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TVを見ていることが多いし、いろいろ感じることがある。

憲法第9条の記事を読みました

2015-05-06 17:00:55 | 社会

憲法9条の意味を考える、記事を読みました。

宝田明さん 俳優 1934年生まれ

 11歳の時、旧満州のハルピンで日本の敗戦を目の当たりにしました。

旧ソ連軍が攻めてきて、関東軍は武装解除され、街は無政府状態に陥りました。

満鉄の社宅に住んでいました。夕食時、略奪した、たくさんの時計を腕に巻き付けたソ連兵が

土足で入って来て、銃をほおに突きつけられました。

じっと我慢しましたが、ガタガタと歯が音をたてて鳴っているのが聞こえました。

 ソ連軍の強制使役で石炭を貨車に積み込む作業をしていた際に、大勢の日本兵を運ぶ車両が見えました。

「2人の兄がいるかもしれない」とそばに行くと、見回り兵に腹を撃たれました。元軍医が

裁ちバサミで腹を切り開いて弾を取り出してくれましたが、麻酔なしです。

握り締めていたベッドの柵が曲がっていました。

こんな経験から、戦後、どんなに素晴らしいロシアの映画やバレーを見ても、

私は感動できませんでした。

 国家の運命を動かすのは一握りの人間ですが、

いつの時代も、戦争で最も苦労するのは無辜(むこ)の民です。

人命尊重の思想を礎に、「二度と愚かな戦争を繰り返してはならない」という、

多くの日本人の反省の思いが刻まれている憲法9条は、時代を超えて引き継がなければなりません。

 それには、日本が無謀な戦争に突き進んでいった歴史を教育現場できちんと教える必要があると思います。

戦国武将の話よりも、近現代史に多くの時間を割いて欲しい。

若い世代に歴史の真実を知ってもらえると思います。

逆に歴史の真実を学ばないと、歴史に殺されてしまいます。

 旧満州から引き上げる歳、可愛がっていた雑種犬を連れて行けない。

「ケリー、優しい飼い主に出会ってね」と願いながら、家を離れ、ハルピン駅での厳しい検査を終えて

汽車に乗り込み、外を見ると、プラットホームにケリーがたたずんでいました。

私たちを見つけると、ケリーは窓に飛びついてきました。

汽車が動き出してもケリーは必死で追いかけてきました。やがて、窓からケリーの姿は見えなくなりました。

この光景は、今も私の脳裏から離れることはありません。

 これが真実です。歴史の真実を伝え、9条を守り抜くことが、戦争を知る世代の責務だと思っています。

9条は無辜の民が戦争に巻き込まれないための最大の防波堤なのですから。

 

あと、2人の意見が載っていましたが、未だ若いので、宝田明さんの内容の迫力、説得力に負けていると思いました。

私たちが学校で、現代史をちゃんと習った記憶もない。← もしかしたら、習ったのかもしれないけれど、

このよなインパクトのある内容ではなかったので、覚えていないし・・・

彼の体験談を読んで思ったことは、彼らの戦争体験談をまとめた教科書を副読本として読めば理解が早いだろう。

戦争の悲惨さ、愚かさが即、分かる。

TVなどでも80代の俳優さんたちが、戦争中の思い出を話しているのを聞いたことが何回かありました。

それを聞いて、事実の重みを感じました。

宝田明さんの、犬の思い出は、読んだだけで、涙、涙でしたが、ご本人の気持ちは想像するしかありません。

これは動物ですが、子どもや親との生き別れも多かったので、どんなだったかと想像したくありません。

どなたかが、歴史を学校で勉強する時、現代史から過去に遡って勉強すればいいと言っていた。

そうしないと、時間切れになり、現代史を学ぶ機会がなくなると。

そういえば、高校で日本史が選択科目で、どうするという議論もあった。ありましたよね!? 

 

 


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