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Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

「翼よ!あれが・・・ 」 - 伊勢湾上空

2009-04-21 | 中部
1926年、アメリカ国内では、ニューヨークからパリへの無着陸飛行の成功者に賞金を与えるという企画が発表された。これを知った若き郵便飛行士のチャールズ・A・リンドバーグもこれに挑むことを決意。有力者から資金を募り、“The Spirit of St.Louis(セントルイス魂)”号を作り上げた。そして1927年5月、いよいよ大西洋横断に向けてニューヨーク、ルーズヴェルト空港から飛び立った。だが、機上のリンドバーグには暴風雨など自然の猛威や睡魔が待ち受け、加えて絶対的な孤独感に見舞われていく…。
そして、ようやくパリの街の灯が見えた時、この映画の題名『翼よ!あれが巴里の灯だ』と叫ぶ。
伊勢湾上空、宝石を散りばめたような「街の灯」を俯瞰しながら、いささか古い映画のワンシーンを思い浮かべた。

春告げる曲線 - 立山黒部アルペンルート

2009-04-18 | 中部
北アルプスを貫き、富山県立山町と長野県大町市を結ぶ「立山黒部アルペンルート」で、高原バス路線の除雪作業が終わり、昨日4月17日、約4カ月半ぶりに全線開通した。
白く光る山肌に春到来を思わせる曲線が、くっきりと浮かび上がった。
画面は、バス専用路線23キロ区間のうち、半分を超える弥陀ケ原(標高1,930m)の区間。
今年は暖冬だったが、室堂(標高2,450m)付近の積雪は、約5.4mとほぼ平年並みだったという。
これから観光客を乗せたバスが両側に垂直の雪壁がそびえる道路を行き交うことになる。

北アルプス“北の俊英”- 剣岳

2009-04-16 | 中部
剱岳は、北アルプス北部、立山連峰にある標高2999mの山。富山県の上市町と立山町に跨る。
立山信仰とともに古来から、信仰の山で、立山曼荼羅では地獄の「針の山」とされ、精神世界に大きな役割を果たしてきた霊山である。
剣岳を望んで、まず思い出すのは、新田次郎著『剣岳・点の記』だ。
測量官・柴崎芳太郎一行が1908年7月、剣岳山頂に三等三角点埋設の命令を受け、
当時未踏峰と考えられていた剣岳に登頂する話である。
大変な苦労をして登頂してみると、そこには千年も前かと思われる錫杖の頭や剣の先があり、既に大昔、誰かが登っていた証拠が残されていた。 (この錫杖の頭と剣の先は、昭和34年重要文化財に指定。「立山博物館」に展示されている。)
映画「剣岳・点の記」(木村大作監督)が、今年6月20日に全国でロードショーされる。

北アルプス“南の重鎮”- 穂高連峰

2009-04-14 | 中部
天を突き刺すような鋭い岩峰が連なり、大岩壁が涸沢カールを威圧的に取り囲む。
雪で閉ざされた白い峰は人を寄せ付けない。
奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳などの峰々からなる穂高連峰は、大キレットの峻険な登降を経て、南岳、大喰岳の先の槍ヶ岳に連なる。穂高岳は、剱岳、谷川岳と共に日本三大岩場に数えられ、特に涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には「滝谷」、また、前穂高岳の東側、奥又白谷の「前穂東壁」を擁する。
井上靖の小説『氷壁』で魚津が遭難したのが前者で、小坂が遭難したのが後者である。
穂高岳登山の拠点となる涸沢は、奥穂高岳と前穂高岳に挟まれた吊り尾根よりU字型にえぐられた圏谷(カール)。
深田久弥 は「穂高の気高い岩峰群は、日本の山岳景観の最高のもの」、「死ぬ者は今後も絶えないだろう。それでもなお穂高はそのきびしい美しさで誘惑しつづけるだろう。」(日本百名山)などと書いている。


純白の衣纏う名峰 - 槍ヶ岳

2009-04-12 | 中部
「槍ヶ岳」は北アルプス南部に位置し、標高3180mで日本第四の高峰である。形が槍の穂先に似ているために槍ヶ岳という名があり、その鋭い形から人気の高い山である。この槍ヶ岳はほぼ東西南北に尾根を持っており、そのどれもが鎌の歯のような形のためそれぞれ「東鎌尾根」「西鎌尾根」「北鎌尾根」と呼ばれている。 特に北鎌尾根は困難なルートとして知られている。
単独行で有名な加藤文太郎は、1936年1月の厳冬期、槍ヶ岳の北側に伸びる北鎌尾根で遭難した。山岳小説で一世を風靡した新田次郎は、彼を主人公とした代表作『孤高の人』を世に出した。
滑らかな純白の衣を纏う「槍ヶ岳」。
昨年11月山小屋が閉ざされて以来、約5カ月間眠りに就いていた北アルプスの山々にも小屋開けの季節が近づいている。

水との戦いの歴史 - 木曽三川

2009-03-13 | 中部
濃尾平野に流れる大河川、木曽川、長良川、揖斐川。流域の人々はこれらを一筋の川と同様に考え、「木曽三川・きそさんせん」と呼んで親しんできた。
木曽三川の歴史は、災害との長い闘いの繰り返しでもあった。
昭和34年の伊勢湾台風では、いたるところで堤防が破壊され、濃尾平野の0メートル地帯は、またたく間に泥海となり、未曾有の災害をもたらした。
戦国時代までは、木曽三川の流路は網の目のように流れ、上流に降った雨は、地形的特性から濃尾平野の西側に集まり、気象特性から、「四刻八刻十二刻」と言い伝えられているように揖斐、長良、木曽の順に時間を追って洪水が襲うことから、一番低い揖斐川筋では長時間の洪水に苦しめられ、集落単位の洪水防御としての「輪中」が発達し独特な輪中文化が生まれた。輪中では自己のを洪水から守り、内水についても自己の輪中内で処置する伝統があり、それは時として、水をめぐる輪中同士での流血の騒ぎになることもあったという。

干ばつ半島 - 知多半島

2009-03-11 | 中部
知多半島は、愛知県名古屋市南部、伊勢湾に突出する南北に細長い半島。長さ40km、幅5~14km。伊勢湾と三河湾を分ける。
知多半島では、大きな河川がなく、田畑で使う水を川から取ることができなかった。水不足は深刻で人々は井戸やため池をつくって渇水に備えていた。しかし、1947年(昭和22年)は日照りが長く続き、ため池の水が無くなってしまい、作物が枯れるなど大きな被害がでた。水に困った知多半島の人々は、「木曽川から水が引けたら・・・」との夢があり、1947年の大干ばつをきっかけに、この夢を実現させようと久野庄太郎、濱島辰雄らが立ち上がり、国家事業として愛知用水をつくるよう働きかけ、世紀の大事業といわれた愛知用水の第一歩を踏み出した。そして1961年ついに、この「夢の用水」、愛知用水が完成した。

遠淡海 (とおつおおみ) - 浜名湖

2009-03-09 | 中部
浜松市の西端に位置する浜名湖は、南は遠州灘に通じる、淡水と海水が混ざった"汽水湖"である。大きさは日本で10番目。細江湖、猪鼻湖、松見ヶ浦、庄内湖と4つの枝湾(水域)を持つ複雑な形の周囲長は114kmで、日本で3番目の長さである。
約1万年前、浜名湖は誕生し、その後、約1800年前に淡水湖として、明応7年まで存在していたと言われている。
平安の時代には、京の都に近い琵琶湖を「近淡海」と呼び、都から離れた浜名湖を「遠淡海」(とおつおおみ)と呼ばれ、当時から交流があったことが窺われる。1498年大地震により、今の今切口の部分が埋没し、太平洋とつながり塩水が入り込み、汽水湖に変わった。その後、1510年、暴風雨により今切口が広がり、現在の浜名湖のすがたになったと言われている。
汽水は幼稚魚の成育に大変適していて、ウナギ、カキ、ノリ、スッポンなどの養殖が盛んで、特に養殖ウナギは有名。

東西文化の境界 - 大井川下流域・島田市

2009-03-07 | 中部
『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』
静岡県中部、大井川の両岸に位置する島田市は、江戸時代には、東海道島田宿の宿場町として盛えた。市内を流れる大井川は、江戸の防衛上の理由から架橋を禁止されたため、人足による川越制度が敷かれた。
明治維新によって川越制度が崩壊。この当時、徳川将軍慶喜は駿府で謹慎、家臣の多くが町にあふれた。勝海舟、山岡鉄舟の計らいで、大井川西の台地「牧の原」の開拓を行い茶の栽培をして今日の牧の原茶産地の礎を作った。
駿河国と遠江国の境界線である大井川沿いに位置するため、自然地理的にも人文地理的にも、島田市が東西の境界線となっており、島田市から西と東では地形地質も食文化も大きく異なっている。
現在、市南部と牧之原市との境で、富士山静岡空港が建設中(画面右下)である。2009年6月開港予定。国内6路線1日10往復、海外2路線週18往復が決定している。


「川根茶」のふるさと - 大井川中流域

2009-02-28 | 中部
大井川は、静岡県静岡市と山梨県南アルプス市・早川町の境にある間ノ岳にその源を発し、幾つもの渓流を合わせながら、静岡県島田市・金谷町で山峡の地を離れ、以後、島田市、藤枝市、金谷町を南に流下し、大井川町、吉田町にて駿河湾に注いでいる流域面積1,280km2、流路延長168kmの急流河川である。
通常は平野部で蛇行が起きることが多いが、大井川の場合は中流の山地部で蛇行が起きている。これは大井川が流れている赤石山地の隆起が激しく、川の流路が地質構造によって影響されているためで、このようなものを「穿入蛇行(かんにゅうだこう)」といい、通常の平野にできる自由蛇行と区別している。
この地域は、全国的に知られている銘茶「川根茶」の産地でもあり、お茶に代表される農業が産業の中心となっている。

南アルプス - 赤石山脈

2009-02-26 | 中部
南アルプスとは赤石山脈の通称で、長野・山梨・静岡の3県にまたがり、南北120kmの間に14もの3,000m超級の峰々がそびえる日本一の山脈。  中央構造線の東側に位置し、現在でも年間4mmずつ隆起を続けているといわれている。 北アルプス(飛騨山脈)に対して、南アルプスは山懐が深いためになかなか登山客を寄せつけず、今日まで静かで雄大な自然を保ってきた。
北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山をはじめ、薬師岳・観音岳・地蔵岳の鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、塩見岳、悪沢岳、赤石岳、聖岳、光岳があり、日本の100名山のうち10座を擁する。
北アルプスが、急峻な山容の山が多いのに対して、南アルプスは北部を除き、比較的なだらかな山容の山が多い。これは、南アルプスが北アルプスより新しく隆起した山であるため、比較的浸食が進んでいないためだと考えられている。

伊豆高原のシンボル - 大室山

2009-02-23 | 中部
大室山(580m)は、伊東市や伊豆高原のシンボルとも言える山であるが、 天城連山などの近隣の山と連なってはいない独立峰である。最新の噴火時期はおよそ5000年前とも4000年前とも言われ、このとき現在の山容や城ヶ崎海岸、伊豆高原や一碧湖など周辺の地形がおよそ形作られたと考えられている。
大室山は、噴火によって、ねばりけの少ない溶岩が噴水のように空高く吹き上がると、空中で冷え固まった溶岩のしぶき(黒い色をした軽石で,スコリアと呼ばれる)が火口のまわりに降り積もってできた火山(スコリア丘)である。プリンを伏せたようなきれいな円錐型の山容で天城富士の異名をもつ。
城ヶ崎海岸は、大半がリアス式海岸となっているが、大室山の火山活動により、溶岩が海岸まで流れたことにより形成された。その距離は十数kmにも及び、断崖絶壁となっている所もある。

秋色の室堂平と立山

2008-10-27 | 中部
立山は、浄土山2831m、雄山3003m、別山2880mを含めた連山の総称で立山三山と呼ばれる。雄山山頂の西側にある山崎カールは幅約400m、長さ約600mの小さな圏谷。1905年、地理学者山崎直方により日本で初めて発見され、日本に氷河時代が存在したことが証明された。氷河期には立山も室堂もすっぽり氷河に覆われていたという。室堂2450mは、アルペンルートの最高所で立山への登山口ともなっており、雷鳥平には立山火山の火口湖「みくりが池」があり、「地獄谷」は今も水蒸気を噴出している。

錦秋の黒部平

2008-10-25 | 中部
北アルプス中央部の3000メートル級の山々が連なる立山連峰と後立山連峰に挟まれ、コバルトブルーの水を湛える黒部湖。この黒部の谷を仕切るコンクリートの壁は、日本最高の標高(1448m)に位置するアーチ式ダムである。1956年建設が開始され、7年の歳月と難工事の末1963年に完成した。扇沢から赤沢岳(2678m)の山腹をトロリーバスが貫き、錦秋ののタンボ平のなだらかな大斜面をロープウェイがつなぐ。

黒部源流の峰々- 三俣蓮華岳・黒部吾郎岳

2008-10-23 | 中部
三俣蓮華岳2,841mは、北アルプスのほぼ中央部に位置する。比較的なだらかな山容で、高山植物が咲き乱れるお花畑の豊富な山として知られる。雪渓とお花畑、モレーンや日本の氷河遺跡では珍しいといわれる羊群岩なども見ることができる。北アルプスの他の山にない独特の景観がある。槍穂高連峰から続く主稜線は、ここから、後立山連峰と立山連峰に分かれる。 長野県、岐阜県、富山県の3県の境の山でもある。画面中央部には双六岳、右上は黒部五郎岳2,840m。