必然的なヒストリー

クソムシが歴史系映像の感想を書いたり、妄想キャスティングしています。このブログは純度の高い自己満足で構築されています。

「遊びをせんとや生まれけむ」=「思うが儘に生きてみよ!」→完成したのは失敗作

2012-03-20 00:29:44 | 歴史ネオドラマ「平清盛」

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ揺るがるれ

言うまでもなく平清盛によく出てくるフレーズですね。
どうやら、この2102年度の大河ドラマ「平清盛」。
この歌の意味のごとく『子供の元気な声を聴いていると、何だか体がウズウズして遊びたくなってくるわい!
とドラマ関係者が意気込んだ結果、生まれた作品がよもや彼岸の域に達していようとは誰が予想したことでしょうか。

いや最初から懐疑的に見ていた人は「王家」という言葉や「溢れ出るコーンスターチ」を見た時点でピンと来たのかもしれませんが、不肖、この琉河はまんまとこの作品に期待し勝手に絶望することと相成りました。
一般的にいう源平合戦よりも一世代前のあまり馴染のない時代だから、描きようによっては面白くなると思ったのですが・・・。
ここまで通説を無視して異説に走ってくれると、こちらが何を言っても空しくなるばかりですね。琉河はまず王道的な通説を基にした物語があって、初めてそこから派生する異説が生きてくると思うのですよね。忠臣蔵で例えると、「吉良上野介を悪」とした展開を『通説』とすると、ここ最近、放映されるようになった『浅野長矩、神経衰弱による乱心。吉良上野介はとばっちり』という展開が『異説』になるわけです。
『異説』は広範囲に広がっていて、例えば深作欣二の八犬伝(鎌田敏夫・原作)のような滝沢馬琴の設定を借りただけの面白ハッタリ展開も『異説』に含まれてもいいと思います。

まさにここ「ドラマ清盛」は第一話から深作欣二の八犬伝ばりのハッタリ展開がバシバシでてきます。
前述のとおりそれはそれで、面白いのです。
どのくらい面白いかというと、ヤングジャンプあたりで連載していたら全巻そろえてしまうぐらいの面白さです。(それがどのレベルかというのはご想像にお任せします)
あっ、今、深作監督の八犬伝を引き合いに出してしまいましたが、勿論、完成度は清盛より八犬伝の方が数百倍は上です。

「ドラマ清盛」は琉河的には漫画的なハッタリ展開ばかりだと思うのですが、別にハッタリ展開をバカにしているのわけではありません。堅苦しい歴史イベントばかり並べたてても知識欲は満たされるものの、続きを見たいと自発的に思えなくなってしまうし、再現ドキュメンタリーみたいなドラマになってしまう。要は、ハッタリ展開の塩梅が重要なわけで、「ドラマ清盛」は明らかにこの分量を間違えているのです。
視聴者を退屈させまいとして、毎回これでもかと『異説』を語り続け、不必要な設定をこさえて無駄な伏線を貼りまくった(※1:皮肉なことに『通説』を知っている人でないと伏線と分かりにくく、知らない人は単なる荒唐無稽な展開にしか成り得ない)のでしょうが、全部裏目で出ていますね。視聴率の推移を見れば明らかです。

さて、では琉河が思う裏目に出たと思われる設定やストーリー展開を語ってみましょうか。(例によって批評という名のストレス発散ですよ

さて、1番目は「王家の奴ら」 
こいつらは全員どこかしらダメ。何で、行動パターンがいちいち家庭サスペンスとかご近所の悪い噂みたいになっているのだ。ぶっちゃけ琉河はこの手の話は大好物です。特に三上法皇はわざわざ自分から地雷を踏みに行くという凡人では耐え難い苦行に挑んでいる。毎回毎回、律儀に自爆していく様は見ていて面白い。しかし、王家にまつわる肝心な話は全て事後なんだよね。お子様に聞かれたら親はどうやって答えるのだ。
というわけで琉河的には好みでも、絶対に家族でまったり見たい層には支持されない。

他にもダメ人間はいるぞ。三上法皇と共依存に陥っている待賢門院様だ!
この御方は何というかダメとしか言いようがない。一見控え目でおとなしめなのは好印象なんです。しかし、空気の読めなさは異常。相手が言葉で攻められるのが大好きな三上法皇でなければ、とっくの昔に流罪になっていてもおかしくないレベルです。で、挙句の果てに「私の心は空っぽなんです~」だと!どこの猛禽だ!
でもね、残念なことにこの手のタイプは琉河の経験から行くと、たいていタチ悪い奴に引っかかってヒモと化した男性を養うことになる羽目に陥るのです。しかも、この手のタイプに寄りかかっている男性は対象の女性から拒絶されるとストーカー化することもあります。そういえば、「ドラマ清盛」にもまさに似たようなタイプがいたな…。
で、清盛のライバルとなる予定の雅仁親王。一見、バカな振る舞いも計算です!といった風情だが、それならば何で清盛とのすごろく勝負で、たかだか幼子に邪魔されたぐらいでそんなに怒れるのだ。単なるキレやすい若者じゃないか。「腹に一物抱える大天狗」ならば、そこは豪快に笑い飛ばしてほしかった。
そして、最後はベンジャミン法皇。全てが不快。
設定の上でも王家は失敗している。崇徳帝が白河法皇の息子という噂を真実として取り扱っていること。いくら何でもやり過ぎです。その伏線の回収が11話の崇徳帝による鳥羽院への反旗だとしたら、そこまでの設定は要りません。まさしく(※1)の事象に当てはまると考えます。せいぜい、神経が摩耗し始めた三上さんが懐疑的になるぐらいで十分。
この設定のために王家全体が生々しい大人の世界になっているような気がします。どこまでいってもベンジャミンと待賢門院のあのねっとりとしたやり取りがちらつくのです。どこまでいっても黄昏流星群。はっきり言って気持ち悪いです。

2番目は「元海賊の奴ら」
賑やかし要員として必要なのはわかるけど、とにかく汚い。
そんなに汚くして誰が喜ぶのだ
他に言うことなし。はい、次!

3番目は「藤原摂関家」
このお歯黒軍団は國村さん以外はまともな部類。特に頼長は役人として結構、正しいことを言っているぞ。密貿易のことにしても、王家は乱れている発言にしても、待賢門院に対する義清の罪を求める際にしても、どこまで行っても正しい。なのに、ドラマでは何だかダークサイド扱い。勧善懲悪の凄まじい転倒なのではないか!まるでデビルマンじゃないか!保元の乱後に頼長のちぎれた上半身が清盛の隣で横たわっていても不自然ではない。(まさかその伏線じゃなかろうな…)
後、異様に気になるのが、國村さんのクレジットの位置。単なる偶然だと思うのですが、やけに目立つ位置にクレジットされています(松雪さんも時々この位置にクレジットされます)。トメでも何でもないのに中井貴一さんより目立っています。何だか微調整している臭いんだよな~。表示時間というかクレジットされる時間の間隔がその都度違うし。う~む、小癪だ!

4番目「主人公周辺のバ〇野郎ども(平清盛、源為義、佐藤義清)」
全部だめ。何がダメって全部だめ。
まずキング・オブ・ダメおやじの称号を得た源為義。第4話の忠盛闇討ち事件。棟梁自ら、一人でのこのこ暗殺に行くって絶対に有り得ない。しかも、どう見ても格好からして中井貴一の勝ちです。棟梁なのに何故か雑兵みたいな恰好をしている為義。
なんだ、お前。
それしか服を持っていないのか。しかも、どさくさに紛れて「これが息子にしてやれる唯一のことだ!」とか抜かしやがったな。思わず騙されるところだったわ。それは自分が処刑されるときまで取っておけよ。ここで持ってくるなんて、随分と安い命だな。
琉河は以前、この為義のキャラ設定を通説を覆した眼から鱗と評したが、やはりまずは通説通り狼藉者の為義を見たかった。この場合、小日向さんではミスキャストになってしまいますが。

で、次は清盛。ロックです!グレイトです!激動の時代を生きています!愛しさと、切なさと、心強さを持ってます!お父さんの威光を利用してます!以上!
…妻が死んだときに僧に蹴り飛ばしていましたが、これが祇園闘乱事件の伏線だとしたら絶対に清盛を支持しない。まさに(※1)に該当し、下らない伏線。
この時、平家の良心であった盛国が「極論を言えば、法皇のせいで北の方様は死んだのです」とかほざいていましたね。んなバカな。ひたすらみじめな設定になっている三上さんに合掌。ついでに三上さんのクレジット位置が悪すぎるのにも合掌。

最後に佐藤義清
いやはや、このバ〇にはすっかり騙されましたよ
最初こそ、「ちょっとナルシストだけど、知勇兼備の頼りになる奴」みたいなキャラでしたが、第10話で見事に転落。
「何で(美しい)僕を認めてくれないんだよう。(俺はあのダメ上皇より下だというのか!)」
という逆切れで待賢門院の首を絞め、挙句の果てにムシャクシャして娘をキック。見事なまでの虐待行為。しかも、誠意を込めた謝罪もせずに一人逃亡。
誰が共感するんだ、こんなキャラ。地雷震に出てくる小佐野ヒロキかよ!
ネタ的には面白いけど、主人公サイドにこんな人物を置いて物語的に大丈夫なのか。
ええ、確かに義清というか西行は出家を止めようとする娘を蹴り飛ばす逸話は残っていますよ。でも、明らかに使いどころを間違っているでしょう。
一事が万事とは言いませんが、この先、どんなに義清が素晴らしいことを言っても色眼鏡で見られることは間違いないですよ。
しかも、自分の限界を知って自暴自棄。ヒモまっしぐらじゃないですか。
この先、どこまで行ってもネタキャラ扱い。せいぜい、物語のツッコまれ役として頑張ってください。

あと、失敗だと思ったのは頼朝のナレーション。頼朝である必要性が全くない。もう少し、源氏に肩入れした言い方にしたり、敢えて雅仁親王を目の上のたんこぶ的な扱いで語ってくれた方が頼朝らしい気がする。
そして一番小癪なのは、理屈的な説明がなされているように見せて、単なるオーバーな演出の勢いだけで乗り切ろうとするところ。
龍馬伝の時からの悪い癖です。
いくつかあるのでパッとは出てきませんが、直近のもので言えば、崇徳帝が譲位にあたり悶絶するシーン。
「皇太弟だと…、おとうと、おとうと…、違う、違う・・・、おのれ得子。朕を騙したな!」
どうやらARATAさんは松雪さんに騙されたようなのですが、何がどう騙されたのか分からない人には分からないと思います。ARATAさんの立場ではとにかく“息子”ではなく“弟”に帝位を譲るのではマズいらしいです。
きちんと説明して欲しいところなんですけどね。仮にも情報を与える側の人間が「分かる人だけ分ければいい」という姿勢を取るのはどうしたもんですかね。これが「無駄金使って自己満足なドラマを作りました。見たければ見て良いよ」という姿勢なら何も言うことはありませんよ。いっそ、そう宣言した方が楽じゃないですかね。

「もしドラ」を放映していた局なのに、顧客満足を考えないのもどうなのかな。スタッフにとって一番の顧客はコーンスターチ業者なのかな。
何にしても、この時代を取り扱うこと自体に心意気を感じた、あの期待膨らませてくれた思いを、もう一回味あわせてはくれないでしょうか。

最後になりますが、琉河が2話以降、感想を書いていない理由を述べます。
一番の理由は体調の問題です。これは厄介で、原稿の推敲すらまともにしていません。見苦しい文章について、この場を借りてお詫びします。
2番目の理由はこれも簡単な理由で、ドラマを見ながら琉河の脳内でオリジナルストーリーを妄想しているからです。当然キャストもキャラ設定も違う所が出ています。ドラマは本編の進捗具合と妄想ストーリーを照合させるためだけに見ています。特にドラマに求めるものが無いと毎週、感想は書けないものです。ある意味、こういう視聴方法もアリだな、と最近では考えています。