星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

夕凪(2)

2006-10-23 11:44:39 | 夕凪
「ただいま」
 玄関を開けると、家の中には誰もいないのが分かっていながら、小さく呟いた。自分の部屋に入って、そのままごろんとベッドに仰向けになった。日曜日俊と会ってから、ずっと頭痛が続いていた。もしかしたら妊娠してしまうかも、という考えから、どうしても離れることができずに、何時間もネットを繋いで、今自分がどういう状況なのかを必死に把握しようとした。そのせいかもしれない。頭痛が続いているからなのか、気分が悪く吐き気もする。最初まさか、と思ったがつわりになるには時期が早すぎるのだと色々調べて分かってはいた。頭痛による吐き気だろうと思う。
 
 色々と調べていると、妊娠した可能性のあったときから3日くらいの間に飲めば、妊娠を回避できるピルというものがあるらしかった。明日の朝病院に行けば、まだ間に合う。けれどそういうものを扱っている病院は数少なく、この辺にはないらしかった。バイトも休まなければならないし、第一、私は産婦人科というところに行ったことが一度もなかった。父親から保険証を持ち出すのも、憂鬱だった。きっと根掘り葉掘り訊かれるに違いないのは、目に見えていた。
 
 先ほど買ってきた判定薬の、説明文を取り出して仔細に読んだ。何度読んでも生理予定日を一週間ほど過ぎないと正確な判断は出来ないと書いてある。まだ一週間以上もあった。今これを使っても、なんの意味もないのだろう。中身をまた箱にしまい、クローゼットの奥に隠した。父は私の部屋にはほとんど立ち入らないが、万が一ということがある。こんなもの見つかったら、殺されるかもしれない。
 
 あまりの頭痛の酷さに、どうしていいのか分からなかった。台所に行き、引き出しを開け、バファリンを取り出した。コップに水を注いだところで、はっと思った。万が一子供が出来ていたら、こんなものを飲んだらまずいのだろう。多分妊娠中は薬を飲んではいけないのだ。私は水の入ったグラスを、じっと見つめた。そこを見つめていれば、心が落ち着くかのように、じっと見つめた。このまま力が抜けて、ふっと体が沈んでいきそうな気がした。けれど私の体は、そんなにやわに出来ていなくて、私はそこに立ち尽くしていた。それからコップの中の、水をごくりとひとくち飲んだ。とにかく一眠りしなくては、この頭痛は治らないのだろうと思う。時計を見る。あと1時間もすると父が帰ってくるだろう。寝ている暇はないと思った。

 どうにも重い頭を抱えながら、冷蔵庫を覗く。簡単に作れるものにしようと思う。帰りにスーパーでお刺身でも買ってくればよかったと、後悔する。私は何も、食べたくなかった。お父さんの分だけ、と思うが、やはり何か勘ぐられると思うと、気は進まないがいつも通りきちんと二人分を作った。ご飯の支度があらかた済むと、お風呂を沸かしておく。土建業を営む父は、ご飯の前に先に風呂に入り、きれいになってから晩酌をするのが習慣だった。

 父が帰ってくる。私は見ていたテレビから離れて、お魚を焼く準備をした。意識的にそうしたわけではないが、父の顔をあまり見たくなかった。お風呂から出て晩酌を始めた父は、少し上機嫌な口調で、私に聞いた。
「仕事は見つかったのか?」
 ご飯を口に入れようとしていた私は、そのままお茶碗を見ながら、まだ、とだけ答えた。前の仕事は、父の仕事上での付き合いのある人の、小さな会社だった。その事務員として働いていたが、この不況で会社は経営が厳しくなり、私はいわばリストラされた形だった。父親の目の届く範囲で仕事をすることに、窮屈な思いを抱いていた私にとって、それはたいした打撃でもなく、それどころか、ちょうどいい転機だった。それからバイトしながら、次のまともな職を探しているのだが、なかなかこれという仕事が見つからなかった。派遣社員で働いてもいいとも思っていたが、昔かたぎの父は、正社員で雇ってもらえるところを探せと、うるさかった。そうしながら、何となく今の生活になって、数ヶ月が過ぎていた。
 短く答えた割に、何もそれ以上は追求されず、父はテレビで報道番組を見ていた。父の晩酌のコップと、つまみの入った皿を残して、片付けを始める。

 私がもし、俊と結婚するということになったら、父はここで一人で暮らすのだろうか。今までこうしてやっていた仕事は、例えばご飯の支度をしたりトイレの掃除をしたりとかは、父が自分でするのだろうか。そんなことは考えたこともなかった。一緒に住んでいた祖母が無くなってから、こうした家事全般を私がするようになり、高校生の頃は、なんで主婦でもない私が、これほど家事に追われなくてはならないんだろうと、思ったりした。お父さんが再婚でもして、やさしい女の人が家に来て、家事をやってくれたらいいのに、と、そんなことを考えたこともあった。けれども父と付き合っていた人は、家庭とはそぐわないような水商売の人のときもあったし、また一時期同居していた父よりずっと年下の人もいた。でもなぜか、籍を入れて正式に結婚するということには、ならなかった。私がいたからかもしれない。なんとなくそう思っている。私がいなかったら、父はどこかの誰かと、再婚していたのかもしれなかった。

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コメント (2)
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