ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

庭園・街の花、まつり・名所。いろいろな出会いを,その時々の想いを交えて、皆様にお届けします。

桜散歩 ~近くをぶらぶらしてみました~

2017-03-30 | 散歩
東京では、既に3月21日に桜(ソメイヨシノ)の開花宣言が出されていました。ところがその後の寒さで蕾が開かない状態が続いていました。30日になって気温が急上昇。待っていたかのように桜が咲きだしたようです。
地域にもあちらこちらに桜の木が点在しています。そんなわけでぶらぶらと桜散歩をしてみました。







紅色の花は彼岸桜でしょうか。うすいピンクの花はソメイヨシノでしょうか。特に手入れをされているわけではないようです。枝ぶりは必ずしもよくはありません。でも精一杯花を咲かせていています。







3月初旬に病院に見舞った知人は、体調が思わしくなく依然病室で過ごしています。今楽しみにしているのが咲き誇る桜をみること。何とか見せてあげたいのですが、ちょっと寒い地域なので、桜が咲きだすのは4月中頃になりそうなんです。
桜はもうすぐだから、お酒を一緒に飲みながら楽しもうよ。頑張ろうよ。また一緒に旅行しようよ。







各地の桜の名所は、この週末多くの人出で賑わうはず。でも残念ながらちょっと冷え込むようですー。
春が別れではなく、希望の一歩でありますように。
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エッセー ~東北がんばれ 心つなごう~

2017-03-11 | 日記
6年前の今日(3月11日)は、岩手・宮城・福島などを襲った東日本大震災がおきた日。あの悪夢のような津波の映像が、繰り返しテレビに映し出されました。数多くの命を飲み込んだ濁流です。しかし、目をそらすことはできませんでした。しっかりと記憶しておかなければならない、そう思うからでした。

あの日、震度5弱の揺れに襲われた職場では、外出したまま所在がわからなくなったスタッフが数人いました。余震が続く中、携帯をコールしながら、スタッフの所在を懸命に追い求めました。深夜になって女性スタッフの一人がやっとのことで職場に戻ってきてくれたときのうれしさと安堵は今も忘れることはできません。彼女自身にもこみ上げるものがあったでしょう。その感動は、おそらく生涯忘れることができないものになっているのではないかと思うのです。

今日(3月11日)の新聞の番組欄(NHKテレビの欄)には、縦に読むと「東北がんばれ心つなごう」の文字が浮かんでいました。



私たちのそばにいる人が、ひょっとして大震災によって傷つき、辛さ・苦しさ・哀しさを胸の奥深くにとどめながら懸命に生きている人かもしれないのです。
ほとんどの人が家族や親しい人を亡くした経験をもっているはずです。その哀しみを知っているはずです。それを思いおこすとき、震災に深く傷ついた人の心をおもいやることはできるのではないでしょうか。がんばれとそっと言葉をかけることができるのではないでしょうか。

家の近くにハクモクレンの花が咲きだしていました。ハクモクレンの花言葉は「慈悲」。これからもハクモクレンの花を眺めながら、震災を忘れず、がんばれとそっとつぶやきたいと思うのです。



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エッセー ~桜の季節に~

2017-03-09 | 日記
暖かな日がようやく多くなってきたようです。桜の開花予想をみると、東京は3月の第4週頃とか。たまたま市ヶ谷(千代田区)に行く用事があり、川沿いの土手を見てみました。桜は、蕾が膨らんできているようですが、まだ固そうな感じです。





先日病院に見舞った知人は、外出もままならないためか、桜をぜひ見たいと言っていました。満開の桜を見せてあげたい、そのためにも体力が回復してほしい、そう願っています。ん。もっとも私自身もう少し歩けるようにならないと桜を楽しむことはできませんから、怠けがちなリハビリに精を出す必要があります。

私たちは、華やいだ桜の雰囲気に引き込まれるのは誰もが同じと思いがちです。

先日、伊集院静さんの「大人の流儀7・さよならの力」を読みました。冒頭に、「春は、別離の季節である。」「どういうわけか、私の別離の記憶は、春であることが多い。」「卒業式、入学式、転校、就職、転勤、引っ越し・・・・と、春は人々がどこか別の世界、場所へ行かなくてはならないできごとが、他の季節よりもたくさんあるからかもしれない。それも一理あるが、歳時にかかわらず、春はなぜか、別離が多かったし、おそらくこの先もそんな気がする。」と書かれていました。



いろいろな想いで人生を生きている人がいる、そのことを心の隅にとどめておくこと、その大事さを感じるのですが、そう言いつつ、凡人の私は、近くで咲きだしたボケの花をみては、やっぱり花はいいなと単純に思ってしまうのです。



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エッセー ~空の青は希望の力~

2017-03-01 | 日記
知人を病院に見舞いました。病棟の北側にある談話室の窓を通して、遥か遠くに吾妻連峰や飯豊連峰の山並みがパノラマのように飛び込んできました。快晴だったこともあり、雪をいだいた尾根、そして空の青さが印象的でした。
知人の説明を聞きながら、思わずきれいだねと口にしましたが、病と向き合っている知人にはこの光景はどのように映っていたのでしょうか。



澄み渡った青空を背景に連なる山々は私たちを惹き付けますが、一方で、行く手をさえぎる壁として人を拒むかのような厳しさを見せています。健常な人にとっての美しい白、美しい青は、時として病む人にとって命におおいかぶさるもののように映っているのかもしれない、ふとそんな思いにとらわれました。 
数か月前、吾妻の山並みがきれいねとつぶやいた私の母には、ひょっとしたらあの空の青さが悲しいものであったのかもしれません。

寒さがまだまだ続く北国とはいえ、まもなく春がめぐってきます。東京では梅は満開ですが、寒い地方では梅はこれから蕾を膨らませ花を咲かせます。おそらく梅も桜も同じ時期に咲くことになります。
病と向き合っている人にとって、あたたかな春の花が歩む目標となってほしい、空の青さが希望の力になってほしい、私はそう願っていました。

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