星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

知り合ったときには・・・(8)

2006-10-05 22:09:01 | 知り合ったときには・・・
(8)
 
 春になった。年度末、慌しく仕事をしている最中に、主任の彼が地方の支店に転勤になることを、社内メールで知った。新しく立ち上げる部署の関係で、どうしても必要な人事のようだった。新しい部署のために、試験的とはいえ立ち上げられた係なのだから、そのうち正式な何かしらの人事があるとは予想はしていたが、それが現実となった。薄々分かっていたこととはいえ、私は絶望的な気分になった。今まで表に出すことはできなかったけれど、毎日抱えて積もりにつもった感情を、どうしたらいいのかと途方に暮れた。彼は単身赴任ということだった。まだお子さんも小さいのに、ご本人もご家族も大変だなと思った。私は彼のことを、こんなに内心で惹かれてはいたものの、例えば彼の奥様やお子さんに対して、嫉妬のような感情を持つということは、どういう訳かほとんど無かった。会社にいるときの彼が、家庭というものを彷彿させない態度でいたということや、まったく所帯じみた感じのない人だったというのもあるのかもしれない。私が望んでいたものは、誰かから彼を奪うとか、そういう感じではなかった。だから彼の周りのものはあまり気にならなかった。私の思いは、ただ、少しでも、近づきたいとか、内面を理解できたらとか、そんなものだった。

 もうあと彼の転勤まで数日というある日、同じ部署内で送別会が開かれた。私がここに転勤してきてから、ちょうど2年が経っていた。あの時と違って、彼の席は私の隣ではなく、もっと向こうの、上座の円卓だった。私は出入り口付近の席に座っていた。隣に座った経理担当の先輩が、よく飲みながらしきりに私に話し掛ける。私はそれを、とても鬱陶しく感じた。この人はなんでこんなくだらないことを延々と喋っているのだろう。今度来る上司がどんな人かなんて、どうでもいいではないか。私は適当に相槌を打った。相槌を打ちながら、時々遠くにある、彼の席のほうをちらちらと伺った。彼はかわるがわるやって来る上司や同僚や後輩から、お酌を受けていた。お酒は飲まない性質なのに、あんなに飲んで大丈夫だろうかと思った。会の間中、私は彼の席にお酌にいく隙をうかがっていたが、やっと人が途切れたと思って席を立つと、お開きの合図がかかってしまった。

 会が終わり、お酒に強い人達は2次会へと流れていった。私は、こんな気分のままでこれ以上耐えられないと思い、適当な理由をつけて家へと帰ろうと思った。彼のほうをちらっと見ると、2次会に行かされるようだった。お酒が好きでないのに、今回ばっかりは主役なのだから、仕方ないのだろうと思った。がやがやと騒がしいレストランのロビーを抜け、お手洗いに寄ってから帰ろうと、廊下の突き当たりにある洗面所に向かった。お手洗いの入り口で、主任の彼が後から歩いてきていたのに気がついた。
「お疲れ様です。大丈夫ですか?」
 次々とお酌をされていたのを思い出し、何気なく口にした。
「何が?」
「いえ、お酒が。あまり好きではないと前に仰っていたから。」
 彼はお酒のせいか、少し顔に締まりがないように見えた。でもそのお陰で、普段の近寄りがたい雰囲気が、だいぶ薄れていた。
「そうだな。好きじゃないけど、そんなに弱くもないよ。」
「そうですか。」「今日はお酌にもいかず、すみません。」
 言いながら頭の中で、2次会に行く人がロビーで彼を待っているのではと思った。
「帰るのか?」
 少しどきっとした。私が思っていることを見透かしているのかと思ってしまう。
「申し訳ないのですが。あまり体調が良くなくて。私あまり飲めないし。」
「そうか。」「俺もそんなに乗り気じゃないんだけど・・・。」
 その時後ろから、2次会に行く人のひとりがやはりトイレにやって来て、彼に話し掛けた。それを合図のように私は女子用に入った。

 化粧室でなぜか念入りにメークを直したあと、外に出て駅の方に向かって歩く。地下鉄に乗って、そこから乗り換えればいいと思った。春の夜の、少し暖かくなった空気からは、なんとも言えない、胸が空しくなるような気配を感じとることが出来た。秋の寂しさとはまた違う、もっとそわそわした感じ。それは異動の季節特有の、別れを予感させる感傷的な気分のせいだとは分かっていた。彼の異動する所は、ちょっとやそっとでは行けない距離の場所だった。飛行機や新幹線を使わないと行き来できない。だが少し考えて、それが何なのだろうと思った。私にとってはすぐ隣の支店に転勤になろうが、本社に転勤になろうが、海外に行こうが、地球の裏側まで行こうが、そんなの関係のないことだった。もっと大袈裟に言ってしまえば、地方に転勤になろうが、この世からいなくなってしまおうが、会えないという点だけに関して言えば、まったく違いがないのだった。私の日常生活の圏内から出て行ってしまえば、それはほとんど会うことが出来ないことを意味していた。例えば隣の会社のオフィスにいたって、彼とは会うことなんてまずないのだ。仕事という繋がりがなくなってしまえば、彼と私がかろうじて関係するものは、他には何もないのだった。それを考えると、私は急に自分がおめでたい馬鹿女のような気がしてきた。一体そんな、もろい関係のために、どうして私は毎日毎日、一喜一憂しているのだろう。駅に着いた。ホームの白い線を見つめながら、私は自分で自分の中にあるこの思いを、どう扱ったらいいのか、分からなくなってしまった。しかし、当然のことながらどうすることもできなかった。ただ、何も考えていないかのように、しているしかなかった。
「おい。」
 声がした。彼だった。なぜここにいるのだろうと思った。彼は2次会に行ったのではなかったのか。
「帰るのか。」
 そう言う彼の顔はほんのりと赤くなっていて、そのせいで普段よりも少し老けて見えた。
「あれ、どうしたんですか主任。主役なのに、いいんですか2次会行かなくて。」
 彼は騒ぐ酒の席が嫌いだし、無駄な付き合いをしない人だとは、普段の行動でなんとなく理解していたので、そう驚くことでもなかった。
「あんまり、あの騒ぎは好きじゃないから、いいんだよ。」「コーヒーでも飲みに行こう。酒はやだな。」
 一瞬冗談なのか本当に言っているのかの、判断がつかなかった。どう返事をしようかと躊躇していると、「地下鉄降りたらでいいな。」と勝手に決めている風だった。


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知り合ったときには・・・(7)

2006-10-05 02:10:41 | 知り合ったときには・・・
(7)

 主任の彼のことを密かに思っていることは、付き合っている彼に対して少しの後ろめたさはあったものの、逆はというと、そんなことを考えたこともなかった。そもそも私が一方的に思っているだけのものだったし、その思いを半ば無視しようとしている自分もあった。身動きの取れない立場、好きになってもしかたがない関係、と、その先を考えようともしなかった。ある所まで想像することはできても、その行き着く先なんてどうなのだか想像できかねた。思い浮かぶのは陳腐なよくある不倫話や、修羅場のようなものだった。自分がそういう立場に立つということは、到底考えられないものだった。すでに誰かに所有されている人の、その所有権をめぐって争うなんてことは、どう考えても私には出来ないし、自分がそこまで女女した行動を取るとは思えなかった。

 彼と別れたあの日、自分のアパートへ帰りつくと、私は自分が、それほどきつくなく縛られていた何かが緩められたような、何かから解放された感じを受けた。と同時に、自分の寄りかかることのできるものがまるでない、不安定さもあるような気がした。秋も深まった11月の夜は、冬とは違った寂しいような薄ら寒さが感じられた。あまりの静けさに、テレビをつける。何かの番組が映った。私はじっと画面を見つめた。画面から目が離せなかった。でも何をやっているのか、さっぱり理解できなかった。お笑いの番組のようだった。でも笑うことが出来なかった。映像は私の瞳の表面にただ映っているだけで、音声は私の頭の上をただ流れていた。私の脳の裏には別の映像が写っていた。今日彼と会ってから別れるまでの一部始終と、その会話が流れていた。記憶されたばかりのそのことを頭から呼び出しなぞっていると、やはりこれでよかったのだと思った。それからもう、そのことは思い出さないようにした。ただ少し、彼は大丈夫だろうかと思った。冷静だし、なりふり構わずというタイプではない彼のことだから、きっとこの後、関係を修復しようという提案なんてしてこないだろう。今日ですべてが終わったと思っただろう。彼にはもっといい女がいるはずだ。でも、そんなことはこちらの都合のいい言い訳なのだとも思う。彼に対する誠意と言いながら、それが本当に誠意だったのかは、未だに分からない。それは彼が決めることだ。ただ、あのままの状態でぬるま湯につかるように、いつまでもずるずるとしている訳にもいかなかった。

 職場の彼のことは、相変わらず惹かれていた。仕事での接触が多くなればなるほど、私は益々彼の仕事ぶりや垣間見える彼独自の考え方に、触発されたり尊敬の念を抱いたりした。それと比例するように、彼と自分の間に横たわる大きな溝を感じずにはいられなかった。私の感情の波は、彼との間を行ったり来たりしていた。凪のように静かな時もあれば、どうすることもできない立場を思い知らされて激しくうなることもあった。私がしなくてはならなかったことは、その波打つ感情を、絶対に彼や周囲に知られないようにすることだった。私情を仕事に持ち込むのを特に嫌っていた彼なのだから、なおさらだった。

 そんな風にして、1年ほどは過ぎていった。仕事もそこそこ忙しかったし、彼と別れた私は、自分のことだけに時間を割いていたので、それまでしようと思って投げ出していたことを始めたりしていた。図書館に行って代わる代わる本を借りてきて読んだり、興味のあった習い事に通ったり、行きたいと思っていた遠い場所へ一人で出掛けたり、ダイエットだと言いながら無闇に公園や街中を歩いたりした。心の奥底で、誰かを思っていることを、密かに楽しみ、そして悪いことだと思いながら、その反面そのことを打ち消すように何かをしていなければ落ち着かなかった。でも、それは、今思えば自分をごまかしていたにすぎなかったのかもしれない。本当にしたかったことは、そういうことではないのだと、自分でも心の奥底の、深いところではわかっていたのだ。けれど、私は、誰にも内にあるその感情を打ち明けることはできなかったし、またしようとも思わなかったので、自分勝手に都合よくその思いを、ある時はいちばん大事だと思ったり、またある時はそんなもの無いのも同じことだと思ったりした。その半面、相手の気持はどうであれ、この今持っている思いを、何の憚りもなく、おおっぴらに表したり感じたりできたら、どんなにいいのだろうと思ったりもした。

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