大河ドラマ史上、極めて異質であった「平清盛」
このドラマは一体、何を残したのでしょうか?
このドラマが残した功罪について琉河なりに考えた結論を語りたいと思います。
まずは、功績について。
これは1行で済ますことが出来そうです。
それは広告宣伝に力を入れ、新たな視聴者層を獲得したこと。
特にツイッターで楽屋ネタまで語り尽くし、これでもかとリップサービスに徹したこと。江に比べ数倍、力が入っていたと思います。
盛絵とかいう企画も、ある程度成功したのでは?
現段階では、視聴率が唯一、統計データとして信用できる材料となっていますが、将来、何だかの手段で(笑)ネットでの支持率とかを測ることが出来れば、ファンの皆様が仰るところの「視聴率は低いけど、ネットでは好意見が多い」という推論も実証出来るのでは無いかと思います。(現段階では、分母の数が不特定なので、統計としては説得力に欠けています)
続いて、罪過について。
とにかくスタッフは視聴者を舐めすぎ。
チーフプロデューサーがグダグダと言い訳をしていましたが、要はどんなに平安末期に人物描写で複雑な背景があろうと最大公約数の範囲で分かり易く描くことが出来なかった、これに尽きると思います。
あと、リアリティを追求した、という割には随分と人物デザイナーや脚本家に好き勝手やらせてましたね。透ける烏帽子とか、バカ殿様に出てきそうな幼女時代の政子とかどこがリアリティ?
あの変な砂埃がリアリティですか・・・。
普通に考えて道路に水ぐらい撒くだろ。
矛盾してます。
分かり易く描くことが出来なかった原因として、もう一つ挙げるのならば、エピソードの使い方が下手くそ。
例えば、4話の忠盛、殿上の闇討ち。
ムリヤリ為義を絡ませたために、展開がぼやけた。というか、あまりに出鱈目すぎて辟易してしまいました。
普通に考えて暗殺という汚れ仕事を源氏の棟梁自ら、のこのこと出向くか?
あそこで忠盛が為義の首根っこ捕まえて鳥羽院の前に差し出していれば、平治の乱を迎えるまでもなく源氏は衰退していったはずです。
何も、何が何でも史実に忠実あれ!とは思いません。
しかし、あまりにも有り得ない展開を見せられると架空エピソードに説得力が無くなって萎えるのです。
活きのいい大トロの刺身にケチャップをかけたような違和感。
エピソードを捏ね繰り回した結果、視聴者に「展開が複雑」という印象を与えたのではないでしょうか。
もう一つ例を挙げると、オカルトめいた茶羽ゴキブリみたいに繁殖するカムロ。
なんだあれ。妖怪か。
しかも、そのカムロを解散させるための装置として、兎丸を殺すという安直さ。
キャラの使い捨てにもほどがある。
兎丸こそ、壇ノ浦で奮戦して死ぬのがベストではないのですか。そう、例えば信長に登場した伝説の加納髄天の如く。
オカルトといえば、後白河の腫物からサイコロが出てきたことを暗喩する描写がありましたが、意味不明。
こういった演出が分かりにくくした原因ではないのですかね。
そうそう、エピソードどころかキャラの個性も活かしきれなかった。
平家一門は何とかキャラ付けをしようと必死になっている姿が見受けられましたが、いくら登場人物にキャラの特性を言及させても肝心のエピソードが手薄なため、中途半端になってしまいました。
そして、一番不思議だったのは、最終回で頼朝が後白河院を評して言った
「日本一の大天狗と呼ばれた後白河法皇が~」
というセリフ。
確かに大天狗であることは視聴者の周知の事実だとして、(そもそも『大天狗』は後白河を指していないという説もある)、ドラマでこの人の天狗ぶりを描いたシーンなんて、ほとんど無かった気がします。
後白河さんは感情を非常にストレートに出していた方だと思いますよ(笑)。
というわけで、色々と罪過について語りましたが、このドラマに場当たり的というか、刹那的な展開を求めるのならば面白かったという評価も出来そうです。
おい、琉河はトチ狂ったか!とお思いになった方は落ち着いてください。
そもそも琉河は一年という長丁場で場当たり的な展開を持ってくる大河を支持しません。
スタッフが唯一、その手腕を発揮出来たのは、場当たり的な展開をさも伏線であったかのように扱い後々リサイクルしてストーリに反映させた点ですが、そのお陰でストーリーがあっちに行ったり、こっちに行ったりと迷い箸みたいになってしまいました。
結局は、平清盛も江や天地人と何ら変わりがないと琉河は思います。ただ、ベクトルが少年漫画風なのか、少女漫画風なのかの違いだけだと思います。
前述のとおり、当ブログとしてはネットに迎合して「ここが面白かったです」と表現することは出来ました。
しかし、琉河は今まで天地人や江をこれでもかと叩いてきた人物です。
その人物が、手のひら返して、このファンタジーは素晴らしい!と、どの口で語ることが出来るのでしょうか!
琉河は平安末期の情勢には疎いです。
ならば、せめて過去の自分の発言にブレが無いようにしたいじゃないですか。
それが情けない話、唯一のちんけなプライドなんですよ。
パスタのアルデンテのごとく細いプライドなのですが、これからもこの価値観を大事にしていきたいと思います。
また、上半期は体調が優れずまともに感想を書くことが出来ませんでしたが、それでも暖かいお言葉をかけて下さった皆様には感謝しております。
ありがとうございました。
では、皆様。
良いお年を!
つい想像してしまいました。
兔丸は名もない雑兵に討ち取られるよりは
例えば弁慶に討ち取られたらドラマチックで
面白かったかもしれません。
滅び行く平家の家臣として忠臣弁慶と
一騎打ちという運びは燃えます。
「清盛、俺はあっちに行く・・・。」
とかで死んだらかっこよかったなあ・・・。
そのあと弁慶も唖然としていて・・。
それのほうが兔丸ぽくでよかったかも。
「演技力に定評のあるとされる俳優が主役でも歴代最低視聴率になる」事実をNHKはどう考えるのか?
12年「平清盛」は不透明な経緯で主役が決まったとも言えるので、この反省を教訓にしないとだめですね。ましてやNHKのドラマに縁がない人だったのでこれは否定しようがない。
思い切って15年作品以降は「大河ドラマ主役選考公開オーディション」でもやって、演技力の実技審査なり面接なりをしないと、あらゆる業界の人が納得しないのでは?とこの頃考えます。ただし、オーディションには応募資格を設けておかないと、演技実績がゼロのド素人が大河ドラマの主役になる恐れもあります。
それでもだめなら番組を止めるしかないのでは?
「NHKが大河ドラマを時代劇ではないと見なす」のであれば、(視聴率が低迷したら)最終回予定日前に打ち切りになる事があるからです。
この点が「平清盛」によって皮肉にも証明されたんです。民放局でもそうですが、時代劇は普通は最終回予定日前に打ち切りになることがないので。
今年もなにとぞ宜しゅうお願いいたします。
もう昨年のことは忘れることにしました、6日から始まる「八重の桜」に期待することとします。
といいながら、何か今年もやらかすような。
泉下の新島八重女史になんの恨みもないのですが主人公に設定した人物のありようを見るとそう思ったりします。
>例えば弁慶に討ち取られたらドラマチックで面白かったかもしれません。
面白そうですね!
そういう創作なら私も大歓迎なんですよ。せっかく、加藤さんをキャスティングさせたのだから、もっと暴れさせても良かった気がしますね。(笑)
>平清盛の番組開始前に「松山・玉木・松田のトロイカ体制だから大丈夫」と言っていた人は誰?「演技力に定評のあるとされる俳優が主役でも歴代最低視聴率になる」事実をNHKはどう考えるのか?
スタッフとしては何が何でも
「ストーリーを複雑に作り過ぎて視聴者の理解を得られなかった」
と視聴者をバカにしたような理由で片づけたいみたいですね。この点に関しては津川雅彦さんやビートたけしさんが言及されてた通りスタッフの見当違いも甚だしいと思いますね。
>思い切って15年作品以降は「大河ドラマ主役選考公開オーディション」でもやって、
誰もが納得する基準を設けて行うと、話題性が出て活気づくかもしれませんよね!ぜひ、検討してもらいたいですよね。
本年もよろしくお願いします。
>主人公に設定した人物のありようを見るとそう思ったりします。
私もよく分からないのですが、一応、会津若松を乗り切った人物の中で一番成功してそうな人物を探したら八重だった、ということではないかと妄想してます。
西郷頼母や松平容保を主役にすると、どうしてもバッドエンド的な展開になりそうなので、敢えてハッピーエンド風にしたかったのではないでしょうか(笑)
これ不思議ですよね。もし、年初の段階で津川さんかたけしさんが先に言っていたら、もう少し展開が違っていたかもしれないですよね。
今の大河ドラマでは出演者(主役含む)が番組のスタッフに何か意見を言う事はできないのかも?反対意見を言うと番組を降ろされるから無理なのか、自分の年齢が若いとなめられるのか?
亡くなられた中村勘三郎さんはスタッフと議論を交わしたのに。
時代劇のシナリオに限ると今50代前半以下の世代の人だと、誰が担当しても年配者から満足できないかもしれないと思います。今後もこの傾向は続くと思います。三谷幸喜さんでさえ「新撰組!」の評価は低いですね。映画・清州会議ではどうなるかな?
朝ドラ「純と愛」が年配者から猛烈に非難されているのを考えると、大河ドラマでも畑違いの人選になるのもやむを得ないかな?
※私は「脚本を書く人」、「脚本担当者」と言う表現があまり好きではないので、今年から「シナリオの担当」と言う表現にします。
被災した岩手県のニーズ
アンチ戦国・幕末派のニーズ
を汲んでいるように感じます。
大河、大丈夫かな。