ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

庭園・街の花、まつり・名所。いろいろな出会いを,その時々の想いを交えて、皆様にお届けします。

春です 桜です ~練馬 石神井川散歩~

2016-03-31 | 公園・庭園・名所
暖かくなるにつれ、あちらこちらで桜が満開になりつつあります。西武線の練馬高野台駅で下車し、すぐ近くを流れている石神井川の桜を見に行きました。川沿いの桜というと、隅田川、目黒川、善福寺川などが思い浮かびますが、このあたりの石神井川の両岸の桜は、隠れたスポットではないかと思うのですがー。

             

             

八分咲きくらいでしょうか、両岸をきれいに染め上げています。

             

             

             

近寄ってみると、なかなか素敵ではありませんか。

             

             

             

             

             

桜の花と川面のコントラストは絶妙に思います。

             

             

             

白というより、薄緑色の桜の木が1本ありました。品種が違うのでしょう。ピンクの花の並びの中で、凛として咲き誇っていました。素敵です。

             

             

             

             

             

小さな公園では、いわゆるママ友の方々が子どもたちを遊ばせていました。頭上から桜が見守っていました。
桜はなぜもこう心を浮き立たせるものなのか、ちょっと飲ってみたくて仕方がありませんでした。

             

             
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春です 桜です ~柳瀬川散歩~

2016-03-27 | 散歩
清瀬市の「きよせさくらまつり2016」に、車で行ってみました。

           

桜は、柳瀬川川沿いの台田運動公園にトンネルのようになっていました。約1・3㎞なんだそうです。

           
           
トンネル状になっているのは、ソメイヨシノのようです。2~3分咲きくらいでしょうか。まだ蕾のみの樹もみられました。散歩する人たちの姿が多かったのですが、それでも樹の下では家族連れや若者グループなどが『宴会』を楽しんでいました。満開はやはり今週後半でしょう。

           

           

           

           


反対側の土手に「陽光」という品種のさくらが咲いていました。樹は植えられてから10年ほどになるようです。

           

           

           

           

アルコール抜きで純粋に花を楽しむのが本来なんでしょうが、やはりちょっと寂しいですね。おっと、禁酒・禁酒。

ところで、また今日もカメラを忘れて、携帯で写真をとりました。少々ぼやけています。私にぴったりかもしれません(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春です 桜です ~さくら散歩~

2016-03-25 | 散歩
三寒四温。この言葉を実感するのも、いよいよ春本番だからですね。東京ではあっという間に桜がほころび始めました。来週には満開の桜をみることができるようです。

今日、リハビリ状況を診てもらおうと病院に行きましたら、はやくも構内の桜が咲いていました。今年は桜の名所にいけるかどうか、そんなことを考えていた私に、美しく咲く桜がとび込んできました。

                        

今ちょうど卒業式の時期です。桜をモチーフにした歌がたくさんあります。私には、森山直太朗さんが作詞・作曲した「さくら」が浮かびます。皆さんにはどんな曲が思い出なのでしょうか。

   さくら さくら いざ舞い上がれ
   永遠にさんざめく 光をあびて
   
   さらば友よ またこの場所で会おう
   さくら舞い散る道の上で

                   

          

          

しばし構内を、リハビリをかねて散策してみました。
          
          

          

                 
         
                    

桜にもいろいろ種類があるんですね。病院の近くの通りでもこんな桜を目にしました。

          

          

          

          
  
春は桜だけではありません。付近の通りをぶらぶら(ぎくしゃく?)してみましたら、一斉にいろいろな花が咲きだしていました。

あんずの花のようです。

                    
      
花モクレンです。

          

          

ボケです。

                              

ユキヤナギです。

          

足の具合がなどと言っては罰があたります。できるだけ春を楽しみにでかけていこうと思っています。神様がゆっくりした時間をくださったのですから。





   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島散歩 ~小平潟天満宮:会津~

2016-03-21 | 旅行
福島県の猪苗代町に日本三大天神の一つともいわれる「小平潟天満宮」があるということを初めて知りました。野口英世記念館の近くにあった観光案内版に出ていたんです。これは行ってみなければと、猪苗代湖畔の天神浜まで車を走らせました。
猪苗代のあたりはまだまだ寒い時期です。天満宮はひっそりとしたたたずまいの中に建っていました。
          
         

                
 
神社はあまり大きくはありません。本殿前にはまだ雪よけのシートが。もちろん合格祈願の絵馬が随分とかけられていました。

         

参道わきにある案内板によると、小平潟天満宮の創建は948年(天暦2年)。その後1682年(天和2年)になって第2代会津藩主保科正経によって現在地に造営されたとのこと。

         

         

由緒書によれば、947年に村上天皇の命により彫刻された道真公の像を譲り受けた比良神社(近江国:滋賀県)の神主・神良種が、道真公の希望の地に神社を建てようと全国を旅。小平潟で休み、いざ出発しようとしたところ、像が重くて持ち上がらない。このため、この地が道真公の希望の地と信じ948年に建立したもの、とあります。

         

948年というのは北野天満宮が建立された翌年にあたります。ちなみに、神良種は北野天満宮の創建に関わった一人とされています。

         

菅原道真公をお祀りした天満宮は、一般に、防府(ほうふ)天満宮(904年)・大宰府天満宮(905年)・北野天満宮(947年)の三つが「三大天神」とされているようですが、このうち防府天満宮に代えて小平潟天満宮をもって「三大天神」とする考え方もあると、ネットのいくつかのサイトに出ていました。

よくよく考えてみれば、なぜ「三大」にこだわるのかわかりませんが、とにかく私たち日本人は「三大」が好きなんですね。

そっとお教えしますが、この小平潟天満宮は今はやりの「パワースポット」の一つなんだそうです。確かに静けさの中に身を置いていると、運気が増してくる感じがします。(これはあくまでも私個人の感想です。すべての人に保証するものではありません笑)

                 
         
季節は春本番を迎えようとしています。藤もそろそろ芽吹く時期です。ところで、藤の種はコキン・パチンと音がしてはぜ、割れた殻がコーンと地面にころがるんですね。つい先日その音を聞きました。藤棚の下にはスイセンが花を咲かせていました。黄いろい色は希望です。

           

           

           
                      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散歩 ~伏見稲荷大社~

2016-03-11 | 旅行
今外国人観光客に大変人気があるという「伏見稲荷大社」に行ってみました。

             

伏見稲荷大社のHPを見ると、「御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。」とあります。大変な由緒、歴史のある神社なのですね。

全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮だそうです。ご利益については「商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神として信仰を集め、今日もなおこれらの信仰は続いています。」とのことですので、私もいろいろお願いいたしました。それにしては、ちょっとお賽銭少なかったかもしれませぬ

平日というのに大変な人出でした。境内の朱塗りの門や本殿などさすがに立派な造り。心が清らかになる思いがすると同時に、わくわくしたものも感じます。(神様、罰当たりのようで申し訳ございません。)

            

            

            

本殿から奥ノ院に向かう「千本鳥居」はとりわけ名所になっていて、だいぶ混んでいました。(私は休憩所で待っていましたので、見ておりませぬ。)

            
            
            

            

境内はとにかく広くて、26万坪とか。甲子園球場の実に22倍の広さだそうです。境内の大部分を占める稲荷山は、山全体が参拝路になっていて、奉納された鳥居が連なっています。1万本くらいあるそうです。参拝とはいっても、ちょっとした登山・ウオーキングですね。

帰りがけに、最近人気があるとかいうおみやげのお菓子、お狐様のお面のせんべい(クッキー?)を買いました。かくいうのも変ですが、日本人はやはり土産好きです

            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散歩 ~南禅寺水路閣~

2016-03-09 | 旅行
南禅寺の方丈手前を南にちょっといくと、赤茶色のレンガでつくられたアーチ形の橋があります。これは「水路閣」と呼ばれる水道橋で、琵琶湖疏水の一部(厳密には疏水分線の一部)となっているものです。明治期の近代的な建造物ですが、ひっそりとした様は、南禅寺の景観に何の違和感もなく溶け込んでいます。

                        

琵琶湖疏水は、明治維新後の京都の復興を図り、産業振興を図るため計画された大事業でした。大津から京都の鴨川までの第1疎水の建設は、1885年(明治18年)に着工され1890年(明治23年)に完成をみています。
この間、水路閣は、南禅寺など東山の景観との調和を図るよう設計され、1888年(明治21年)に完成しています。

            

            

京都市上下水道局の「水路閣管理計画」(平成24年3月)には、「水路閣は,建設後120年以上を経過した現役の導水施設であるとともに,南禅寺境内の自然や建物となじんで素晴らしい景観を形成している。」と記されています。
つまり、今も京都市の水道の水源となっているというわけです。            

            

            

ところで水路閣という名称については、この「水路閣管理計画」によれば、次のような経緯があったことが記述されています。

『建設当時,疏水分線は主にかんがい用水や防火用水に利用されており,その水を渡す水路閣は単に「桟橋」と呼ばれていたが(琵琶湖疏水の設計者,田辺朔郎が残した完成図にも「南禅寺桟橋」記されている。),その堂々たる姿から「水路閣」と呼ばれるようになったと伝えられている(「琵琶湖疏水の100年〈叙述編〉」より)。』

            

            

            

            

確かに、長さ93㍍、高さ9㍍ 幅4㍍で、堂々たる感じがする橋です。
今も水が流れる様子は坂を上って導水路部分にいくとみることができます。
        
            

            

                    

            
            

ちなみに、琵琶湖疏水(第1疎水)は、インクラインや疏水分線の水路閣を含め、1996年(平成8年)に国の「史跡」として指定されています。

その解説(文化庁:国指定文化財等データベース)には、「琵琶湖疎水の開削工事は、西欧の近代的土木技術を学んだ日本人技術者の手になる初期の大規模土木工事であり、明治中期における日本の土木技術水準の到達点を示す土木史上画期的な事業であった。」とされ、さらに「京都の近代都市としての発展をもたらした点で、大きな意味をもつものであった。」とされています。

            

南禅寺の境内にはこうした我が国発展のドラマがあったのですね。そうなんですが、ここでも私はほとんどじっとしておりました。仕方ありませぬ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散歩 ~南禅寺~

2016-03-07 | 旅行
京都の名刹中の名刹、「南禅寺」に行ってみました。本当は湯豆腐を食べたい気持ちもあったのですが、相当に混んでおりまして、やはり不埒な考えはいかんということのようでした。
南禅寺は、京都五山の中で最も上位に格付けされた臨済宗の大本山です。いろいろ検索したところ、後嵯峨天皇によって鎌倉時代の中頃の1264年(文永元年)に造営された「禅林寺」が、1291年(正応4年)に亀山上皇によって「南禅寺」と改められて開創されたもののようです。

           
           
           

境内で有名な建物「三門」です。歌舞伎の一場面で、石川五右衛門が絶景かなと見えを切るその三門です。確かに眺めは最高です。私は登れませんので写真は撮ってもらいました。えっ私ですか。例によって石段で所在無げにじっとしておりました。

           

           

           

           

三門から、法堂に向かう両脇の庭は、苔が一面に生えていてなかなかの風情を醸し出していました。周囲の建物は南禅寺の塔頭です。ここはフラットですので、私にはグッドな場所でありました。
           

           

           

           

           

           

境内の東のつきあたりにあるのが「方丈」で、小堀遠州の作と言われる枯山水の庭「虎の子渡し」が有名です。たぶん最初の写真がそうだと思うのですが、私は方丈の中には入っていませんのでよくわからないんです。実は、足首が固まってきて歩きにくかったというのが本当のところです。すみませぬ。

           

           

           

           

           

境内の塔頭で公開されているところも多く、見どころの多い寺院です。次回は足を何とかしてと-。
ところでちょっとシモの話で恐縮ですが、中門近くでタクシーの待機場側にあるトイレのことです。このトイレはパブリックなんですが、例えていうとデパートのトイレのようで、実にきれいでした。しかも温水トイレなんです。外国の観光客の方も感心するのではないでしょうか。京都のおもてなしの心を見たような気がしました。

           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散歩 ~大徳寺~

2016-03-06 | 旅行
北野天満宮を後にして、大徳寺にまわってみました。若いころに一度訪れた記憶があるのですが、じっくり拝観したことがなかったので、行ってみたわけです。

大徳寺は、臨済宗の大本山のひとつです。京都では、南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺のほか、妙心寺も臨済宗の大本山です。
大徳寺は、臨済禅・黄檗禅の公式HP(臨黄ネット)によれば、鎌倉時代末期の1315年(正和4年)に創建され、応仁の乱で荒廃したものの、のちに一休和尚が復興し、桃山時代に入って興隆を極めるようになったとあります。

             

総門を入り、勅使門から右に折れて本坊の方に向かうと、境内にはよく手入れされた松が、心地よく配置されていました。        
             
             
             
             
             

まず目にしたのが朱色の二層の建物、三門(金毛閣)です。千利休が秀吉の怒りに触れて自決することになった話で有名です。

             

これは、仏殿です。
             
             

続いて、法堂です。

             

この参道の突き当りにあるのが、特別公開されている「芳春院」です。残念ながら内部は撮影禁止になっていて、見事な庭園はお見せすることができません。

             

大徳寺は公開されている塔頭がそう多くはないと、こちらのサイトに出ていました。訪れた日は平日でしたが、参拝客も多くはなく実に静かなたたずまいの寺でした。

ところで、私は足の具合もあり、総門入り口のあたりに早々と引き返し、排水路のコンクリートに腰を掛けていましたら、通りかかった地元の方から、『ハロー』と声をかけられました。『どうしました。外国の方ですか』 何と答えていいかわからず「いえ、あの、その」。
中国や韓国、あるいは東南アジアからの観光客にでもみえたのでしょうか。どちらかといえば貧相な性質ですから、お金持ちの外国人には到底見えないはずなんですが。あとでこの話をしたら、連れ合いに大笑いされました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散歩 ~春の北野天満宮 2~

2016-03-05 | 旅行
北野天満宮では、道真公のご命日にあたる2月25日に「梅花祭」が行われます。神前には、神饌が供えられ、授与所では玄米が授与されるのだそうです。

                  
            

またこの日、境内では野点が行われます。野点は上七軒の舞妓さんや芸妓さんが行うとのこと。上七軒は京都に五つある花街(祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、上七軒)のひとつです。うまくお茶屋さんを写真に収められませんでしたが、街の雰囲気を感じていただけますかどうか。

            
            
            

野点の様子は、こちらのサイトでも紹介されています。ともあれ、今年も野点を天満宮の梅の花が見守っていたことでしょう。

            
            

                                 (北野 終)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散歩 ~春の北野天満宮~

2016-03-04 | 旅行
先月下旬京都に行ってきました。久方ぶりです。歩き回るのはまだまだ無理がありますので、もっぱらタクシーで近くまで行き、あとは休み休みしては、カメラでパチリという次第。
この時期まず行きたかったのが、北野天満宮でした。そうです、一度天満宮の梅をみたかったんです。いいですねえ、やはり。

             

北野天満宮のご由緒によれば、社殿が建てられたのは、平安時代の半ばでしょうか、947年(天暦元年)となっていますので、墓所でもある大宰府天満宮の社殿が建立された919年(延喜19年)よりも30年ほど後のことになるようです。どちらも総本宮といわれるているようです。どちらがどうかよくはわかりませんが、いずれにしても道真公をお祀りした霊験あらたかな神社として、地域に親しまれ、かつ全国的にも有名な神社であることは間違いありません。

             
             
              

まずは本殿にお参りさせていただいてから、境内の見事な枝ぶりの梅を楽しませていただきました。

             
             
             
             
                       
             
             

一本一本の木や花も見事ですが、梅林・梅苑の紅白の鮮やかさも今の時期ならではのものがあります。なかなか写真の腕はあがりませんが、どうぞご鑑賞ください。

             
             
             
             

                                  (続く)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする