(7)
主任の彼のことを密かに思っていることは、付き合っている彼に対して少しの後ろめたさはあったものの、逆はというと、そんなことを考えたこともなかった。そもそも私が一方的に思っているだけのものだったし、その思いを半ば無視しようとしている自分もあった。身動きの取れない立場、好きになってもしかたがない関係、と、その先を考えようともしなかった。ある所まで想像することはできても、その行き着く先なんてどうなのだか想像できかねた。思い浮かぶのは陳腐なよくある不倫話や、修羅場のようなものだった。自分がそういう立場に立つということは、到底考えられないものだった。すでに誰かに所有されている人の、その所有権をめぐって争うなんてことは、どう考えても私には出来ないし、自分がそこまで女女した行動を取るとは思えなかった。
彼と別れたあの日、自分のアパートへ帰りつくと、私は自分が、それほどきつくなく縛られていた何かが緩められたような、何かから解放された感じを受けた。と同時に、自分の寄りかかることのできるものがまるでない、不安定さもあるような気がした。秋も深まった11月の夜は、冬とは違った寂しいような薄ら寒さが感じられた。あまりの静けさに、テレビをつける。何かの番組が映った。私はじっと画面を見つめた。画面から目が離せなかった。でも何をやっているのか、さっぱり理解できなかった。お笑いの番組のようだった。でも笑うことが出来なかった。映像は私の瞳の表面にただ映っているだけで、音声は私の頭の上をただ流れていた。私の脳の裏には別の映像が写っていた。今日彼と会ってから別れるまでの一部始終と、その会話が流れていた。記憶されたばかりのそのことを頭から呼び出しなぞっていると、やはりこれでよかったのだと思った。それからもう、そのことは思い出さないようにした。ただ少し、彼は大丈夫だろうかと思った。冷静だし、なりふり構わずというタイプではない彼のことだから、きっとこの後、関係を修復しようという提案なんてしてこないだろう。今日ですべてが終わったと思っただろう。彼にはもっといい女がいるはずだ。でも、そんなことはこちらの都合のいい言い訳なのだとも思う。彼に対する誠意と言いながら、それが本当に誠意だったのかは、未だに分からない。それは彼が決めることだ。ただ、あのままの状態でぬるま湯につかるように、いつまでもずるずるとしている訳にもいかなかった。
職場の彼のことは、相変わらず惹かれていた。仕事での接触が多くなればなるほど、私は益々彼の仕事ぶりや垣間見える彼独自の考え方に、触発されたり尊敬の念を抱いたりした。それと比例するように、彼と自分の間に横たわる大きな溝を感じずにはいられなかった。私の感情の波は、彼との間を行ったり来たりしていた。凪のように静かな時もあれば、どうすることもできない立場を思い知らされて激しくうなることもあった。私がしなくてはならなかったことは、その波打つ感情を、絶対に彼や周囲に知られないようにすることだった。私情を仕事に持ち込むのを特に嫌っていた彼なのだから、なおさらだった。
そんな風にして、1年ほどは過ぎていった。仕事もそこそこ忙しかったし、彼と別れた私は、自分のことだけに時間を割いていたので、それまでしようと思って投げ出していたことを始めたりしていた。図書館に行って代わる代わる本を借りてきて読んだり、興味のあった習い事に通ったり、行きたいと思っていた遠い場所へ一人で出掛けたり、ダイエットだと言いながら無闇に公園や街中を歩いたりした。心の奥底で、誰かを思っていることを、密かに楽しみ、そして悪いことだと思いながら、その反面そのことを打ち消すように何かをしていなければ落ち着かなかった。でも、それは、今思えば自分をごまかしていたにすぎなかったのかもしれない。本当にしたかったことは、そういうことではないのだと、自分でも心の奥底の、深いところではわかっていたのだ。けれど、私は、誰にも内にあるその感情を打ち明けることはできなかったし、またしようとも思わなかったので、自分勝手に都合よくその思いを、ある時はいちばん大事だと思ったり、またある時はそんなもの無いのも同じことだと思ったりした。その半面、相手の気持はどうであれ、この今持っている思いを、何の憚りもなく、おおっぴらに表したり感じたりできたら、どんなにいいのだろうと思ったりもした。
主任の彼のことを密かに思っていることは、付き合っている彼に対して少しの後ろめたさはあったものの、逆はというと、そんなことを考えたこともなかった。そもそも私が一方的に思っているだけのものだったし、その思いを半ば無視しようとしている自分もあった。身動きの取れない立場、好きになってもしかたがない関係、と、その先を考えようともしなかった。ある所まで想像することはできても、その行き着く先なんてどうなのだか想像できかねた。思い浮かぶのは陳腐なよくある不倫話や、修羅場のようなものだった。自分がそういう立場に立つということは、到底考えられないものだった。すでに誰かに所有されている人の、その所有権をめぐって争うなんてことは、どう考えても私には出来ないし、自分がそこまで女女した行動を取るとは思えなかった。
彼と別れたあの日、自分のアパートへ帰りつくと、私は自分が、それほどきつくなく縛られていた何かが緩められたような、何かから解放された感じを受けた。と同時に、自分の寄りかかることのできるものがまるでない、不安定さもあるような気がした。秋も深まった11月の夜は、冬とは違った寂しいような薄ら寒さが感じられた。あまりの静けさに、テレビをつける。何かの番組が映った。私はじっと画面を見つめた。画面から目が離せなかった。でも何をやっているのか、さっぱり理解できなかった。お笑いの番組のようだった。でも笑うことが出来なかった。映像は私の瞳の表面にただ映っているだけで、音声は私の頭の上をただ流れていた。私の脳の裏には別の映像が写っていた。今日彼と会ってから別れるまでの一部始終と、その会話が流れていた。記憶されたばかりのそのことを頭から呼び出しなぞっていると、やはりこれでよかったのだと思った。それからもう、そのことは思い出さないようにした。ただ少し、彼は大丈夫だろうかと思った。冷静だし、なりふり構わずというタイプではない彼のことだから、きっとこの後、関係を修復しようという提案なんてしてこないだろう。今日ですべてが終わったと思っただろう。彼にはもっといい女がいるはずだ。でも、そんなことはこちらの都合のいい言い訳なのだとも思う。彼に対する誠意と言いながら、それが本当に誠意だったのかは、未だに分からない。それは彼が決めることだ。ただ、あのままの状態でぬるま湯につかるように、いつまでもずるずるとしている訳にもいかなかった。
職場の彼のことは、相変わらず惹かれていた。仕事での接触が多くなればなるほど、私は益々彼の仕事ぶりや垣間見える彼独自の考え方に、触発されたり尊敬の念を抱いたりした。それと比例するように、彼と自分の間に横たわる大きな溝を感じずにはいられなかった。私の感情の波は、彼との間を行ったり来たりしていた。凪のように静かな時もあれば、どうすることもできない立場を思い知らされて激しくうなることもあった。私がしなくてはならなかったことは、その波打つ感情を、絶対に彼や周囲に知られないようにすることだった。私情を仕事に持ち込むのを特に嫌っていた彼なのだから、なおさらだった。
そんな風にして、1年ほどは過ぎていった。仕事もそこそこ忙しかったし、彼と別れた私は、自分のことだけに時間を割いていたので、それまでしようと思って投げ出していたことを始めたりしていた。図書館に行って代わる代わる本を借りてきて読んだり、興味のあった習い事に通ったり、行きたいと思っていた遠い場所へ一人で出掛けたり、ダイエットだと言いながら無闇に公園や街中を歩いたりした。心の奥底で、誰かを思っていることを、密かに楽しみ、そして悪いことだと思いながら、その反面そのことを打ち消すように何かをしていなければ落ち着かなかった。でも、それは、今思えば自分をごまかしていたにすぎなかったのかもしれない。本当にしたかったことは、そういうことではないのだと、自分でも心の奥底の、深いところではわかっていたのだ。けれど、私は、誰にも内にあるその感情を打ち明けることはできなかったし、またしようとも思わなかったので、自分勝手に都合よくその思いを、ある時はいちばん大事だと思ったり、またある時はそんなもの無いのも同じことだと思ったりした。その半面、相手の気持はどうであれ、この今持っている思いを、何の憚りもなく、おおっぴらに表したり感じたりできたら、どんなにいいのだろうと思ったりもした。
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