遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ揺るがるれ
言うまでもなく平清盛によく出てくるフレーズですね。
どうやら、この2102年度の大河ドラマ「平清盛」。
この歌の意味のごとく『子供の元気な声を聴いていると、何だか体がウズウズして遊びたくなってくるわい!』
とドラマ関係者が意気込んだ結果、生まれた作品がよもや彼岸の域に達していようとは誰が予想したことでしょうか。
いや最初から懐疑的に見ていた人は「王家」という言葉や「溢れ出るコーンスターチ」を見た時点でピンと来たのかもしれませんが、不肖、この琉河はまんまとこの作品に期待し勝手に絶望することと相成りました。
一般的にいう源平合戦よりも一世代前のあまり馴染のない時代だから、描きようによっては面白くなると思ったのですが・・・。
ここまで通説を無視して異説に走ってくれると、こちらが何を言っても空しくなるばかりですね。琉河はまず王道的な通説を基にした物語があって、初めてそこから派生する異説が生きてくると思うのですよね。忠臣蔵で例えると、「吉良上野介を悪」とした展開を『通説』とすると、ここ最近、放映されるようになった『浅野長矩、神経衰弱による乱心。吉良上野介はとばっちり』という展開が『異説』になるわけです。
『異説』は広範囲に広がっていて、例えば深作欣二の八犬伝(鎌田敏夫・原作)のような滝沢馬琴の設定を借りただけの面白ハッタリ展開も『異説』に含まれてもいいと思います。
まさにここ「ドラマ清盛」は第一話から深作欣二の八犬伝ばりのハッタリ展開がバシバシでてきます。
前述のとおりそれはそれで、面白いのです。
どのくらい面白いかというと、ヤングジャンプあたりで連載していたら全巻そろえてしまうぐらいの面白さです。(それがどのレベルかというのはご想像にお任せします)
あっ、今、深作監督の八犬伝を引き合いに出してしまいましたが、勿論、完成度は清盛より八犬伝の方が数百倍は上です。
「ドラマ清盛」は琉河的には漫画的なハッタリ展開ばかりだと思うのですが、別にハッタリ展開をバカにしているのわけではありません。堅苦しい歴史イベントばかり並べたてても知識欲は満たされるものの、続きを見たいと自発的に思えなくなってしまうし、再現ドキュメンタリーみたいなドラマになってしまう。要は、ハッタリ展開の塩梅が重要なわけで、「ドラマ清盛」は明らかにこの分量を間違えているのです。
視聴者を退屈させまいとして、毎回これでもかと『異説』を語り続け、不必要な設定をこさえて無駄な伏線を貼りまくった(※1:皮肉なことに『通説』を知っている人でないと伏線と分かりにくく、知らない人は単なる荒唐無稽な展開にしか成り得ない)のでしょうが、全部裏目で出ていますね。視聴率の推移を見れば明らかです。
さて、では琉河が思う裏目に出たと思われる設定やストーリー展開を語ってみましょうか。(例によって批評という名のストレス発散ですよ)
さて、1番目は「王家の奴ら」
こいつらは全員どこかしらダメ。何で、行動パターンがいちいち家庭サスペンスとかご近所の悪い噂みたいになっているのだ。ぶっちゃけ琉河はこの手の話は大好物です。特に三上法皇はわざわざ自分から地雷を踏みに行くという凡人では耐え難い苦行に挑んでいる。毎回毎回、律儀に自爆していく様は見ていて面白い。しかし、王家にまつわる肝心な話は全て事後なんだよね。お子様に聞かれたら親はどうやって答えるのだ。
というわけで琉河的には好みでも、絶対に家族でまったり見たい層には支持されない。
他にもダメ人間はいるぞ。三上法皇と共依存に陥っている待賢門院様だ!
この御方は何というかダメとしか言いようがない。一見控え目でおとなしめなのは好印象なんです。しかし、空気の読めなさは異常。相手が言葉で攻められるのが大好きな三上法皇でなければ、とっくの昔に流罪になっていてもおかしくないレベルです。で、挙句の果てに「私の心は空っぽなんです~」だと!どこの猛禽だ!
でもね、残念なことにこの手のタイプは琉河の経験から行くと、たいていタチ悪い奴に引っかかってヒモと化した男性を養うことになる羽目に陥るのです。しかも、この手のタイプに寄りかかっている男性は対象の女性から拒絶されるとストーカー化することもあります。そういえば、「ドラマ清盛」にもまさに似たようなタイプがいたな…。
で、清盛のライバルとなる予定の雅仁親王。一見、バカな振る舞いも計算です!といった風情だが、それならば何で清盛とのすごろく勝負で、たかだか幼子に邪魔されたぐらいでそんなに怒れるのだ。単なるキレやすい若者じゃないか。「腹に一物抱える大天狗」ならば、そこは豪快に笑い飛ばしてほしかった。
そして、最後はベンジャミン法皇。全てが不快。
設定の上でも王家は失敗している。崇徳帝が白河法皇の息子という噂を真実として取り扱っていること。いくら何でもやり過ぎです。その伏線の回収が11話の崇徳帝による鳥羽院への反旗だとしたら、そこまでの設定は要りません。まさしく(※1)の事象に当てはまると考えます。せいぜい、神経が摩耗し始めた三上さんが懐疑的になるぐらいで十分。
この設定のために王家全体が生々しい大人の世界になっているような気がします。どこまでいってもベンジャミンと待賢門院のあのねっとりとしたやり取りがちらつくのです。どこまでいっても黄昏流星群。はっきり言って気持ち悪いです。
2番目は「元海賊の奴ら」
賑やかし要員として必要なのはわかるけど、とにかく汚い。
そんなに汚くして誰が喜ぶのだ。
他に言うことなし。はい、次!
3番目は「藤原摂関家」
このお歯黒軍団は國村さん以外はまともな部類。特に頼長は役人として結構、正しいことを言っているぞ。密貿易のことにしても、王家は乱れている発言にしても、待賢門院に対する義清の罪を求める際にしても、どこまで行っても正しい。なのに、ドラマでは何だかダークサイド扱い。勧善懲悪の凄まじい転倒なのではないか!まるでデビルマンじゃないか!保元の乱後に頼長のちぎれた上半身が清盛の隣で横たわっていても不自然ではない。(まさかその伏線じゃなかろうな…)
後、異様に気になるのが、國村さんのクレジットの位置。単なる偶然だと思うのですが、やけに目立つ位置にクレジットされています(松雪さんも時々この位置にクレジットされます)。トメでも何でもないのに中井貴一さんより目立っています。何だか微調整している臭いんだよな~。表示時間というかクレジットされる時間の間隔がその都度違うし。う~む、小癪だ!
4番目「主人公周辺のバ〇野郎ども(平清盛、源為義、佐藤義清)」
全部だめ。何がダメって全部だめ。
まずキング・オブ・ダメおやじの称号を得た源為義。第4話の忠盛闇討ち事件。棟梁自ら、一人でのこのこ暗殺に行くって絶対に有り得ない。しかも、どう見ても格好からして中井貴一の勝ちです。棟梁なのに何故か雑兵みたいな恰好をしている為義。
なんだ、お前。
それしか服を持っていないのか。しかも、どさくさに紛れて「これが息子にしてやれる唯一のことだ!」とか抜かしやがったな。思わず騙されるところだったわ。それは自分が処刑されるときまで取っておけよ。ここで持ってくるなんて、随分と安い命だな。
琉河は以前、この為義のキャラ設定を通説を覆した眼から鱗と評したが、やはりまずは通説通り狼藉者の為義を見たかった。この場合、小日向さんではミスキャストになってしまいますが。
で、次は清盛。ロックです!グレイトです!激動の時代を生きています!愛しさと、切なさと、心強さを持ってます!お父さんの威光を利用してます!以上!
…妻が死んだときに僧に蹴り飛ばしていましたが、これが祇園闘乱事件の伏線だとしたら絶対に清盛を支持しない。まさに(※1)に該当し、下らない伏線。
この時、平家の良心であった盛国が「極論を言えば、法皇のせいで北の方様は死んだのです」とかほざいていましたね。んなバカな。ひたすらみじめな設定になっている三上さんに合掌。ついでに三上さんのクレジット位置が悪すぎるのにも合掌。
最後に佐藤義清!
いやはや、このバ〇にはすっかり騙されましたよ
最初こそ、「ちょっとナルシストだけど、知勇兼備の頼りになる奴」みたいなキャラでしたが、第10話で見事に転落。
「何で(美しい)僕を認めてくれないんだよう。(俺はあのダメ上皇より下だというのか!)」
という逆切れで待賢門院の首を絞め、挙句の果てにムシャクシャして娘をキック。見事なまでの虐待行為。しかも、誠意を込めた謝罪もせずに一人逃亡。
誰が共感するんだ、こんなキャラ。地雷震に出てくる小佐野ヒロキかよ!
ネタ的には面白いけど、主人公サイドにこんな人物を置いて物語的に大丈夫なのか。
ええ、確かに義清というか西行は出家を止めようとする娘を蹴り飛ばす逸話は残っていますよ。でも、明らかに使いどころを間違っているでしょう。
一事が万事とは言いませんが、この先、どんなに義清が素晴らしいことを言っても色眼鏡で見られることは間違いないですよ。
しかも、自分の限界を知って自暴自棄。ヒモまっしぐらじゃないですか。
この先、どこまで行ってもネタキャラ扱い。せいぜい、物語のツッコまれ役として頑張ってください。
あと、失敗だと思ったのは頼朝のナレーション。頼朝である必要性が全くない。もう少し、源氏に肩入れした言い方にしたり、敢えて雅仁親王を目の上のたんこぶ的な扱いで語ってくれた方が頼朝らしい気がする。
そして一番小癪なのは、理屈的な説明がなされているように見せて、単なるオーバーな演出の勢いだけで乗り切ろうとするところ。
龍馬伝の時からの悪い癖です。
いくつかあるのでパッとは出てきませんが、直近のもので言えば、崇徳帝が譲位にあたり悶絶するシーン。
「皇太弟だと…、おとうと、おとうと…、違う、違う・・・、おのれ得子。朕を騙したな!」
どうやらARATAさんは松雪さんに騙されたようなのですが、何がどう騙されたのか分からない人には分からないと思います。ARATAさんの立場ではとにかく“息子”ではなく“弟”に帝位を譲るのではマズいらしいです。
きちんと説明して欲しいところなんですけどね。仮にも情報を与える側の人間が「分かる人だけ分ければいい」という姿勢を取るのはどうしたもんですかね。これが「無駄金使って自己満足なドラマを作りました。見たければ見て良いよ」という姿勢なら何も言うことはありませんよ。いっそ、そう宣言した方が楽じゃないですかね。
「もしドラ」を放映していた局なのに、顧客満足を考えないのもどうなのかな。スタッフにとって一番の顧客はコーンスターチ業者なのかな。
何にしても、この時代を取り扱うこと自体に心意気を感じた、あの期待膨らませてくれた思いを、もう一回味あわせてはくれないでしょうか。
最後になりますが、琉河が2話以降、感想を書いていない理由を述べます。
一番の理由は体調の問題です。これは厄介で、原稿の推敲すらまともにしていません。見苦しい文章について、この場を借りてお詫びします。
2番目の理由はこれも簡単な理由で、ドラマを見ながら琉河の脳内でオリジナルストーリーを妄想しているからです。当然キャストもキャラ設定も違う所が出ています。ドラマは本編の進捗具合と妄想ストーリーを照合させるためだけに見ています。特にドラマに求めるものが無いと毎週、感想は書けないものです。ある意味、こういう視聴方法もアリだな、と最近では考えています。
ネオにならなければ行けないのでしょうか?
前年のファンタジードラマに続き、
迷走をある程度の人間に感じさせなければ
いけないのでしょうか?
そう言えば大河の外の
「テンペスト」
劇場公開されるらしいけれども、
大河を差し置いておいしいポジションに
あるなあと思ってしまいます。
朝ドラを中心とした現代劇路線
外部時代劇に
差し置かれている大河が悲しいです。
やはり、シャクシャインや青函トンネル
をやるべきではないでしょうか。
また、2014年は戰國ものでしょうか。
美しき時代は終わったのかな。
1・2月は寒かったですね。
「大河ドラマのナレーターが誰になるか?」は演出の問題にもなりますね。確かに源頼朝が父親の仇である平清盛に一定の理解を持つのはやや不自然ですね。下手をしたら首をはねられているので。
20年にわたる苦節を経ての将軍就任の意味がなくなる。
苦言の多い岡田君のしゃべり方。「教科書を読むみたいだ」と皮肉くられています。声が小さいのかな?
「話し方」で言うと崇徳天皇と佐藤義清が和歌を詠む場面が、何回聞いてもお経をあげているようにしか聞こえない。変な節回しで語尾を伸ばす必要ないのに。
「宮中歌初め」を見るとわかりますが、言葉に波はないです。
登場人物の1人がナレーターをやる(今年まで3年連続)場合は、あまりにも感情的にしゃべるのも良くない(「龍馬伝」における香川照之さんふんする岩崎弥太郎の口調)ので、ベストなのは「天の声」方式(天の声は「中立」なので)ですね。来年は天の声方式にしてほしいですね。内容的な事情もあるので。
あと雅仁親王・後白河天皇を、「クレイジープリンス」として描写するのもどうかなと。生まれて間もない弟(近衛天皇)の顔をつねる場面に、「おいおい」と言ってしまいました。
今様に熱中していますね。あの調子じゃ勉強そっちのけで、ロックに熱中する大会社の跡取りの高校生と大差ない。
それに鳥羽法皇が気色悪すぎる。仮にも天皇だった御仁なのに、風格・品位がまるでないのは致命傷です。この人が亡くなった後に保元の乱が起きます。
三上さんの演技を「怪演」と見る向きもあります。
「カーネーション」を見ていると「平清盛」が陳腐な内容に見えます。このままズルズル行くと平清盛が、週刊新潮・第2回日本ラズベリー賞に満場一致で決まりそう(苦笑)。
かなり長くなりましたが、序盤からこんなに無様につまづく大河作品も珍しいです。
平清盛個人に関する意見は後日記載します。
NHKはもう何を作ったら、視聴者に受けるドラマになるか分からないのではないでしょうか?だから、極端から極端へ走る気がします。
ストーリーは至ってオーソドックスで良いと思います。ただ、題材は「THE歴史!」というものが良いですね。戦前のもので良いテーマを探してほしいものです。
仰ること、一つ一つが理解できます。まさにその通りだと思います。
>序盤からこんなに無様につまづく大河作品も珍しいです。
何を作ったらいいのか分からないので、イチかバチかの賭けに出たら見事に破れた、といった印象です。人物像も設定も全部裏目に出ていますが、それでも視聴率が10%切っていないだけでもマシだと思うしかないですね。
戦前のモボ・モガが似合いそうな感じがします
ならば、戦前を舞台にした企画を大河で
やるしかないと思います。
朝ドラやハゲタカ枠など現代劇を守備範囲とした
枠ではnhkはここら辺の時代に力を入れて
作っているのが分かります。
民放でもなければ朝ドラでもハゲタカ枠でもない、大河枠での戦前をやるべき時に
来ていると、私は考えます。
余談ですが、山頭火のnhkスペシャルドラマが
あったとか・・。
平清盛の言動に「トゲ」を感じます。子供を持つ立場(年明け後に松山君にリアルに子供が生まれた)になっても素行が大人げない。誰か注意する人はいないのか?織田信長は長男が生まれたあたりから「箔が付いた」のですが。
あと賭け事をやる場面がありますが、一昨年の夏に相撲関係者の賭博行為が社会問題になったのに、それを考慮していないと思います。
>tomohiroさん
「八重の桜」は主人公が昭和初期まで健在だったので、一応「戦前を扱う番組」になるかも。
朝ドラは「1940年代前後」を扱う作品が続いたので、次々作は現代(平成の今日)を生きる男女のラブストーリーだとか。
「カーネーション」が大ヒットしたので、八重の桜にも「モダン・テイスト」があるかも。愛知県の明治村でロケがあるかな?
公式や大河ドラマのあり方を守りたい人の
言い分はこうです。
「地上波だから。Cornstarchユーザーの為の
ものだから・・・。文句がある人はbsや
地上波の歴史専門チャンネルに行ってくれ。」
です。アニメ畑の末期の世界名作劇場も
そうでした。
同じアニメ畑でもオダギリジョー・永井大
要潤あたりを起用し始めてから是まで
ジリ貧だったのに息を吹き返し始めたのが
特撮ドラマ。
地上波・Cornstarchユーザー向きなのに
手抜きをしなかったから後者は息を吹き返したのだと私は考えます。
地上波だから、Cornstarchユーザーに
おもねるのが正しいのでしょうか。
浪漫よりも現実を見据えて且つ冒険が
正しいことをnhk現代劇班や特撮ドラマの
スタッフは教えてくれているような気がします。
だから、大河では間宮林蔵と蝦夷地に関する
企画を私は強く推します。
他に解體新書なんてのも期待しています。
that's歴史、時代劇の様式に嵌っている
のがいいかもしれません。
私が今の大河ドラマを悪口を言ったサイトでは、韓国時代劇の多様性に関しては
「粗亂製造だからこんなものはほっとけ。」
で処理していました。
もし、日本のソフト力を守りたいならば
古き良き時代にこだわる事じゃないのに
聞く耳を持たない人が多いのが
そこで1984年から1986年にかけてのいわゆる「近現代三部作」(『山河燃ゆ』、『春の波涛』、『いのち』)の路線をもう一回NHKにやっていただきたいと思っているのですがどうでしょう?
全く架空の話でいくなら、ある市井の人物の視点で戦前・戦中・戦後の日本を描くというものをやってもいいと思います。
こないだの清盛の演出って・・・愛国保守系、俗称「熱湯浴」のブログで、三大怨霊の一柱である崇徳院に祟られるぞと言われてますがこれでは、泉下の清盛公まで化けで出るかも「それがしはあそこまで惨めではないわ!」
まぁ、自分が思うてること琉河様がほとんど書いてなさるのでそれ以上は書きません。
ところで「コーンスターチ」って、あの「汚い画面」のことでしょうか。
あと細々したことを。
・清盛の妻「明子」ですがこの時代だったら「あきらけいこ」になるのでは?
・高階通憲が海賊船のなかで漢詩を口ずさんでたら海賊の一人が「李白先生の詩だ」・・・エラい教養のある海賊だこと(笑)
・時系列がわかりにくいので、パソコンの画面見ながらケータイのワンセグ見てる、ってな状態です。
明子が死んだとき、時子は18歳、建春門院は2歳くらいでしょうか。
最後に琉河様、無理なさらずしっかり療養なさってください。
米倉涼子氏が起用されましたが、
是を起用するに当たって当時の若手
と上司とで一悶着があったらしいと
伝える怪文書が後年発見しました。
(2005/6年頃だったかも)
若手は、米倉氏の起用を渋ったのですが
上司が如何してもというので彼女を
起用したらしいです。
若手は米倉氏では時代劇に合わないという
理由らしかったです。
こういったことが十年近く前に
行われていて、今の惨憺たる大河ドラマに
成ってしまったのかと思うと恐ろしくなります
昨今の松山ケンイチ・綾瀬はるか兩氏の
起用もねじ込みなのではと思っても居ます。