
山梨の甲府市にあるアウトドアショップ「ELK」さんで開催された講演会。
1月にヘッドランプの購入で寄った際に、果たして行けるかわかんないけど、
購入してしまった入場券。
4月には職場で異動がありバタバタ過ごしてきたのですが、
この日は定時で切り上げさせていただいて…自分ご褒美です。

上は、佐多岬でのゴールの際の横断幕だそうです。

この日は、お店主催の「熊本チャリティー登山」が茅ケ岳で開催されて、
陽希さんも一緒に登られたそうです。(羨ましい~!どんな登山だったのか?!)
募金もさせていただきました。

講演会の前には、奈良から本日のチャリティー登山と講演会に駆け付けた男性(黄色のTシャツ)が、
熊本への応援メッセージを送ろうという企画も紹介されました。

柳沢社長のお人柄か、アットホームな講演会になりました。
いつものお店が、200人越えの椅子がセットされた会場に。
講演会は、200名山の踏破中のエピソードをはじめ、
その中での自分の成長の話や、日本の自然再発見の話、
次の目標、などなど話されました。
200で難しかったのは3座。北海道の2座で1週間かかったカムエクとペテカリ、北陸の山。
北陸はたぶん多くの方が積雪期に登るという藪の山ではないかな。
大変だったのは、100に比べて情報が少ないこと。
アクセスに時間がかかるということだそうです。
南アルプスの南部で、標高差2000mの谷を2回?超えたりしたのも100にない苦労だったとか。
笊で二軒小屋に下ってとか椹島のあたりでしょうかね。
山梨付近の話では、八ヶ岳の天狗岳で負傷し本沢温泉に5泊した時の話。
鋸岳で山頂にノコギリを持って来ていた人がいて驚いたこと。
櫛形山に登るその日の朝、林道閉鎖がわかり70kmを歩いた際のエピソード。
次の日、なかなか歩けなかったことと対応について自分の中で葛藤していたこと。
トレイルランナーのヤマケンさんが生徒を連れて会いに来たエピソード。
乾徳山のふもとの民宿のおばちゃんの甲州弁。等々
お話も山の話のほか、熊との遭遇未遂や、自然再発見の話。
道中での山小屋や出会った方の話、けがの話、食べものの話など、
あっという間の2時間でした。
四国のひばり食堂のとんかつ、浅虫温泉のマグロ丼には興味深々。
次は、300名山ではないそうです。
行っていない県、千葉、佐賀、石川なんかも歩く、10000kmだとか。
100名山が7800km、200名山が8000kmで7か月だったから、
10か月歩けばできるんじゃないかと明るく話して凄いなと思いました。
陽希さんの本当の肩書は「プロアドベンチャーレーサー」。
道なき山岳地帯を地図を頼りにゴールを目指すのだとか。
200名山ゴール後にすぐに海外のレースに参戦した番組がNHKで7・8月ごろに放送されるそうです。
200名山の本も、近々発売だそうです。ちなみに明日は東京で山小屋サミット?とか。
我が家はNHKのBSが映らないのですが、今回の観客は子供からご年配の方まで。
笑いあり真剣な部分もあり。教員免許ももっているようで、なかなか話も楽しかったです。

最後は、サイン入り写真のプレゼントもあったりで。
そして、出口で一人一人と握手を交わして会話も交わして見送られていました。
本当に、強い人なのに腰が低い人だなと。
田中陽希さんはある意味、新しい分野を開拓したと思いますよね。
「プロアドベンチャーレーサー」という職業も広く認知されたし、
その人柄から老若男女に愛される。
その陰で、自分の中に2つの人格が居て、
「今の対応良かったぜ」というやつと「あの対応はないだろう?!」っていうやつと。
自分の挑戦が、自分だけのものでなくなってしまったことを感じた時の苦しさを聞いて、
なんとなく包み込む大きな器が必要だなと感じました。

昨年、予想外に焼岳の紅葉の後、上高地で遭遇した陽希さん。
最後に、この山梨での田中陽希さんの講演会ではありましたが、
スペシャルなゲストが半端なかった!これは山梨の特典でしたよ。
山梨在住の登山家、金のピッケル賞の受賞経験のある花谷泰弘さんがお礼の花のプレゼンター。
同じく山梨在住で高校教師の山本健一さんは、ヨーロッパ山岳トレイルレースで世界準優勝までした方。
200の際に櫛形山の下山で登場された先生です。
そして、200名山踏破中、陽希さんの後ろについて撮影をされていた平賀潤さんも山梨在住で駆けつけて。
昨年、北海道の山でお亡くなりになられた谷口けいさんとも親交があったようで、
この話の際には声を詰まらせる陽希さんでした。
田舎でも一流なおもてなし。一流な方との交流。
素敵な時間をありがとうございました。