ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

庭園・街の花、まつり・名所。いろいろな出会いを,その時々の想いを交えて、皆様にお届けします。

栃木散歩 ~紅葉の鬼怒川~

2015-11-16 | 旅行
鬼怒川の紅葉を見に行ってきました。先週、福島に行った帰りのことです。      

いろは坂の紅葉や、鬼怒川から那須塩原に抜けるもみじラインの紅葉も
見頃はとうに過ぎているようでしたので、鬼怒川温泉から龍王峡・川治温泉
のあたりを、川沿いに車を走らせました。

       

             

鬼怒川温泉のはずれに小さな公園がありました。公園の真ん中にもみじでしょうか、
真っ赤に色づいた木がありました。フェンス沿いには乙女の像がたっていました。

       

              

ちょっと下ったところに、吊り橋があり、川を見下ろすと、青緑色の川の流れに
色づく木々を見ることができました。山あいの木々も含めて素敵な風景です。

       

       

       

       

       

渓谷美で知られる龍王峡です。

       

龍王峡も見頃をちょっと過ぎた感はありましたが、それでも木々の色づきを
楽しむことができました。もっとも川沿いの遊歩道までは、だいぶ石段をおりて
いかなければなりません。杖でいくのは無理でしたので、入り口のあたりで引き
返しました。

       

       

       

       

ほんの少しの歩きでしたが、いい景色です。

       

       

       

       

       

次の機会には紅葉真っ盛りの風景を楽しみたいものです。

川治温泉のほうに足をのばしてみました。木の根元には落ち葉がびっしり。

                    

木々のほうを見やると、赤や黄色の紅葉はなかなかに素晴らしいものがあり
ました。

       

       

       

       

       

       

              

1年の月日の流れは早いものです。まもなく今年も12月。12月になれば
このあたりも冬へと模様替えしていくのでしょう。
来年はぜひもみじラインを走ってみたいと思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島散歩 ~紅葉の淨楽園~

2015-11-13 | 旅行

日前福島市郊外にある池泉廻遊式庭園の「淨楽園」を訪ねました。見頃からは
少し遅くなってはいましたが、それでも赤や黄色に色づいた紅葉を楽しむことが
できました。

           

この淨楽園について、ちょうど居合わせた庭職人の方によると、京都金閣寺の庭の
造園にあたっている庭師の方の手になる庭とのこと。その庭師の方は福島のご出身
なのだとか。

           


           

確かに東北にはあまり見られない庭園で、落ち着いた静かな風情を醸し出してい
ます。
庭園の中央には池が配置され、周囲には多くの松が植えられています。その松の
緑ともみじの赤・イチョウの黄などが実に見事に調和して、晩秋を彩っていました。

           

           

           

           

よく「癒される」ということを耳にしますが、この庭園は訪れた人をまさに癒して
くれる庭園といっていいかもしれないと思います。
福島でも案外に知られていない庭園かもしれません。

           

           

           

晩秋のしかも夕暮れ時でしたので、少々肌寒いものを感じました。そのせいも
あったのでしょう。久しぶりの外出をした高齢の母が、温かい「おしるこ」の椀を
手にしながら、「おいしい」とうれしそうでした。


この庭園は12月から来年3月下旬まで休園になるのだそうです。
紅葉は散りつつありますが、今月中はまだ晩秋の風情を楽しめると思います。
ご興味のある方はお出かけください。

           

           

           


           

地面の落ち葉が、また来春までとしばしの別れを告げているように思えました。

           

                      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇江佐真理さんを悼む

2015-11-08 | 日記

作家の宇江佐真理さんが亡くなられました。宇江佐さんは私の好きな時代小説の作家の一人でした。1週間ほど前、近くの書店に立ち寄ったとき、「髪結い伊三次」シリーズの最近作が文庫化されていないか、尋ねたばかりでした。

       

「明日のことは知らず」(文春文庫:15年1月)のあとがきで宇江佐さんはこう書いておられました。

  『お蔭様で体調は今のところ安定しているが、何しろ予断を許さない情況で
   あることには変わりなく、本作の「明日のことは知らず」のタイトル通り、
   先のことはわからないのである』

宇江佐さんは、前作の「心に吹く風」(文春文庫:14年1月)のあとがきでご自身のガンについて触れ、また、今年に入って月刊誌「文芸春秋」2月号の「私の乳癌リポート」で病気のことを書いておられました。この「リポート」は、いつその日を迎えようともご自分の作家としての人生をこれまでどおり淡々と過ごしていく気持ちを述べられたものでした。お亡くなりになったことを知り、私の心に空しいものが流れています。

上に記した「文芸春秋」2月号(P150~)の中で、宇江佐さんは上田三四二という歌人のエッセイ(1989『群像』1月号)を紹介しています。タイトルは「病院通い」。宇江佐さんはこのエッセーにご自身の気持ちを重ね合わせておられたように思うのです。

 〔病院通い〕
   夜桜見物は覚悟の花見という気持ちがあった。夜桜の下で、ぼんやり光に
   浮いて、弁当を開く。いちど、そういうことがしてみたかった。妻と二人、
   にぎやかな車座と車座のあいだに小さく場所をとって、しずかに酒を
   呑んだ。
   桜の山は人の山がいい。あたりは騒々しければ騒々しいほどいい。そして
   こころはしんしんと寂しかった。花が散り、隣の連中が酔いにまぎれて枝
   を揺さぶると、満枝の花はたまらずふぶきと降りかかって、歓声が沸き、
   花は膝の上の折詰にも散った。
   村上華岳の初期の作品に、「夜桜之図」と題する、とろりとして男女のこ
   とごとく狐に化かされたか、それとも尻尾でもありそうな、妖しい感じの
   一枚がある。  
   その感じだった。私は花に疲れ、花に憑かれて、正気をうしなった。以来、
   病気が確定した時も、入院と手術のときも、外来治療に移って三年になる
   今日ただいまも、狐に化かされつづけているのだと思うことがある。そし
   て誰かが、肩に手を置いて、「君は無病だよ、息災だよ」と言ってくれる
   日を待つ気になる。それが、ほかならぬ息の止む日だと、知っていながら。

人生の店仕舞いというのは、寂しさとの共生なのかもしれません。(合掌)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする