星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

夕凪(4)

2006-10-26 03:46:33 | 夕凪
 湯船には自分の体が、白く浮かんでいた。じっと腹部のあたりを見ていると、その部分が大きくなってくるかもしれないということは、とても想像できないことだった。と同時に、自分の体が、何か自分の体ではないような、3日前の私とまったく同じ私であるのに、それ以前とは違う入れ物になっているような、そんな錯覚もした。勿論これと言って具体的に体の感覚に変化があったわけではなかった。ただ、自分の体を、こんな風に過剰に意識したことが、今までなかっただけなのかもしれないと思った。

 湯船から上がって、髪を洗う。次に体を洗う。頭痛が少しも和らがないので、そのことにイライラしながら、雑に洗った。体の各部分を洗っていると、私は先ほどのイメージから遠ざかることができずに、自分の下半身から子供が生まれることを想像していた。あんなものが自分の体の中に存在し、そして出てくるということを考えると、それは恐怖以外の何者でもなかった。自分の分身のようなものが、自分の体内に一定期間存在し、この世に産み落とされる、そんなことを頭の中に思い描くと、それはグロテスクな、気味の悪いことにしか思えなかった。なぜ女は、あれほどの恐怖の体験を喜ばしいことのように語るのだろうか。それがどうしても理解できなかった。生まれたての赤ん坊は、どれくらいの大きさなのだろうか。どんなに小さく考えても、それは産む時死ぬほど痛いのだろうとしか、想像できなかった。

 それから自然と、自分を産んだ人間のことを考えていた。それほどの思いをして産んだ子供を、どうして捨てることができたのだろうか?それは物心ついてからの、答えの出ない疑問だった。腹を痛めて産んだ子供なのだから可愛いはずだ、という言い方をよくされるけれど、それは自分と、自分の母親のことに照らし合わせてみると、少しも信用できない言い方だった。世間一般によく言われるように、腹を痛めた子供が可愛いのならば、自分を産んだ人は自分を捨てた訳はなかった。産んで捨てたのならば、産んでくれないほうが良かった。私の考えはいつもそこに辿り着いた。育てる気持が無かったのなら、産む前に始末するという方法だってあったはずだ。そういう選択をせずに、産んで育てる決心をしたのだったら、どういった理由があろうと死ぬ気で育ててくれるべきだったのだ。飼っている犬や猫を、面倒だからと捨ててしまうように、私は捨てられたのだと、そういう思いが拭いきれなかった。今まで通り抜けてきたさまざまな体験や惨めな経験を思うと、私を産んでくれなければ、こんなに苦しまなくて済んだのにと、そう思わずにはいられなかった。

 私は父から直接聞いたわけではなかったが、親戚の人の噂やなにかで、私を産んだ母親が家を出たのは、父の酒癖が悪かったためと聞いていた。酒を飲んで暴力を振るったのだと、それに耐えられずに家を飛び出したのだと、そういうことを何となく知っていた。だが私の知る限り、父が酒を飲んで暴力を振るっているのを、見たことが無かった。どれほど深酒をしても、翌朝にはしゃきっとして現場に出て行く、そういう父親しか知らなかった。それに、もしその話が本当のことだとしても、そんな父親のもとに、腹を痛めて産んだわが子を、残していくことができたのかという疑問が残った。それは子供を暴力夫のもとに置き去りにしたということではないか。自分がそれに耐えられないのに、子供は耐えられると思っていたのだろうか。自分は逃げるのに子供は置いてけぼりで良かったのだろうかと、そういう風にしか思えなかった。逃げるのなら、私を連れて逃げてほしかった。なぜ私は置いていかれたのか、私の存在は自分の母親にとって何だったのだろうか、その疑問はこれまで何度も何度も浮かんできたことだった。そしてそれは、いくら考えても答えが出なかった。それを知っているのは、私を捨てた本人だけなのだ。そう思っている反面、その母親に対しては、何の感情も持っていなかった。記憶の中のたったの一場面しか登場しないその人は、自分にとって他人も一緒だった。まだ会った事のない、未知の人間のなかの一人と、同じ存在だった。会ったこともない人間を、憎いとか嫌いだとか思わないように、自分を産んだ人間に対して、恨みのようなものは持っていなかった。ただ私ならそうしないし、私はあの人のようには絶対にならない、そう思うだけだった。

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コメント (2)
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