喜界島は,奄美大島の東25kmの洋上に位置する周囲48kmの隆起珊瑚礁の島。
島一面にサトウキビ畑が広がっており、大型精糖工場による分蜜糖や黒糖焼酎が主な産物である。
喜界島にはハブが生息していないため、ハブの棲みかとなりやすいサンゴの石垣が未だに多く残っているといわれている。
喜界島を北限とする大型の蝶で、オオゴマダラ(金色のサナギになる「南の島の貴婦人」と呼ばれる)や、冬期に越冬集団をする習性のあるリュウキュウアサギマダラ、そして日本唯一の渡り蝶であるアサギマダラが、秋に本州から台湾方面へ向け南下するときの最大の中継地となり、数千匹というアサギマダラが羽根を休めて飛び交う姿を見ることができる。島は、まさに“蝶の聖地”なのだ。
小さな島の大半が隆起サンゴからなる平らな地形のため大きな河川がなく、 2,000mm以上の年間降水量がありながら、降った雨は貯水されることなく海へ流出してしまう。
そのため、サンゴ石灰岩の表層部と不透水層の間にコンクリートの止水壁を築造して海に流出する地下水をせき止め、サンゴ石灰岩の空洞等に貯留する「地下ダム」が建設された。
島一面にサトウキビ畑が広がっており、大型精糖工場による分蜜糖や黒糖焼酎が主な産物である。
喜界島にはハブが生息していないため、ハブの棲みかとなりやすいサンゴの石垣が未だに多く残っているといわれている。
喜界島を北限とする大型の蝶で、オオゴマダラ(金色のサナギになる「南の島の貴婦人」と呼ばれる)や、冬期に越冬集団をする習性のあるリュウキュウアサギマダラ、そして日本唯一の渡り蝶であるアサギマダラが、秋に本州から台湾方面へ向け南下するときの最大の中継地となり、数千匹というアサギマダラが羽根を休めて飛び交う姿を見ることができる。島は、まさに“蝶の聖地”なのだ。
小さな島の大半が隆起サンゴからなる平らな地形のため大きな河川がなく、 2,000mm以上の年間降水量がありながら、降った雨は貯水されることなく海へ流出してしまう。
そのため、サンゴ石灰岩の表層部と不透水層の間にコンクリートの止水壁を築造して海に流出する地下水をせき止め、サンゴ石灰岩の空洞等に貯留する「地下ダム」が建設された。
渡りをする蝶らしく、風を上手に利用して体力を無駄に使わない飛翔は上手く考えているなぁといつも感心して見ています。
またそんな飛び方をしているからか、羽はいつもしっかりとしてボロボロになっている『アサギマダラ』を見たことがありません…。
もう少ししたら、上高地でも見かけるようになりますが、今年の天候不順に蝶も苦慮しているのではないかと心配しています…。
これからの散歩は、花目当てもありますが、内心は『アサギマダラ』を早く見たいがためと云っても云い過ぎではないくらいです。
数千頭の『アサギマダラ』なんて、思い描くだけでワクワクしてしまいます…。 どんな気持ちになるんでしょう…。感動なんて言葉は陳腐に思えるんだろうなぁ…、きっと。
こんばんは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
コメントありがとうございます。
上高地にもあのアサギマダラが立ち寄るのですね。
私がアサギマダラを最初に見たのは、神奈川県の丹沢の山中でした。
ちょうど、今頃の時期、
標高1000mあたりのブナ林の林床に、
マルバダケブキの黄色い花が満開で
その上を、フワフワと飛んでいたのです。
大きな蝶なので、ゆったりと飛んでいるその姿はとても優雅でした。
漢字で書くと “浅葱斑”。
「浅葱色」ってこういう色なんだと、その時初めて実感しました。
アサギマダラの浅葱色が逆光に透けて見えるんです!
ステンドグラスのように…
「浅葱色」と言えば、…
因みに、今年マルバダケブキはどうしたことか大繁殖の年のようで、たくさんたくさん咲いています。
アズマヤマアザミは、もうすでに私の身長を超えるものまで出て来ていて、蕾をたくさんつけています!
色見本の浅葱色だとのっぺりした感じになりますが、そう、アサギマダラの浅葱色はステンドグラスのあの神秘的な色合いですよね…。
http://www.jigsaw.x0.com/jigsaw.cgi?id=1193753986671
もしよろしければ、私が写した『アサギマダラ』です。
浅葱色と云えば…、の後が気になるのですが、
私の場合は、さだまさしの『精霊流し』の一節でしょうか…。
おはようございます。
昨夜は近所で花火大会があり、のこのこと会場まで行きあまりの人の多さに疲れてしまいました。おかげで早起きの私が、7時近くまで寝てしまいました。
さて、素敵な蝶々話し興味深く読ませていただきました。とても面白かったです。「アサキマダラ」っていうんですか、そう言えば昆虫好きの友人から聞かされたことがあるのを思い出しました。その時は、無粋な私はあまり興味がなく何となく聞き流していまいました。ただ、友人が「蝶々の魅力」「蝶々の不思議さ」について熱く私に語ってくれたのが印象深く残っています。
友人から蝶々の「魅力」「不思議さ」を聞いた直後に、私が贔屓にしている新宿梁山泊という劇団の芝居に行き、偶然にもその内容が蝶々が出てくるものだったので、余計にその友人の蝶々話しが頭の中に残っています。
その、新宿梁山泊の芝居の内容ですが、少しだけ聞いて下さい。演目は「千年の孤独」というもので、当時この劇団の座付き作家の鄭義信という在日の方が書き下ろした戯曲です。
「あげは」という少女と鳥かごの中で蝶々をかわいがっているある青年(名前は忘れました)の情念の世界を描いた作品でした。「あげは」という名前から分かるように、この少女は蝶々の化身です。
芝居の中で、蝶々は(芝居の中の蝶々だけだったかな?)まるで渡り鳥のように長距離を移動し、その過程で鱗粉はげ落ちやがて朽ち果てて、子孫を残すという事を連綿としてやってきた。渡り鳥のように日本の端から端まで、中には外国まで移動する。そして、「記憶」までも遺伝し、場所の移動と同時に、時間をも移動するというくだりには衝撃を受けました。
芝居は遺伝した「記憶」を持つ蝶々の化身の少女と青年の悲劇の恋物語という設定のため、現実の世界と過去の世界と、時間を行ったり来たりするのでストーリーを説明することはかなり困難を極めます(私だけかも)。
この話、書いていくとキリがないのでこの辺でやめておきますが、sogoさんと里。さんのやり取りを読ませていただきながら、劇中の少女「あげは」はひょっとしたら「アサギマダラ」という蝶々ではないかと、フッと思いました。
土曜の朝からトンチンカンな話で失礼しました。
いつも楽しく示唆に富んだコメントをいただきありがとうございます。
ピンポン! さだまさしの「精霊流し」
♪あ~なたの愛~した母~さんの、今~夜の着~物は浅葱色♪
の「あさぎいろ」です。(笑)
もったいぶった終わり方をしてすみませんでした。
それから、例の「新撰組」の羽織、裃?の色が、「あさぎいろ」だったかな?
それにしても、日本の伝統の色名ってとても情緒があってよいですね。
瑠璃色とか茜色とか…
いつか芋焼酎さんが、染もの師と「120色の色鉛筆の話」をされていましたが
ほんとうにそう思います。
里さん、浅葱斑のジグソーパズル、ありがとうございます。
あとで、落ち着いてやります!
アサギマダラは1年のうちに、日本本土と南西諸島、台湾の間を往復していることが知られています。
2,000kmもの距離を移動する蝶もいるといわれています。
日本本土では、高山で過ごし、秋には、南の島へと移動していくのです。
日本の国蝶選定の際に、他のアゲハやこのアサギマダラも候補に選ばれましたが
結局は“オオムラサキ”が選定されたということです。
新宿梁山泊の劇中の「あげは」は、おそらくアサギマダラだと思います。
それにしても、話が繋がりますね。おもしろいです!
こんばんは。
ご丁寧な返信、ありがとうございます。
新宿梁山泊の「千年の孤独」についてですが、劇中の「あげは」というヒロインはsogoさんがおっしゃるように絶対「アサギマダラ」ですね。sogoさんや里さんの話を読んで、そう確信しました。芝居の中で、何度も「渡り鳥」ならぬ「渡り蝶」という言葉を発しています。
「千年の孤独」についての話を載せたおかげで、この芝居の事を思い出してしまい昨日から「もう一度観たい」という気持ちが募って仕方がありません。本当にいい芝居ですがもう観られません。
というのは、座付き作家で原作者の鄭義信氏と座長の金守 との間の確執が原因で、鄭義信氏が新宿梁山泊を退団してしまいました。そして、芝居の著作権の争いにエスカレートし、ついには裁判までもつれて泥沼の状態になってしまいました。一昨年取りあえずの決着がつき、「今後、新宿梁山泊は鄭義信の作品は一切上演しない」という事になってしまいました。本当に悲しい話です。
この芝居はもちろん観なければ作者の思いは伝わりませんが、コンノ ユウイチ氏という人がニュースレターという形でこの作品の事を述べています。それを引用しますので読んでください、少しは伝わるかも(?)知れませんので。
”戯曲が文学として、独立した表現として、再び自分の前に立ち現れたのは、新宿梁山泊の「千年の孤独」だった。薄蒼の闇の中、俳優たちの発する「あんた」「あんた」という台詞は、海峡を渡ってきた蝶が呪詛のように人々の口を渡るように思えた。蝶を入れたケースを磨き続ける少女、「あげは」は、「ケースを傷つけて」と男に望むが、男は傷を付けられない。傷を共有することで、思いをともにしようとする「あげは」の姿は、海峡から越えてきた蝶が、決して海峡のこちらで受け入れられないことを顕にしていた。唐十郎の状況劇場や笹原茂朱の夜行館に日本のロマンティークを見続けたボクとしては、さらに深く、深く、琴線に触れる「千年の孤独」に衝撃を受けて、戯曲の出版などそれまで一度も夢にすら思ったことがないのに、すぐさま鄭義信のところに出かけて、「千年の孤独」を出版したいと申し出ていた。
------あげは、僕はまた待ち続けなければならないんだね。僕はいくつ、千の昼と千の夜、千の春と千の冬を越えていかなければならないんだろう……。
でも、僕はたった一人で、待ち続けるよ。君に巡り会うために。たった一人の千年の孤独を胸に……。
あんた
……
あんた
……
あんた
……
何だい?
渡り蝶だよ。
渡り蝶だね。
------『千年の孤独』鄭義信 小社刊 ”
コンノ ユウイチ氏のニュースレターより
sogoさんの格調高いブログとは全く関係ない話ですが、「蝶々繋がり」という事で書きこまさせていただきました。お許しください。