして範頼は行家を見返す。
「土佐にはそなたの兄介良冠者がおるじゃろ。
土佐の国人が介良冠者を担ぎ上げて反平家の狼煙を上げるのじゃ」
介良冠者源希義は範頼の同年生まれの異母兄である。
平治の乱に於いて捕らえられ、希義と母を同じくする兄頼朝とは正反対の西国土佐に流刑となっていた。
流刑になってから約二十年世の中から全く忘れられていた存在となっていた。
しかし、兄頼朝が以仁王の令旨を得て挙兵し坂東の一角に勢力を蓄えるようになった。
それゆえに、平家の知行国支配に不満を持つ土佐の国人にとって希義は「反平家勢力の旗頭源頼朝の弟」としての存在価値が出てきてしまった。
その希義を担ぎ上げようとしている土佐の勢力は熊野反平家勢力と協力の道を探っている。
実現すれば、海上交通を駆使した南海反平家勢力連合の成立が見られる。

個々に挙兵した反平家勢力は夫々に同盟を結ぼうとしている。
安田義定の新宮十郎行家支援と頼朝への協力依頼は
一連の同盟締結運動のひとつであり、南海のこの動きも一連の動きに含まれるであろう。

━━五郎兄上
同年生まれの兄。範頼よりほんの数ケ月だけ前に生まれていた。
範頼が都に上った際、たまに互いに顔をあわせていた。
同年生まれだけあって、希義に対しては共感と競争意識をより強く持っており
勝負事をした時はどちらも一歩も引かず最後にはよく喧嘩になってしまったことを思い出す。
その頃の幼き異母兄の顔を範頼を思い出した。
最後に会ったのはお互いに八つの時、それ以来会ってはいない。

この土佐の挙兵が成功するならば、反平家勢力同盟の勢いは否が応でも増すであろう。

だが、数日後ここ遠江に悲報がもたらされる。
挙兵の動きを察知した平家方勢力の蓮池権守らに希義は討ち取られてしまうのである。
彼を担ぎ上げようとした夜須一族の元に希義が向かう途中のことであった。
時に治承四年(1180年)十二月一日。
夜須一族は計画の頓挫を知り海上に逃れいづこともなく去っていった。
希義━━九歳の時には両親は既に亡く、その年に兄弟たち全てと引き離されて流刑に処され、
それ以降同胞の誰とも会うことも無く流刑地にて短い生涯を終える。享年二十九。
この一連の動きの結果、土佐熊野南海同盟構想は崩れ去ることになる。

今、夢見がちに熱っぽく甥に語っている新宮十郎行家とそれを聞いている範頼はまだこの未来を知らない。

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