ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

庭園・街の花、まつり・名所。いろいろな出会いを,その時々の想いを交えて、皆様にお届けします。

青梅市の雛まつり展2 ~津雲邸の雛飾り~

2024-03-05 | 公園・庭園・名所

前回に続き、津雲邸の雛まつり展です。
津雲邸は現在歴史資料館として運営されています。
     

     
展示されている”ひな人形”と”極小ひな道具”は、
主に江戸後期から末期の作のようで、700点から
800点はあるようです。
上の写真は展示物を
説明した説明板ですが、
光が反射してうまく撮れませんでした。

ここに書かれた内容については、当日は、
展示室(1階と2階の和室)ごとに、それぞれの
スタッフの方が、詳しく説明してくれました。
興味深い説明が次々あったのですが、内容が盛り
だくさんで理解が追いつきませんでした。
ちょっと惜しいことをしました。

 

   






津雲邸のひな人形は有職雛(ゆうそくびな)といい、
公家の風俗を忠実に縮小した雛人形だそうです。
本来は公家がその家の格式に応じた雛人形を特別に
作らせていたもので、公家と縁戚関係にある上級武家
や富裕な町屋などでも所有していることがあったとか。





これは有職雛の一つですが、稚児雛といい、
幼子の姿でつくられた変わり雛なのだそうです。



立雛(たちびな)です。
紙雛ともよばれ、幼子の病気や災厄を祓い
無事な成長を祈る雛人形だそうです。




        
これは初参人形(ういざんにんぎょう)とよばれ、
いわゆる雛人形ではなく、公家の子女や能役者・
狂言者の子弟らが御所に初めて参内した時に
天皇より下賜された人形なのだそうです。




     
御所人形と呼ばれるもので、大名が参勤交代の際、
御所にご挨拶の目録を贈る風習があり、
その返礼品として賜ったものだそうです。



こんな変わり雛もありました。
鳴子こけしの雛人形です。
東北人の私には、懐かしさを覚えます。







たくさんの雛道具が展示されていました。
どれも極小です。つまり精緻なミニチュアです。

これらがつくられるようになった理由ですが、
スタッフの方の説明は次のようなことでした。
聞き違っていたらすみません。
 『
江戸時代の改革で、「贅沢禁止令」が出された影響で、
 職人が技を磨き極小の道具をつくるようになったため。
 その結果返って高価で精緻なものがつくられるように
 なっていった。』
よくわかりませんが、禁止令は
天保の改革の時
でしょうか。ともあれ、どれも素晴らしいつくりです。

写真に撮り忘れましたが、ギヤマン(薩摩切子や
江戸切子などのガラス細工)の小さなグラス一つでも、
評価は10万円くらいらしいですよ、との説明でしたから、
もはや工芸品以上ですね。




        

      
中には、尾形乾山(尾形光琳の弟)の作と思われる
ものも展示されていましたので、こうなるとまさに
文化財ともいえる美術品ですね。
(※一枚目の写真の上段の右側です。内裏雛のアップ
 の写真は青梅市観光協会のHPからお借りしました。)


   

   

       
その他、飾られていた掛け軸もかなりの
値打ちのもののようでした。

青梅に、財を投じてこのような接遇施設をつくった
津雲氏は相当な方だったと思いますが、
同時に青梅という地が、歴史的に経済の要衝の地で
あったことを物語っているように思いました。

来年になるかもしれませんが、次に訪れる機会が
あれば、今度はじっくり収蔵品や建物のことを
聞きたいものです。

コメント (2)
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