幸せアップ+α

TVを見ていることが多いし、いろいろ感じることがある。

スヌーピーの原作者

2015-08-19 21:09:43 | 心に響くことば

コメント欄は閉じておきます。

以前から、関心事の記事などをスクラップ・ブックに貼っていた。

この数年はファイルに気に入った写真や絵や記事などをまとめていた。

コレクションの趣味!?

でも、たまにしか見ないので、ほとんどを古新聞と一緒に処分した。

 

その中に、スヌーピーの記事があったので書き写してみる。

小さな記事だったけれど目に止まった。昔から「ピーナッツ」のファンだった。

2000年1月4日 の新聞。あれから15年も経っていた。ついこの間のことのように感じていた~

年々、年月の長さを短く感じるようになった。

30歳くらいの時は10年前とかいわれたら、そんなに前のことって思ったものでした。

これはとっておこう。スヌーピーがタイプを打っている絵がついている。著者の姿かな!?

 

「ピーナッツ」最終回 50年の歴史に幕 

C。シュルッ氏(77歳)が約50年にわたって連載してきた人気漫画の最終回が

3日付けの新聞に掲載された。

最終回にはシュルッ氏のメッセージが添えられていた。

Dear friends,

     I have been fortunate to draw Charlie Brown

and his friends for almost 50 years.

It has been the fulfillment of my childhood ambition.

     Unfortunately, I am no longer able to maintain the schedule demanded by

a daily comic strip, therefore I am announcing my retirement.

     I have been grateful over the years for the loyalty of our editores and

the wonderful support  and love expressed to me by fans of the comic strip.

     Charlie Brown, Snoopy, Linus, Lucy...how can I ever forget them...

 

「約50年にわたり漫画を描き続け、子どものころの夢を実現できて幸せでした」

というシュルッ氏のメッセージは

「チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ルーシー・・・いつまでも忘れない」と締めくくられている。

 


「王様と私」@新・午前十時の映画祭

2015-08-18 17:31:00 | 映画

新・午前10時の映画祭 で、「王様と私」を観た。

年間上映スケジュールを見た時、これは、絶対に観ると決めていた。

10時10分前くらいに映画館に着いて空席をチェックしたら、最前列しか空いていなかった。

こんなことって、昔、映画館がいっぱいの頃を思い出した。当時は自由席なので

立って観ることもあった。

さすが、誰でも知っている有名な映画だと何だか観る前から感動してしまった。

後ろの方を見たら、最後列とかいくつか空いていたけれど、タッチパネルの座席表はいっぱいになっていた。

でも、ほぼ、満員ということ。21日までなので見逃さないようにと思った人が多かったのかも。

この映画祭はA系統とB系統に分かれているので、22日から上映する所もある。

最前列もスクリーンが目の前で、これも、それ程、悪くないかも・・・

ユル・ブリンナーが主演男優賞を受賞していたのは知らなかったが、

王様になりきっていた姿を見れば納得だった。

デボラ・カーはゴールデン・グローブ賞で受賞しているので良かった~

彼女の衣装は素晴らしかったのでアカデミー賞を受賞しただろうと見ていたけれど、当たっていた。

シャムの王様の衣装も豪華。

最後にあまりにも有名な 「Shall we dance?」 を2人で踊る場面は、なぜか涙が出てしまった。

アンナは王様の子ども達に英語その他、(etc.) を教える。

アンナと息子以外は、皆、英語をゆっくり話しているようで英語の勉強にもなる~。

(etc.)って、王様が気に入ってよく使う単語。

 

この映画祭は大人千円、学生500円。

この映画館は電車に30分位乗れば行けるので、もっと観に行こうかと思っている。

今まで、年に3回位しかいっていない。スクリーンで観る映画は格別

 

王様と私

 

 映画『王様と私』は公開当時、シネマスコープ

活用したミュージカル映画として、全世界で好評を博した。

本作は、アカデミー作品賞、監督賞など9部門にノミネートされた。

作品賞の受賞は逃したものの、「シャムの王様」役の

ユル・ブリンナーはアカデミー主演男優賞

衣裳のアイリーン・シャラフはアカデミー衣裳デザイン賞

美術のライル・R・ウィラー、ジョン・デ・キュアらはアカデミー美術賞

また、ミュージカル映画音楽賞、録音賞の5部門で獲得した。

また、本作はゴールデングローブ賞 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門) を獲得し、

「アンナ」役のデボラ・カーはゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) を受賞した。

 

 


恐れていたことが起こった!?

2015-08-14 07:30:32 | 生活

最悪~!?

数年前の真夏にエアコンが壊れた。

その時は、思いの外、早く電気屋さんが来てくれたと記憶している。

一日中、働いていたようで夜の8時頃に来てくれた。ありがたかった。

今回のエアコンは、10年以上使っていると思われるので、

いつ壊れてもおかしくない状態だった。

そして、遂に壊れた。家電店に行ったら、26日になると言われた。「えぇ!?」

数年前のスピーディーな対応ではない。同じお店かどうか覚えていないけれど。

エアコンのコンセントや、配管はどうなっているかなどを確認してからということで、

再度、行くこといなったので、他のお店に行って工事日のことを聞いて、早い方にしよう。

プレミアム商品券を使おう~♪

 

私は家電は、壊れるまで使うことが多い。

それって、あまり良いことでもない。知り合いが年末に冷蔵庫が壊れて

お正月用の食料がいっぱいに入っていて、大変だったと言っていた。

TVは壊れる前に、ハイビジョンTVに比較的早くしたので、もうすぐ、壊れるかもしれない。

TVも壊れたら、やはり待ったなしだ。(その時は4KTVなのでしょうね)

掃除機なら、ほうきで対応できるけれど・・・

~~~

「プレバト」@TBSの俳句コーナーに又吉さんがゲストだった。

MCのハマちゃんが、芥川賞作家でも、どうなんだろうか、という風に言うので、

大丈夫かと思っていたけれど、やはり第1位だった。

新幹線が田んぼの横を走っている写真が題材。

 

故郷の声走らせて涼新た

 

最下位の作品は笑ってしまったけれど、この作と同じ日本語とは思えない・・・

「~を想う」のように作るのは、素人と、辛口先生が言っていた。

こうすれば簡単だけれど、先生の言われる通りですね。

俳句が普通に作れれば嬉しいけれど、習えばできるようになるのでしょうか?

 


味噌ドレッシングで夏を乗り切ろう~

2015-08-12 08:24:29 | お料理

今朝、車で駅まで行った時、道が空いていた。

お盆休みで、帰郷したり遊びに行ったりで、空いているのでしょうね。 

 

味噌ドレッシングで夏バテに勝つ

味噌 大さじ1、

エゴマ油(または、あまに油、オリーブオイル) 大さじ1

レモン汁 大さじ1

はちみつ 小さじ1

混ぜる。

1回分づつ作るのがおススメ。

マスタード、ねりゴマ、マヨネーズ、カレー粉など、合わせるものを工夫すれば

味のバリエーションも広がる。

味噌はミネラル、ビタミンなど栄養素も豊か。

夕食に作ってみよう~。

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毎年、8月は書道の昇段試験の作品提出がある。

半切に同じものを、楷書と行書を書いて提出する。今日は、練習をしよう~

~~~

「新・午前10時の映画祭」で、

今、上映中の 「王様と私」 を見に行く予定です。21日まで。

 

 

 


知日派の日韓論

2015-08-09 07:33:20 | 社会

インタビュー記事の抜粋です

 韓国の英文学者  羅 英均(ナ ヨンギョン)さん 1929年 旧満州生まれ 

 

韓国は8月、日本の植民地支配からの解放70年を迎える。

幼い頃から日本語で徹底的に教育された知識人、ナ ヨンギョンさんは、

かつて自分たちの言葉を奪った日本を批判しながらも、

ナさんは隣国の人同士が交流を通じて、お互いのありのままの姿を知る大切さを訴える。

 

私は日本人指定のための幼稚園や小学校で学び、日本語しか分からなかった。

家でもお父さん、お母さんと呼び、物事を考えるのは日本語。

自分自身が文化的な異端者だと感じたこともあります。

日本は朝鮮半島を植民地にし、民族の言葉と名前を奪った。

私たちの存在を否定するに等しい、罪深いことでした。

Q: 解放後の街の様子は?

政治的な混乱が激しくなって、左翼と右翼の指導者が暗殺される事件など、

解放後に生じた権力の空白が無秩序を生んだ。

50年6月、朝鮮戦争が勃発し、全土が戦場となった。

 

日韓の国交が結ばれた65年当時、私は母校の梨花女子大の教師でした。

国交反対のデモに加わろうと、正門から街に出ようとするたくさんの教え子を、

警官隊が阻止しようとする。衝突しないよう、私たち教員が間に立ちました。

私は現実主義的な立場から国交正常化をベターと判断しましたが、

反感も分かりました。50年前に韓国人の中に渦巻いた複雑な感情を、

理解できる日本人は少ないでしょう。

 

父は1910年に現在の東京工業大学で学びました。

奉天(現 藩陽)で12歳まで育った私を父はレベルが高い日本人の学校で

学ばせた。父は自らの留学についても『同化ではない。一歩先に近代化を

進めた日本に追いつくため』と考えて、日本語もその道具とみていた。

明治以来の日本の翻訳文化はすばらしかった。

多くの国の外国文学や思想を日本語で読めました。

私が英文学を一生の仕事とする下地になったのも、父の蔵書だった

シェークスピア全集を、大学に入る前に読んだことでした。(坪内逍遥訳)

 

私は、日本の肩を持ちすぎると言われることがあります。

植民地下で厳しい経験を強いられた人がいることは知っていますが、

日本の優れたところを素直に認める考えを大学の先生たちに話すと

『同感だ』と、こっそり言われることもあります。

一人の人間について、親日とか反日とか決め付けることはできません。

国と国とが政治的に対立しても個人では仲良く交流できるということを、

父や私の世代は体験しました。

Q: 歴史や文化の異なる相手を血の通った人間とみるには、何が大切でしょうか。

まずは相手の言葉を知ること、次に相手の国を訪ねることでしょう。

90年代末まで、韓国では日本の映画や歌は禁じられていたが、

こっそり楽しんでいた人は実は多かったのです。

感情を抑えて、目や顔の微妙な表情で気持ちを伝える日本人の演技には

独特の魅力があります。

逆に大声で叫ぶこちらの俳優の演技を楽しむ韓流ファンの日本人も多いのでしょうね。

文化のそんな違いを、お互いに素直に楽しむことができれば、それはすばらしいことです。

夏目漱石のファンで、あれだけ魅力的な作家はいないと思っていた私ですが、

最近、村上春樹の『1Q84』を読んで新鮮だと感じました。

(インタビューは日本語で行った)

~~~

羅さんは、「相手の言葉を知ること」と言われているけれど、羅さんは語学ができるけれど、

普通の人は、韓国話は話せない。それなりに勉強するということでしょうか!?

 

韓国ドラマや映画が多く放映されるようになり、初めて韓国のことを知ることができたし、

こんなに近い国なのに、文化の違いも驚いた。

日韓併合期の朝鮮を題材にした「族譜」の舞台を見て、「創始改名」のことも知った。

韓国に旅行にも行ったし~。

韓流ブームがなかったら、私は今も韓国の事は知らないだろう!?

20世紀前半は日本も韓国も戦争で苦しんだ。今は良い時代になった。

 


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